王子と毒りんご

まさかこんなところで会えるなんて。ちんぷな言葉だけれど彼が視界に入ったその瞬間、これってもしかして運命じゃないかなって感じた。それほどの驚きと衝撃。夢じゃないことを確かめるために何回も瞬きを繰り返した。

「万里、みんなそろそろ帰るけど…」
「おいマリ誰見て…」
「あの!」

3人の声が重なったのは同時。突然すぎる出来事に頭はかなりテンパっているけどこの機を逃してはいけないという気持ちが先に立った。万里がいることなんてすっかり忘れて私はずいと一歩前に出る。

「万里の友達?」
「わ、私七海マリです!よかったらお友達からお願いしますっ。」
「ぶっ、」

ロビーの響き渡った私の声。もちろんなんの前触れもなく言ったものだから目の前の彼はキョトンとしていて後ろの万里は見なくても分かるくらい声を殺して笑っている。

「…ちょっと話が見えないんだけど。」
「ごめんなさい、その、つまり一目ぼれでして!」
「…。」
「突然なんだって感じだと思うんですけど私のことまずは知ってもらいたいというか!あと不審者じゃないってことも分かってもらいたいというか!」
「そういうのは、」
「いいじゃん。」
「万里。」
「まーまー千景さん。こいつ俺の友達で今劇場のバイトしてるんすよ。会った時話するくらいならいいっしょ?」
「ちかげ、さん?」
「春組の卯木千景。」

怪訝そうな顔を万里に向ける彼、千景さん。顔が完全に面白がっている万里だけどここはナイスアシスト!

「しつこくしたりとかしません!なのでお話したり、させてもらえませんか…?」

万里の言葉がなければ一蹴されていたんだろう千景さんはしばらくの沈黙のあと、絵に描いたような営業スマイルを浮かべた。

「ごめんね、彼女とか今は作る気ないんだ。」
「男の人が好きっていう、」
「それは違うね。」
「だったら大丈夫です!私がんばります!」

すでにしつこくしている自覚はあるけどここで諦めてなるものかと食い下がれば千景さんは万里の方をちらりと確認したあとはぁと息を吐いた。

「…期待されても困るけど。」
「っはい!」

諦めか呆れかチラリと視線をこちらへ向けた後営業スマイルが苦笑いに変わった千景さんは改めて息を吐いた。会ったばかりの得体の知れない女にこんなグイグイこられては当然の反応かもしれない。でも完全に拒否されれなかっんだもんこれでひとまず十分及第点じゃないだろうか。

「よろしくお願いします千景さんっ」
「とりあえず今日のところは帰るよ。」
「はい!おつかれさまです!」

とりあえず一歩前進ってことでいいんだよね。首の皮一枚繋がったとはまさにこのこと。きっとあとは私次第。ゆっくりでもいいから彼のことを知りたいし、知ってもらえるようにがんばるのだ。

そして千景さんは出口へ向かい、万里と2人その場に残される。そして私の顔を見た万里がぶはっとと吹き出し笑い出した。

「あー笑った。突然なんなんだよマリは。」
「だって突然現れたんだもん!でもありがとう。きっと万里いなかったらきっと取りつく島もない感じだったよね。」
「まぁ面白かったからな。あんなに戸惑ってる千景さん初めてみたわ。マリの押し勝ちっつうの?」
「必死だったからね。」

メンタル強すぎとちょっと万里は呆れ顔。自分でもこんなにアグレッシブにいけるなんてびっくりだ。火事場の馬鹿力というか人間追い込まれればなんでもできるんじゃないだろうか。

「さっきから顔ゆるみっぱなしだぞ。」
「へへ、だって嬉しくて。かぁっこよかったなぁ。」
「アシストしといてなんだけどあの人はけっこう難しいからな?」
「そうなの?」
「まぁ難易度でいうとかなり高めっつうか。キラキラの王子様だと思ってると痛い目みるかも。」

悪い人ではないけどな、と珍しく言葉を濁した万里。ひとめぼれ、と言ったけど昔会ったあの人が千景さんだったのならたしかに手放しに王子様とは言えないかもしれない。私だってそれくらいは分かる。

「大丈夫まだなんにも始まってないから!やっと名前を知れて、これからでしょ?」
「ポジティブすぎだろ。」

それでも会った瞬間、のどに引っかった骨のように私の中でずっとあった記憶それが一気に蘇って胸が苦しくなった。彼のことなにも知らなくたって、目の前にいるだけでこんなにドキドキする人は他にはいない。だから私はこの気持ちを信じたいって思う。

.
.
.

