ステップ・バイ・ステップ
「ラッキースケベ?」 「それ基本的に男が使うやつ。」 「ラブハプニング?」 「…。」 「万里無視しないで!」
大学のカフェでお茶をしながらこの間の話をすると途中からあきらかに生返事になってきた万里はとうとう返事をしなくなってしまった。
それにしても舞台から落ちたところを助けてもらうなんてあのときは九死に一生だったけどいろんな意味で九死に一生で、視界いっぱいに千景さんが見えたときはたぶん一回死んだと思う絶対。
帰り道で演劇を始めた理由を聞いたら復讐だといっていて。驚いた私に嘘だと言う千景さんの笑顔がこれ以上は聞くなと言っているって分かったけれど、暗がりで見えたその顔がなぜだか私には無性に悲しげに見えて胸が痛くなった。流すことができなくて半ば無意識に言葉を吐き出した。余計なことを言っちゃったかもと思ったけど意外にもそのあと見上げた千景さんの表情は柔らかくてホッと肩を下ろしたのだった。でも最後に変な女認定されたのはすっごく複雑。
「千景さんなりの褒め言葉なんじゃね?」 「万里は好きな女の子に変な女って言う…?」 「俺は言わない。」
適当すぎる返事に座っている万里の足を軽く小突く。褒め言葉とは思わないけどあれから千景さんの態度が少しなんていうか、やさしくなったかもなんて。
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授業が終わりバイトのため劇場に向かい、ドアを開けるとちょうどリハーサルをしているところだった。春組の再演は残りわずかで今は至さんと千景さんの殺陣の動きの確認中みたいだ。後ろでみていた私に気づいたいづみさんが隣に並んで耳を寄せた。
「おつかれさま。ごめんね、ちょっと長引いてて終わるまでお掃除待っててもらってもいい?」 「もちろんです。」
何回も公演を重ねているからか洗練された2人の動きはまさに阿吽の呼吸。そういえば千景さんがだんだん手加減してくれなくなってきたと至さんがこぼしていたっけ。そんな2人の流れるような殺陣を見てたときだった。それはほんの一瞬。千景さんの足さばきに感じた違和感。あれ、といづみさんや至さんを見ても気づいていないみたいでそのあとはいたっていつも通りだった。
「はい、そこまで。リハは終わりにしようか。あとは本番またよろしくお願いします!」 「おつー。」 「おつかれさま。」
動きを止めたみんなはそのまま舞台裏にはけていく。千景さんの違和感はあの一瞬でもだけだし今日だけ見てたら分からないかもしれない。気ののせいと言われればそう納得できるくらいのもので。でも逆にいうといつも完璧にこなしている千景さんだからこそおかしいって思ってしまう。たぶん、千景さんは足を怪我してる。それは同じ足の怪我をした私の直感的で確信的なもの。
「聞いてみないと…!」
もしも違っていたならそれでいい。私はほうきを握りしめていつもの2倍のスピードでお掃除を始めたのだった。
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「綴さん!千景さんいますか!?」 「ちょうど今電話するって外出てったよ。なにか用事?」 「あ、その、ただ会いたくて…!」 「マリちゃんなんか真澄の女の子バージョンみたいになってきたな…」
そこまでじゃないですよなんて笑いながら足早に楽屋を後にした。幸いみんなは気づいていないようだけど…勢いよく裏口を出て周り見ると、端に立っている千景さんが目に入ってかけよった。
「ちょっと千景さんそこ座ってください!」 「突然だな。もう着替えないといけないんだけど。」 「いいから!」 「おい…っ、」
その場を離れようとした千景さんの手を無理やり引いて座らせると突然だったからか座る瞬間痛そうに顔を歪めた。その隙に有無を言わせず足元の裾をめくれば足首が赤く腫れ上がっているのが見てとれた。歩くのもつらいだろうに、これでよくあれだけ動けたものだと感心してしまう。
「やっぱり足痛めたんですね?」 「…どうして。」 「なんとなく、ですかね。半信半疑でしたけど…」 「誰にも気づかれてないと思ってたんだけどね。動物的勘ってやつかな。」 「女の勘にしてください…!からかってる場合じゃないですよ。ちょっと足触ります。」
