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至さんはモテる。それは会社では周知の事実だしなんなら直接会う前から私だって噂で知っていたくらいだからいまさら驚いたりはしない。だけど今の私がいざその光景を目の当たりにした時に胸がモヤモヤしてしまうこととはまた別の話らしい。

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「マナは気づいてないけどモテてるよ。俺のとは違ってガチ勢が多い。」
「それ至さんの考察だよね?」
「いや事実だからね。マナが知らないところで返り討ちにあった男の屍があちらこちらに。」
「おおげさ!」

一緒に食事をしていると前触れなく突然至さんがそんな話を始たことがあった。思い当たるふしが全然なかった私はブンブンと手を振って否定して、それは彼氏の贔屓目だよなんて笑って。

「でさ、みんなに言っちゃわない?俺は会社に隠さなくてもいいと思ってるよ?」
「うーん、言うタイミング難しいからなぁ。」

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そんなやり取りがあったのはつい最近。社内恋愛は禁止じゃないから実際に結婚したり付き合っていたりする話はよく耳にしていた。それでもこの間ためらってしまったのはもちろん恥ずかしいのもあるけど、彼が異動になったり部下に手出したとか色々言われてしまうのではないかってことが頭をよぎったから。気にすることないって言われそうだから誤魔化してしまうけれど。目立つのも苦手だし隠していれるならそのほうが穏便に済むのではと思っていた。ほんのこの前までは。

「茅ヶ崎さんお酒飲みますかぁ?」
「あ、これ美味しいですよ茅ヶ崎さんっ。お皿くださぁい。」

今日は部署の若手の飲み会。ここぞとばかりに女性の社員が至さんの周りにいっていてボディタッチやらかいがいしく声をかけている。彼はそれに反応してるわけじゃないのにみてるだけで胸のあたりがモヤモヤモヤモヤ。

前はなんとも思わなかったのに好きっていうだけで人はこんなに変わるものなのかと心の中でため息をついた。見ないようにしたくてもどうしても視界に入ってくるのだから余計に気になって自分のテーブルの話が全然頭に入ってこない。

「でさ、今度マナちゃん飯でもどう?」
「いいですね。同期にも声かけてみますね。」
「いやいやそうじゃくて!」
「あ、グラス空いてますよ。メニュー取りますね。」
「さすが難攻不落のマナちゃん…」

私の隣は普段はほとんど関わりのなかった男の先輩で、今日はなにやらやたらと絡まれる。普段は悪い人ではないから冷たくしすぎるわけにもいかず押しの強さをさっきからなんとか笑顔でかわしてこと無きを得ていた。すると隣にいた同期がこそっと耳を寄せてくれる。

「先輩、酒癖あんまりよくないみたいだよ。めんどくさくなる前にトイレでも行って来なよ。適当にあしらっておくから。」
「あはは…じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。」
「任せといて!」

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こういうこと気にしてもこれからずっとつきまとう問題であって、至さんが私のことを好きといってくれてることは変わらない。他の子になびいてしまうじゃって不安になるっていうわけじゃないし飲み会なんて仕事の一環でもあるから割り切らないといけないよね。…なんて分かってはいても心はうまく納得してくれないのが難しい。

そんな風に考えながらトイレを出たときなぜかさっき隣にいた男の先輩がいて、いたいたと赤ら顔でこちらに近づいてきた。同期はいったいなにをやっているのやらと思わずため息をつきそうになったところをなんとかこらえ息を吸い戻して笑顔を作る。

「マナちゃ〜ん大丈夫?だいぶ飲んでたじゃん。」

細い通りで私を塞ぐような形で立っていて素通りすることができず苦笑いをしながら立ち止まる。この先輩の酒癖が悪いっていうのはあながち間違ってはないのかもしれない。

「全然大丈夫ですよ。」
「そっかー。ね、さっきの話しの続きなんだけど今度2人で飲み行こうよ。なんなら今日これからとか!」
「え、っと次みんなで行くお店確保してあるみたいですし。だから…」
「ゆっくり話したいんだよね。」

