追いかけたい背中

「異動かー。仕事だけど毎日マナに会えてたからちょっと考えられないな。」
「私も。でも同じ社内だからまったく会えなくなるわけじゃないよ?」
「…俺ばっか寂しがってるみたいなんだけど。」

隣に座っていた至さんは少し不貞腐れたようにこちらを見ると後ろに回ってギュッと私を抱きしめて首筋に顔を埋めた。くすぐったくて笑うと後ろから至さんも笑う声がする。

社内での急な異動が決まったのは先月のこと。ついさっきチームでの送別会ではがんばってねなんて爽やかに言っていたのに今は駄々っ子みたいになっていて相変わらずのギャップ。私だってもちろんさみしいけれどよく考えれば今までが恵まれすぎていた。同じチームで上司と部下、何をするにも一緒にいれたから。

「私だってさみしいし不安もあるけど…至さんのおかげでがんばろうって思えるよ。」
「俺の?」
「舞台もやってる至さん見てると私もやれることがんばらなきゃって思うし、あとね私のこと好きでいてくれてるなぁっていうの分かるから、だからさみしいけどあんまり不安になってないかのも。あ、なんか彼氏にのろけてるみたいになっちゃたかな…」
「…。」

至さんには困ってしまうこともあるけどいつも言葉や態度で好きって伝えてくれているから不安になったりすることはない。私が同じだけ返せてるか心配になるくらいだけどそれでもいつもそのままでいいよって優しく笑ってくれる。幸せの反面、余計に甘えすぎちゃいけないとも思うから今回はいいタイミングなのかなって。

返事がないことが恥ずかしくなって後ろを向こうと体を動かすと息を吐く声が聞こえてどうしたの、という言葉は至さんの唇に飲み込まれた。

「っ、至さん?」
「ちょっとマナがかわいくて。」
「そ、そんな感じのことは言ってないような…」
「俺も頑張れそうってこと。」
「そうなの…?」

そうだよ、と吐息がかかるくらい目の前でふっと柔らかく笑った至さんがもう一度キスを落として、私の頬に手を添えるとゆっくり撫でる。

「今日こっち泊まってっていい?」

ささやくような言葉と熱をはらんだままの瞳が私を捉えて離さない。いつまで経ってもこの距離に慣れなくて、どきりとしてしまう。慣れることはないんだろうしきっと慣れなくていい。恥ずかしいけれど幸せなこの体温が私は大好きだから。小さく頷くと背中に感じていたそれが離れ、正面に回った至さんが目を細め再び私の視界を塞ぐ。明日も仕事で本当なら断らなくちゃいけないと思いつつもやっぱり私も一緒にいたくて至さんに身をゆだねるのだった。

**

「こんな変な時期に移動なうえ前の部署に出戻りするのってなかなかないですよね。」
「そうかもね。人手不足だから例外だな。」
「人ごとみたいですけど卯木さんが私を指名したって聞きましたが!」

出勤そうそうに詰め寄ればなんで知ってるのかという目を向けられるけど女の子の噂をなめてもらっちゃ困る。辞令の季節でもないし今のところで長くやっているわけでもなく若手の中に入る私になぜ白羽の矢が立ったのかどうにも不思議でちょっと聞き込みをしてみるとどうやら卯木さんがぜひ私をと人事に打診したらしいことが分かった。

「指名じゃなくてたまたま人事の人と話してた時に七海が向いてそうだって話しただけだよ。そんなに茅ヶ崎と一緒がよかった?」
「そ、そういうわけじゃありません!」
「じゃあ問題ないな。」

そうだった、この人はこういう人だった。のらりくらりと会話をかわした卯木さんは爽やかすぎる笑顔を向けると早々に仕事の話を始めた。そうしてとめどなく説明されるそれは初日とは思えないほどの仕事量で思わず絶句していると自分は上着を持って立ち上がった。

「仕事やりやすいっていうのは本当。頼りにしてるよ。」

卯木さんに認められたみたいでうれしくてグッと言葉に詰まる。このやろうと思うことも多いし新人のときのトラウマもあるけど仕事に関してはやっぱり尊敬しているから。なんだかんだと海外のプロジェクトが多いこっちの部署は他よりも大変なこともあるけどやりがいもあるからやる気は十分。打ち合わせに行く卯木さんの背中を見送って私は自分の仕事に取り掛かかった。

至さんと付き合うようになってから考えるようになったこと。私には何か輝けるようなものがあるのかなって。舞台にたっている至さんは生き生きとしていて楽しそうで、そしてイヤだといいつつも仕事もきちんとこなしてモチベーションの差すらあれ両立していてどんどんかっこよくなっていってる。そんな姿をいつも隣で見ていて眩しく、同時にうやましいなって思った。そんなときに今度の異動話。ワーカーホリックではないけど頑張っただけ返ってくる仕事はきらいじゃなくてむしろ好き。だから楽しいって思えるくらいに一生懸命やってみたらなにか変わるんじゃないかって思った。ただ2人の時間に浸っているだけの彼女じゃいたくないから。


**


「久しぶりのこの疲労感…」

異動になってからというもの連日徹夜とまではいかないけど次々と襲いかかってくる仕事に対処していると風の速さで1日が終わっていく。頑張ると決めても具体的にどうするかいまいち掴めない私はとにかくやれるだけのスピードでこなしてみようと取り組んで、気がつけば至さんともLIMEだけになって会えない日々が続いていた。

「まだ残ってたのか。」

ビクッと肩をあげると外回りから直帰のはずの卯木さんが帰ってきたところだった。

「来たばかりなんだからあんまり飛ばし過ぎるなよ。」
「大丈夫です。」
「俺が茅ヶ崎に怒られるんだよ。」
「至さんに?」

予想外の言葉に顔をあげると苦笑いをした卯木さんと視線が交差する。

「同じ部屋だからね。七海と全然連絡取れなくなったから無理させてるんじゃないかって毎日うるさい。」
「無理してるつもりは…」
「何に焦ってるかは知らないけどあんまり心配かけるなよ?」

卯木さんもそう思うほど焦ってるように見えてしまっているのだろうか。少しずつひっそりがんばろうと思ってたのに心配かけてしまっては意味がない。自分で言うのもなんだけど変に真面目なところがあるからか加減って難しい。

でも至さんが会えない間も気にしてくれていたことはやっぱりうれしくて無意識に顔がほころぶのを感じた。頼りすぎないようにと考えないようにしてたのに無性に至さんに会いたくなってきちゃったな。たった3週間くらいしか経っていないのにずいぶん声を聞いてないように思えてしまう。そのくらい至さんの存在は私の中ですごく大きいものなんだって今さら思い知った気がして。誰も居なくなったオフィスで切ないくらいの募る想いを吐き出すようにため息をいた。

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