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次の公演の主演が茅ヶ崎さんだと聞いてから数日、隣のデスクでは毎日眠そうな彼の姿があった。いつも会社ではシュッとしているところしか見たことなかったからよっぽど稽古が大変なのかと少し心配にななってしまう。午後、そんな茅ヶ崎さんは今パソコンを見つめたまま静止していて。目を開けたまま眠っているんじゃとそろりを肩をたたいた。

「茅ヶ崎さん…?」
「っ、やばい意識飛んでた…」
「げっそりしてますよ。舞台大変なんですか?」
「うん今回は殺陣が多いんだよね。今まで運動を避けてきたツケがここできた感じかな。」

ははと笑い、あくび噛み殺しながら伸びをしているのを見る限り大変さがうかがえる。私は演劇のことは分からないけれど主演っていつもと違うプレッシャーもあるんだろう。

「あの私に出来る仕事あれば回してください。今けっこう手空いてるので!」
「今のところ大丈夫。でもほんとにヤバくなったら頼むかも。」

力なく笑った茅ヶ崎さんは横に置いてあるエナジードリンク手にとった。頑張れとか無理をしないでとか言うのは簡単で、言おうとしたけどでもこんなに見るからに頑張っている人に気安くかけていい言葉じゃない気がしてしまって口つぐむ。後輩の私に出来るのは仕事の負担を減らすことくらいしかできないから、自分のやれることをして茅ヶ崎さんを応援するしかないんだよね。

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さらに数日経って、今日。舞台のことは特に話すことなく私はひっそり応援モードに徹しているのだけど、なんだか今日は話しかけにくい雰囲気で疲れてとは少し雰囲気違うような気がして…って私ストーカーみたい。 いやいやでもあの姿みたら誰だって気になると思う。話かけていいものかどうか。

「1人で表情豊かだな。」
「う、卯木さん!?なんでもないです!」
「…ふぅん。まぁいいけど。調子はどう?」

お昼休みに入った瞬間気配もなく現れたのは卯木さん。突然何を言うかと思ったら調子どう?なんて怪しすぎて身構えてしまう。私だって伊達に1年一緒に働いてた訳じゃないのだ。

「 ぼちぼちですけど…何かあったんですか?」
「どうして?」
「いや卯木さんがなんの用もなく私のところに来るなんてないかなと。」
「…そういうところ意外と鋭いよなお前は。茅ヶ崎の様子はどうかと思って。」
「茅ヶ崎さん、ですか?」

そう、と卯木さんは私を見下ろす。同じ部屋に住んでいるんだから調子なんて私よりよほど知っているんじゃないかと頭に疑問符を浮かべながら質問に答える。

「毎日疲れてるなとは…でも今日は少しピリピリしてるかもしれないです。なんとなく、ですけど。」

私の答えを聞いた卯木さんはそうか、と少し考えるような顔をして少しの沈黙のあとに教えてくれた。

「今度の舞台、原作があるんだけど昨日そのプロデューサーに見てもらったんだ。その時にけっこうダメ出しをくらってね。初日も近づいてるしちょっと気になったから。」
「そうなんですか。だから…でもなんで私に?」
「劇団の関係者じゃない方が話しやすいこともあるからな。」
「私、でいいんですか?」
「七海くらいが丁度いい。能天気だけど空気は読めるだろ。それに茅ヶ崎と仲良いみたいだしね。」

さりげなくすごく失礼なこと言われてる気がしてならないけど途中のところはもしかして褒められているのかもしれない。分かりにくいけれど。そしてとにかく様子を見てきてくれと私の返事を聞かずに言い残して卯木さんはいなくなってしまった。卯木さんて案外世話焼きだったんだなって意外に思いながらその背中を見送ってから立ち上がろうとして、止まる。仲良いかもちょっと疑問だし完全な部外者の私が聞きに行っていいのかって。

**

悩んでいる間に卯木さんからここにいるはずと拒否権のないLIMEが届き、時間もないし意を決してその場所にやってきた。言われたのもあるけどやっぱり気になるから。声をかけてダメそうだったら帰ればいいし部外者だから言えることももしかしたらあるのかもしれないものね。

会社を出たすぐの公園の端ベンチにぼんやり座っている茅ヶ崎さんを見つけゆっくりと近づいていくと、少し離れた所からこちらに気づき隣のスペースを空けて隣を促してくれた。