変なやつから動物に格下げされた私のイメージって…本能のままに行動してると思われてたりするのかな…いやあとで考えよう。
拒絶されるかもしれないと思っていたけど意外と千景さんは私にされるがままで、よく見たらいつもはかいてない汗がじんわり額に滲んでいた。それだけ我慢してたのかもしれない。持ってきていたコールドスプレーを吹きかけて手早くテーピングを巻き始める千景さんは目を開いて驚いたような顔をこちらへ向ける。
「こうみえてずっと自分で巻いてたので大丈夫ですよ。」 「…。」 「怪我、甘く見ないで。ちゃんとケアしないとクセになることもあるし他のとこにも負担になっちゃいます。本当なら至さんに話して少し動き見直してもらった方が、」 「大丈夫、そんなにひどい痛みじゃないしなんとかなるよ。」
少しずつ分かってきたことだけど千景さんは無言の圧力を与えてくることがある。なんでかというとまさに今、他言無用だと眼鏡の奥の瞳が物語っている。言い方はきつくないのにちょっとこわい。
「さっきもリハーサル平気だったし変に気を使わせなくない。」 「それは分かりますけど、言っておくだけで…」 「必要ない。それにテーピング、自信あるんだろ?」
そんな風に言われてしまえば思わずもちろん!と返事をしてしまった。そのあとすぐ口角をあげた千景さんにうまく誤魔化されてることに気づく。彼はポーカーフェイスがうまい分隠せてしまうのがいいところでもあるけど悪いとこにもなってるんじゃないかなって思う。
「せめて主演の至さんかいづみさんにだけには言っておいてください。」 「しつこいな。」 「す、すごんだってだめですよ。もう私にはバレちゃったから諦めたほうがいいです。」
どこまでもかたくなな千景さんに押し負けないように負けじと私もくらいつく。こういうのは誰かサポートしてくれる人がいるっていう安心感だって大事なんだから。テーピングを終えて立ち上がり、まっすぐに千景さんを見据えた。
「千景さん、みんないるんだから頼れる人には頼ってください。」 「…。」 「無理して悪化したらどうするんですか…!」
知らず声が荒くなってしまうのは自分の怪我と重ね合わせてしまってるからかもしれない。伝わってほしくて、でもこれ以上はうまく言葉にならず色んな気持ちが込み上げて泣きそうになって思わずうつむいた。無理をしても誰がほめてくれるわけでもない、それを人に言うことは弱さでもないってことは怪我をしてから私自身が感じたことだ。それに頼ってもらえないって周りの人にとってもきっとさみしいと思う。
私を見上げている千景さんの視線だけ感じ沈黙が続いたあと、はぁと大きなため息が聞こえて立ち上がる気配がした。
「分かったよ。」
その声色はさっきと違い優しくて。パッと顔をあげると頭に手が乗せられた。
「監督さんと茅ヶ崎には伝えておく。途中で無理だと思ったらちゃんと言うよ。」 「っ、はい!」 「時間もないし俺が頷くまでつきまとわれそうだからな。」
そう困ったように笑った千景さん。諦め半分なんだろうけど嬉しくて私は約束ですよと見上げて笑った。もう行くよと背中を向けてドアに手をかけた彼がふと止まり、思い出したように少しだけこちらを振り向く。
「痛みだいぶよくなったよ。ありがとう。」
そんな小さな声が聞こえて今度こそドアが閉まる。
「私のほうがありがとうですよ…」
だって、今役に立てたって思ったとき後悔ばかりだった怪我をした経験をはじめて前向きに捉えることができたから。
そのあとの舞台はさすがの千景さん、ハプニングもなく終わることができた。あとから聞いたら至さんは気づいていたみたいで私が追いかけていくのを見たから様子をみていたらしい。私一人で慌ててちょっと恥ずかしくなったけど無事に終わったからよかったなって思う。
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「ということはいつもより打ち込み弱めになるってことですよね。」 「そうなるかな。」 「俺にとってはそれで丁度いいくらいです。最近まじで先輩の力強くなってきてたんで。」 「その分倒すくらいの気迫でいくからよろしく。」 「目が本気すぎてこわい…てかそのテーピングマリがやったんですか?」 「さっきね。」 「へ〜。」 「その顔やめろ。」
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