「万里…」
「顔怖えって!千景さん女の話とか聞かないしたまにはいいっしょ?」
「よくない。お前は面白がってるだけだろ?」
「バレたか。あいつけっこう必死だったからつい。後は任せるっすよ。でも黙ってればなかなかっしょ?」
「顔の問題じゃない。あぁいうのは断るようにしてたんだよ。」
「まーまー、暇つぶしだとでも思って。(顔がいいっていうのは否定しないんだな。)」


**


「マリさんお疲れさまです!」
「おつかれっす。」
「咲也くん綴くんおつかれさま。」
「おつおつ。すっかり慣れてきたみたいだね。」
「おかげさまで!」

千景さんとお知り合いになれて数日、公演を重ねるうちに雑用で動き回る関係で劇団のみんなとも少しずつ話せるようになってきたかなって思う。今週は春組のナイランの再演。館内警備で舞台をみれた初日は千景さんのガウェインのかっこよさに過呼吸になりかけたのはおとといの話。

「千景さん!おつかれさまです!」
「あぁ。」
「相変わらず先輩に対しては勢いが違う…」

私が一目ぼれ告白をしたことはなんでかいつのまにか劇団のみなさんの知るところとなっていた。でもそれがきっかけで声をかけてもらえることが増えて、みんな(生)温かく見守ってくれている感がありありがたい。

「今日もがんばってください。なにかあればいつでも声かけてくださいね!」
「ありがとう。」
「チカゲ!いつもいつももっとオンナノコには優しくするヨ!」
「そうですよ先輩。自らパシリ宣言してくれてるのに。」
「パシリって…ていうかなんでいつもお前たちはそっち側なんだよ。」

そんな相変わらず仲のいい春組のメンバーはワイワイと騒ぎながらこちらに手を振って楽屋に入っていった。

千景さんとはまだ全然話せるタイミングもなくて反応も塩ぎみだから仲よくなるのはなかなか根気がいるのかもしれない。それでもこうして会って話せる(主に私が一方的にだけど)のだから毎日ウキウキした気持ちの方が今は大きい。

**

公演終了後、全体のお掃除をして鍵を渡すまでが仕事だ。バイトは私以外に高校生のとってもいい子が2人いて手分けしてやっている。今日も3人で掃除を終わらせたところなんだけど肝心の支配人が見つからず、電話をすると打ち合わせが長引いてあと少し到着までかかるということだった。

「支配人まだ来ないみたいだから私残って鍵渡しておくね。」
「私たちも待ってますよ!」
「いいよいいよ時間遅くなっちゃうから。次あったらよろしくね。」

そうして高校生に遅くまでいさせるわけにはいかないよと優しい2人を説得して先に帰ってもらった。

最後の戸締りを確認して待ってる間時間を持て余して戻ってきた舞台上。誰もいない薄明かりの舞台はとても静かでな私はこの雰囲気がけっこう好き。バレエを毎日していたときはよく遅くまで舞台で練習したりそのまま寝ちゃったりしていたっけ。

「ふふ、少しだけ。」

久しぶりに、思い出すように踊る。曲を口ずさみながら軽くステップを踏んでターン。久しぶりだけどやっぱり体は覚えていて自然と手足が動く。

なんだ思ったよりも膝痛くないみたい。本格的に復帰できるのいつとは言われてないけど意外とすぐなんじゃ?

なんて調子に乗って踊っていたのがたぶん悪かった。少し跳んで着地したその瞬間痛めていた膝にビリっと痛みが走りバランスを崩してしまった。

「いたっ…とと、あ…!」

その上薄暗い舞台上、足元がよく見えずよろけて足をつこうとした場所は舞台の縁でかくんと体が倒れた。

まずいと思ったけど体制を立て直せず客席に投げ出されるような形で落ちていく感覚。

周りの景色が流れるようにゆっくり見えた。そして次に来る痛みを覚悟をしてギュッと目をつむる。これでまた怪我したら笑えないななんて思って。

「危ない!」

聞こえた声は幻聴だろうか。
とにかくせめて死にませんようにと願って…

いやいやでも死にたくはないかも。
痛いのは我慢するから…

ん…、痛くない…?

「死んじゃった…?」
「死んでない。」
「っ!?」

身体の痛みを感じなくて、もしかして本当に召されてしまったのかと思ったけど目の前から声が聞こえて弾かれたように目を開けた。

「っ、ちちちかげさん…!」
「何やってるんだ。舞台から落ちるなんて打ち所悪かったら最悪死んでたぞ。」

少し焦ったような顔で眉を寄せて私を覗き込んでいるのは千景さんだった。痛みがなかったのはつまり落ちた私をそのままキャッチしてくれたのだと悟る。

予想外すぎる人の登場と、距離の近さと、抱えられていることの恥ずかしさとでさっきよりもずっと今死んでしまうじゃないかってくらい心臓がバクバクしていた。

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