「珍しいね七海さんが外に出てるの。」
「そうですね。…いえ実は茅ヶ崎さんが見えたので追いかけてきました。いつもと違うかなと思って、気になって。何かありました?」
「…。」
「や、やっぱり私帰ります!不躾にごめんなさい!」

もっと他に聞き方があるはずなのにテンパった私はなんのオブラートに包まずに思ったままを言ってしまった。たぶん1人になりたくてこんなところにいるのに…卯木さん、私には荷が重すぎますと心の中で思い泣きそうなりながら踵を返す。そのとき、手首を強く後ろに引かれ振り向くと茅ヶ崎さんは困ったように笑った。

「少し話してもいい?」
「…はい。」
「今の舞台、ちょっと行き詰まってて。」

元の場所に座り直すと茅ヶ崎さんは言葉を選ぶように話してくれた。理想のランスロット近づけるように全力でやってきたけれどプロデューサーには届かなったこと。自分にとってナイランはとても大事なものだってこと。私なんかが想像してたよりもずっとかけてる想いがそこにはあった。

「楽しみだって言ってくれたのにごめん。」
「私のことなんて気にしないでください。というか謝らないでください。まだできないって決まってないし日にちだってまだありますよ。」
「っ、」
「私が知ってるのは茅ヶ崎さんが実況とかやれるくらいナイランをやり込んでるオタクで、弟の受け売りなんですけどここまでやり込んでる人はなかなかにいないってことで。あと唯一やったことがあるゲームがナイランの私は、贔屓目でもなんでも茅ヶ崎さんのランスロットがみたいんです!だからあえて言っちゃいますけどもう少し頑張ってみてください。」
「七海さん…」
「何にも知らないのに勝手なこと言ってすみません。でもいづみさんも春組のみなさんもついてるし、茅ヶ崎さんならきっと大丈夫です。もっと完璧にして見返しちゃえばいいんですよ!って、なんの根拠もないし私に言われてもって感じだと思うんですけど、だからその…」

勢あまって話し始めたはいいものの終わり方が分からずグッと握った拳の行き先がなくなってしまった。というか今さらだけどこんな1人で熱くなって温度差あるんじゃないだろうか。話聞くだけのつもりだったはずなのにいつの間にか私の方が一方的に話しちゃって落ち込んでる人に暑苦しすぎるし茅ヶ崎さんそいうの嫌いそうだよね…いやでもここから軌道修正なんて無理なんだけども…

そんなことをグルグル考えながら茅ヶ崎さんの方を見れずに俯くと隣から笑い声が聞こえた。

「っ、はは」
「茅ヶ崎さん?」
「ごめん七海さんがすごい必死で悩んでるの馬鹿らしくなってきて。」
「そ、それはなによりです…」
「この前といい俺ダサいとこばっか見せてるよね。」
「そんなことは。」

茅ヶ崎さんはしばらく肩を震わせているものだから恥ずかしくなって視線を逸らす。すると彼はうん、と勢いよく立ち上がった。私もつられて向かい合うように立ち、見上げたその顔はさっきよりも晴れ晴れとしてるように見える。

「もう少し考えてみる。オタクは執念深いんでね。」
「はい。茅ヶ崎さんはすごいオタクですよ!自信持ってください。」
「ディスりじゃなくナチュラルな言葉なのになぜか胸が痛い。でも七海さんにカッコいいランスロットみせるって約束するよ。」

強い風が私達の間をザーッっと通り抜けていく。髪を抑えながら見えた茅ヶ崎さんの瞳はとても真っ直ぐだった。ほんもののランスロットみたいなんて吸い込まれるように見つめてしまうほどで時間が止まる。

そのとき、彼が一歩こっちに近づきそのまま頭が私の肩に乗った。流れるような動作に一瞬何が起きたのか理解できなかったんだけどハッと我に返るとふわふわした茅ヶ崎さんの髪の感触が首元あった。

「っ、あの…茅ヶ崎さん!?」
「ほんとありがとう七海さん。」

風に乗って小さな声で聞こえてきたお礼の言葉。ほんの少しでも力になれたのかな。そうだったらいい。肩に感じていた体温はすぐに離れていって次に見たときはもういつもの茅ヶ崎さんだった。休憩時間終わるから戻ろうかと先を歩き始めた背中を私は小走りで追いかけていく。

(肩、まだ熱いかも…)

なかなか収まらない動悸と肩の熱を感じながら。



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