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「至さんの教えてくれたカレー屋さんすごく美味しかったです!教えてくれてありがとうございます。」
「いえいえ。てかもう行ってきたんださすが。」

会社の近くに新しくカレー屋ができてそこがなかなか評判がいいと監督さんに教えたのが昨日。次の日の夜にさっそく報告があるあたりカレーのこととなると行動が早くていつもながらに感心してしまう。帰ったときひどくご機嫌で鼻唄でも歌い出しそうな監督さんは俺の前に座るともうひとついいことあったんですと明るい声を出した。

「相席したOLさんが私と同じくらいのカレー好きさんだったので、話が盛り上がって仲良くなったんですよ。」
「へー、監督さんと同じくらいってすごいね。」

それを聞いて思い出したのは春からうちのチームにきた七海さんの顔だった。

先輩のチート感を彷彿とさせる仕事のできる、監督さんと同じくらいカレーが好きな子。他の女子社員とは少し違い、柔らかい雰囲気の見かけによらずハッキリ意見を言ってのけたりする姿は凛としていて会社で周りの顔色を見がちな俺にとってはカッコよく映った。そしてなにより俺のゲーマーの一面を知っても引くどころか羨ましいと言ってのけた面白い後輩だ。

「なに笑ってるんですか?」
「え、俺笑ってた?」
「見間違いじゃなければ。」

監督さんがお茶を飲みながら不思議そうに首をかしげる。笑っていたなんて自覚はなかったから思わず口元に手をやってこほんと咳払いでごまかしてお茶をすすった。

「後輩にもカレー好きがいるからさ。意外とカレーの民は多いのかなって思って。」
「きてますねカレーブーム!でも、至さんがそんな顔で会社の話するの珍しいですね。」
「そう?」
「そうですよ。むしろ会社の人の話なんてほとんどしないイメージだったので。」

言われてみれば。会社では当たり障りなく過ごしてるから特別仲良くなる人はほとんどいない。その結果わざわざ家に帰ってまでする話ってないし。

「ちょっと安心しました。」
「なにが?」
「会社に至さんが少しは気を許せる人がいるんだなって。」

気を許せる、か。確かにそうかも。ゲームをやらない女の人にあんな風に言われたのはほとんど初めてだったし、それからも態度を変えずに接してもらえるのは単純に嬉しいって思う。

うちの部署で七海さんの人気があるのはかわいいっていうのもあるけど、明るくて誰に媚びるでもなくフラットに接することができるからなんだと仕事で一緒にいる時間が長くなって分かったことだ。本人に自覚があるかは別としてだけど。そんなことを考えながらニコニコしてる監督さんに、前よりは居心地悪くなくなったかなと小さな声で言うとなんとも生暖かい目を向けられて俺はそれを受け流しつつスマホに視線を落とした。

**

「ふぁ〜、おはよ咲也。」
「おはようございます!あの…起きたばっかですみません!今日もし時間あったらストリートACT行きませんか?」

徹夜ゲーム明け、昼に起きてあくびをしながら談話室に入っていくと咲也が俺を見つけるなり駆け寄ってきてそんなことを言った。しばらく公演をしてないからかやりたくてしょうがないといった様子の咲也にこんな顔で頼まれたら断れるわけもなく。

「いいよ。準備するからちょっとまってて。」
「ありがとうございます!」

二度寝したいんだけどと言う言葉をぐっと飲み込んでまずは起き抜けの顔を洗いに洗面所へ向かうことになったのだった。

**

休日の賑わっている天鵞絨商店街の中でのストリートACT。こんな休日、劇団に入ったばかりの頃は想像もつかなかった。ゲームを返上して出かけることも、こうして拍手してをもらえることが嬉しくて楽しいと思うことも。まして今のほうが充実してるなんて人生何が起こるかわからない。

挨拶をしながらお客さんを見回すといつのまにか見学していたらしい監督さんがやってきた。そしてなんと驚くことにその隣には七海さんが立っていて思わず二度見した。そういえばこの前カレー仲間ができたって話聞いたばかりだったからきっとそういうことなのだと思い当たる。カレーが引き寄せた縁とでもいうべきかなんて偶然なんだろう。それにしても目の前の2人は出会ったばかりだとは思えないほど仲がよさそうだ。

「ちなみにさっきのどうだった?」
「茅ヶ崎さんすっっっごくカッコよかったです!周りに景色が想像できるっていうかその世界に入ったみたいになって…もっと見てたかったです!あと騎士様役もピッタリで、白馬に乗ってそうでしたよ!」
「そっか。」
「あれ至さん照れてます?」

軽い気持ちで感想を聞いたら思った3倍くらいの熱量で褒めてくれてたもんだから思わず視線をそらしてしまった。だってまっすぐで前のめりに目を輝かせる七海さんの反応はお世辞じゃないって思えるからかなんだか余計に照れ臭い。会社の人には見に来てもらったこたがあるけどこんなに恥ずかしいものだったっけ…?