ジリジリと距離を詰められて逃げ場がなくなっていく。残念ながらトイレは次の人が入っていて出てくる気配がない。突き飛ばすこともできるけど会社の人たちもたくさんいるからできる限り穏便に済ましたい。

「それはまた今度っていうことで。」
「今日でもよくない?親睦深めちゃおうよ。」

そう言って手を掴まれてしまう。酔っ払いめと思わず手を引いたけど先輩は離してくれず、困り果てたときスッと先輩の手が離れていった。顔を上げるとそこにはいつのまにか眉を寄せた至さんが立ってい
た。

「飲みすぎ。七海さん困ってるよ。」
「茅ヶ崎?悪いちょっと今いいとこ…」
「いいとこなのはお前だけ。相手の顔見て。」
「あー、ごめん。ちょっとトイレで頭冷やすわ。マナちゃんもしつこくしてごめんね。」
「いえ…」

至さんの少し強い言い方に怯んだ先輩はハッとして、そのままトイレに入っていった。

「ありが、」
「もうちょっとちゃんと断ったほうがいいんじゃない?」
「こ、断ってたんだよ。それに酔ってるだけでいつもはいい人だし…」
「それでももう少し危機感持ったほうがいいでしょ。もちろん相手が悪いけど押せばいけるって思われてたのかもよ。」

珍しくトゲがある言い方にとっても不機嫌そうな様子の至さん。突然来て矢継ぎ早に怒られてお礼くらい言わせてよというのもあるし、アルコールの効果もあってそこまで言わなくてもいいんじゃないかとさらにさっきまでのモヤモヤが上乗せされてイライラに変わっていく。

「至さんだって人のこと言えないよ。私よりもいつもいろんな人に囲まれて誘われたりしてるでしょ。」
「俺はちゃんと全部あしらって、」
「私だってちゃんとあしらってたよ。お店の中でなにかされることなんてないと思うし先輩ではあるからいろいろ考えちゃっただけだもん。助けてくれなくてもなんとかできたのに。」

そう口にした瞬間目を見開いた至さん。

言ってしまったと思ったけど時すでに遅し。売り言葉に買い言葉。本当はちょっと怖かったし至さんが来てくれて安心したくせに出てきたのは可愛げがなさすぎるものだった。こんなのは私が勝手に八つ当たりしてるだけ。至さんは心配してくれただけと、そう思うのに素直に言葉が出てきてくれない。

「…でも今度から気をつけるね。」

うわべだけそんなことを言って、いたたまれなくなり視線をそらす。どうしたいのか自分でもよく分からなくなってるんだって思う。今はお酒も入ってるし誰がくるかわからないし冷静になれないしと背を向けた。その瞬間手首を掴まれて焦ったような至さんの声がした。

「マナ!まだ話は…」
「あ〜いたいたマナ!戻ってこないから心配したよ!」
「っ、ごめんごめん。じゃあ茅ヶ崎さん、お先に。」

そのとき思わず手を振りほどき、顔を見れないまま迎えにきてくれた同期に無理やり笑顔を向けて席へと戻るのだった。

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みんなに見せつけたいわけじゃない。ただ付き合ってると言わないってことは側から見たらなにも変わっていないっていうことに今さらながら気がついてしまった。

これはただのヤキモチだ。どうしよう、すごくめんどくさい怒り方しちゃったから嫌われたかもしれない。いい訳するならヤキモチなんてほとんど初めてで、自分でもこんなになるなんて思ってなかったからちょっと気持ちの行き場を失ってる感じ。

「マナ?二次会どうする?」
「今日は帰ろうかな。ごめんね。」

みんなでワイワイなんて気持ちにはなれず不服そうな同期の声を聞きながらカバンを手に取った。きちんと伝えないと分かってもらえないよね。帰ったらこの混乱した頭を整理しよう。それでちゃんと連絡して、誤って…

「茅ヶ崎さん行きましょうよ〜。」
「ごめん今日は予定があるんだ。」

今は聞きたくないそんな声をシャットダウンして足早に出口に向かう。世の中のカップルはこういうやきもきした気持ちどうしてるんだろ…

「こんな時間から予定ってなんですか〜?もしかして彼女!?」
「んー、それは…」

まずは飲み会控えるところからかななんて今後の対策をいろいろ考えながら人混みをかき分けドアに手をかけたときだった。

「マナ。」
「…え?」

名前を呼ばれ振り返ると、呼んだのが至さんだと気がついた。みんなの視線が一斉にこちらに向いて驚きすぎてフリーズしてる私のところに至さんが笑顔で歩いてくる。そして隣に立つとそのまま私の手を取って指を絡めた。