俺の反応をからかう監督さんを平静を装ってかわしながら七海さんの楽しそうな姿を見て、彼女のはじめてのストリートACTが俺でよかったと心の隅で思ったのだった。

**

バイトに行く咲也と買い物に行く監督さんを見送って七海さんを駅まで送っていく道すがら。話題になったのは監督さんや春組のみんな、俺のゲーム中心の生活についてなどなど。こんなに自分のこと話すのってあんまりないけど七海さんには自然と言えてしまうのが不思議だった。

「よく劇団のみんなには会社で仕事してるの想像つかないって言われるよ。」
「そうなんですか?…と言いたいところなんですけど色々聞いたらちょっと納得しちゃいます。」
「あはは、でしょ。」

ゲーマーなだけでなく寮での俺のことも知ったのにやっぱり七海さんは幻滅したりする様子もなくむしろ楽しそうに肩を揺らす。その姿を見ると裏の顔隠さなくてもいいんじゃないかと錯覚しそうになるけど今までの周りの反応が頭に浮かんで七海さんがレアキャラなんだと考え直した。だから駅にたどり着いたとき、バレたのが七海さんでよかったと言うと彼女は少し驚いたように俺の顔を見上げる。目をパチパチと丸くしたその表情に、思ってることが全部顔にでるタイプなんだなと思わず口角が上がってその小さな頭に手を乗せた。

「あ、ありがとうございました。また明日会社で。今度機会があれば舞台見に行かせてください。」
「いつでも来てよ。チケット用意するから。」
「はい!じゃあお疲れさまです。」

改札をくぐっても手を振る律儀な七海さんに手を振り返してホームへ消えていくのを見送ってから踵を返して駅に背中を向けた。

空は夕焼けからまもなく夜空に変わろうとしているところで、帰ったらちょうど夕飯くらいかもしれない。お菓子は怒られそうだからコーラでも買って帰ろうかなと歩き始めるとちょうど前の方からバイト帰りらしい紬がこっちに向かってくるのが目に入った。

「至くん今日は一日ダラダラするって言ってなかった?」
「そのつもりだったんだけど起きぬけで目をキラキラさせた咲也に会っちゃって。予定変更でさっきまでストリートACTしてきたとこ。」
「あはは、そうだったんだ。」

俺もやりたかったななんて相変わらず演劇バカな紬に笑っていると、こっちをじっと見つめて何か言いたげな意味深な瞳と目があった。なに?と言うと紬は少し言いづらそうに口を開く。

「さっきのって彼女だったりする?」
「え?さっきのって…あぁ会社の後輩だよ。」
「そうなんだ。なんだてっきり彼女なのかと…」

いきさつを聞いた紬は偶然ってすごいと感心すると同時に少し残念そうな顔をしていた。どうやら俺から初めて浮いた話を聞けると思ったらしい。そりゃあ話せるものなら話したいけど寮以外ではかなり外面を作ってるし、その上引きこもりぎみな俺にはなかなか縁のない話だ。よく合コンしてる和成のほうがよっぽどネタは持ってるんじゃないだろうか。女の子に興味ないわけじゃないけどね。

そんな風に言うと紬はそれもそうだね、なんてなかなか失礼な反応を返してくるあたり普段の俺の評価が垣間見える気がした。

もうすぐで寮にたどり着くというところで聞こえてきたのは夕方の鐘の音色。子どもたちが家に帰るのを知らせてくれるこの音は、普段は仕事でなかなか聞くことができない。だからこれを聞くと俺にとっては休みが終わって現実に引き戻される合図だったりする。

「は〜これ聞くと明日も仕事だって思うよね。」
「至くんからそれ聞くと日曜日って感じするね。でもいつもより嫌そうな顔してないんじゃない?」

いつも日曜日のこの時間は明日からの仕事のことを思い出していやだいやだとみんなに絡むのが週末恒例だった。でも言われてみれば口には出したもののいつもより憂鬱な気分になっていないような気がして、そんな自分に少し驚いた。

「今日ストリートACT上手くいったからかな。」
「へー!お客さんさんの反応よかった?」
「そうだね。けっこう喜んでもらえたかも。」

話をしながら頭に浮かんだのは身振り手振りで感想を伝えてくれたり俺の話を楽しそうに聞いてくれた七海さんの笑っている顔で。

そっか、会社が憂鬱なだけの場所じゃなくなったのはきっと…

自分の中の変化の理由に気づいてスパイスの香りがしてくる玄関のドアを開けながら小さく笑った。

「さ、監督さんの新作カレー食べて明日の準備でもしますかね。」
「すごい、ちゃんとしたサラリーマンだね。」
「紬の中の俺とは一体。」
「あ、ごめんごめん。」


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