「実は俺たち付き合ってまーす。」

静まり返ったその場に至さんの明るい声が響いた。驚きすぎて勢いよく見上げればものすっごく笑顔のてへぺろ感満載の至さんがそこにいた。

「てことで今日は2人で帰るんでよろしくお願いします。行こうマナ。」
「いや、あの…!」

会社の王子たる至さんの爆弾発言に女の子たちは当たり前ながらすごい顔をしていた。そして2人でドアをくぐった数秒後、えー!?という大きな騒めきが聞こえてくる。私はといえば起こった出来事についていけずポカンとしたまま至さんに手を引かれるがまま歩いていく。

来週会社に行ったら想像してたよりもそれはそれは大変な目に合うのだけどこの時はまだ考えられてもいないのだった。

**

あとでゆっくり話すからと手を引かれタクシーに乗ってたどり着いた私の家。

「怒ってる?」
「驚きはしたけど…怒ってはないよ。」

お店からずっと繋いだままの手に力を込めて小さく笑えば安心したように至さんは肩を下げた。久しぶりに振り回れた感がすごいけど私はどうにもこの人に弱いらしい。でもおかげで気持ちも落ち着いたからか今ならちゃんと話せるかもしれない。私ははぁーっと息を吐いてから顔をあげた。

「今日、逆ギレしたりして態度悪くてごめんなさい。」
「全然。むしろ嬉しかったよ。」
「嬉しい…?」
「俺ばっかりやいてるのかと思ってたから。それにいつもはマナワガママ言ったりしないでしょ。だから嬉しかったかな。」

そして、さっきのことは私のこと安心させたかったからと言ってくれてなんだか全部見透かされていたみたいですごく悔しい。なんて言いながらもさっきまでのモヤモヤが嘘みたいになくなったのだから私はつくづく単純だなぁと思う。

「そういうのやじゃない?」
「やじゃない。むしろマナはもっといろいろ言っていいくらいだよ。」
「私めんどくさいかもしれないよ?」
「大丈夫、俺の方がめんどくさいから。だってたぶんマナより常日頃やいてるし今日だってあいつの隣に座ってるのみてるのだけでもやだったし、なんなら劇団のみんなにもやいてるからね。」
「そ、そうなんだ。」
「俺もさっきは突然怒ってごめん。誰にでも優しくできるマナが好きなんだけど、好きだから心配になるっていうか。だから変な男には気をつけてね。」
「…気をつけます。」

よろしいなんて私の頭をなでながら至さんが笑うからつられて笑って、触れるだけのキスが落ちてくる。顔を少し離して至近距離で目が合えばどくんと心臓が動いた音がした。

「私ね自分で思ってたよりもすっごく至さんのこと好きだったみたい。」
「…。」

自分がこんなにヤキモチ焼くことになるなんて思ってみてもなかった。それにいつだって一緒にいるだけでドキドキして前よりも好きだなってなっていくのは至さんだけだ。

「それは殺し文句。」

その言葉とともに背中に腕が周り強く抱きしめられて唇が重なった。

「っ、い、たるさ…」
「マナ…」

めずらしく余裕がないような、息ができなくなるくらいのキス。酸欠になるんじゃないかってくらいでだんだんと頭がボーッとしてきてしまい思わず胸をたたく。すると一瞬離れてその色っぽい瞳が細められ耳元に顔が寄せられた。

「煽ったのはマナだから。」

低く、甘い声に頭がしびれてく。そして私が言おうとする言葉は全部至さんに飲み込まれていってしまう。それでも、苦しいけれどイヤじゃないってことを伝えたくて至さんの首に手を回せばピクリと一時止まった後ふっと笑う声がした気がした。

その夜は至さんの体温だけを感じて2人の時間をたっぷり堪能することになるのだった。

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