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気持ちを自覚したはいいものの、ひとまず保留!というのが悶々と考えぬいた私の結論。一緒に仕事をしている以上何かあったとき働きにくくなっちゃうかもしれなしいし、なんて言い訳するのは単純にちょっといっぱいいっぱいでそんな余裕がないというのが正直なところだったりする。だって、社内で一二の人気を争う茅ヶ崎さんだ。そんな人とどうにかなろう、なんてところまでとても私には考えが追いつかない。変に意識しないように意識しつつ(?)今のところはやっていきたいなって。

チームリーダーのデスクで話の最中にそんなまったく関係ないことを考えていたら肩をたたかれハッとした。

「そんなわけで今日の会食俺の代わりに茅ヶ崎が行くことになったから。堅い感じじゃないしとりあえず酒好きのおっさんなんで飲ませとけばなんとかなるよ。よろしくな。」
「分かりました。じゃあお酌がんばってきますね。」

今日の夜は取り引き先との会食。行けなくなった主任の代わりに抜擢されたのは茅ヶ崎さんだった。2人でなんて少し緊張するけどこれも仕事なんだからと頭を切り替える。

主任は飲ませとけばと簡単に言うけれどそういう人って大体人にも飲ませたがるような気もするからたぶん私も頑張らないといけないやつだと思う。気持ちよく飲んでもらってこれからもよろしくお願いしますと笑顔で別れられれば任務完了だと先輩は豪快に笑った。

ちょうど昼休みだから軽く打ち合わせしとけと言われて席に戻ると茅ヶ崎さんは背伸びをしながら夜の話?と顔をこちらに向けた。

「いくら経費とはいえ会食ほど憂鬱なものはないよね。」
「サラリーマンの宿命ですね。私お酒強いほうなので今日は任せてください!」
「さすがに今日は逃げられないから俺も頑張ることにするとしますか。あ、またドブだ…クソ。」
「あはは、ご愁傷様です。」
「いいね七海さん専門用語分かってきたね。てことでこれ、またお願いします。」

言われてみればすっかりゲーム用語が浸透してきてしまった私。慣れって怖いと思いながら差し出された携帯のボタンを押した。そして茅ヶ崎さんはよっしゃと小さな声でガッツポーズを取っていて相変わらずゲームのことになると無邪気だなぁと笑みがもれた。それから会食をスルーしても良好な関係を築く卯木さんみたいになるにはどうしたらいいのかなんて話をしつつ、軽く相手の会社について情報収集して夜に備えるのだった。

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会社を出る直前、なんならお店に入る前までは行きたくなさそうな顔をしていた茅ヶ崎さんだけど先方を前にしたら営業スマイル全開で接待していて、その変わり身っぷりに私は改めて感心した。当たり前だけどさすが営業のザ、サラリーマンだ。

「ここの日本酒は種類が多くてね。七海さんも注いでばかりじゃなくて飲んで飲んで。」
「はい、ありがとうございます。」
「いただきます。」

噂通り酒好きのおじさまたちはすごい勢いでビールを飲み、そのまま日本酒へ突入。私たちにも次々に勧めてくれてしかもすごくおいしいのでついお酒が進んでいく。接待とはいえ食事もお酒も普段行かないようなお店を堪能できるっていうのはラッキーだなって思う。茅ヶ崎さんは上手くかわしていて私とは違って全然飲んでいないみたいだけれど。ときどきこちらを気にしてくれてくれてそのたびに大丈夫ですよと返事をしつつ会食は和やかに進んでいった。

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中途半端にお酒が強いと飲み過ぎてしまうなんていうのはよくある話なのかもしれない。私はずっと注がれるがままむしろ積極的に飲んでいたらだんだんと酔いが回ってきていつのまにかほろ酔いを通り越してしまって。なんならちょっと気持ち悪い。無理強いされた訳じゃないから100%自分のせいなのはわかってる。でもご飯もお酒もすごく美味しかったんだもん。先方もお酒が飲める人の方が嬉しいと上機嫌だ。とはいっても笑顔をキープするのもそろそろギリギリなくらいにはきてる。

「最後に一本入れてお開きにするか〜。いやぁこんな飲める子たちがいたなんていつもより飲み過ぎちゃったかもなぁ。」
「そう言ってもらえると嬉しいです。最後一本頼みますね。」

やっと終わりと思ったと同時もう一本かと内心げっそりした。適度って難しいなぁと思いながらなんとか平静を装い早く終わるようにと早いペースでお酌をする。長い会食がやっと終わりを迎えそうだ。

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お店を出て歩いたことでいろんなものが胃のところからぐっと持ち上がる感じがするし頭がぐわんぐわんしてきた。気力を振り絞って最後挨拶をしたけれど何を言っているのか自分ではよく分からなかった。おじさまたちが笑っているのが見えて私の任務はなんとか終わったんじゃないかと思う。

先方を乗せたタクシーがいなくなったとき、もう私はかなり酔っ払っていていて自分で言うのもなんだけど判断力がかなり低下してた。なんだかこの前風邪ひいたときのデジャブ感がすごいかも。こんな直近で茅ヶ崎さんにまた迷惑をかけるわけにはいかないと顔を上げて足を踏み出した。そんな気合いとは裏腹に足には力が入らず膝が抜けて体が落ちてしまった。転ぶと思った瞬間に支えてくれたのは茅ヶ崎さん。

「もしかして気持ち悪い?」
「わたし、よってるかもしれません!」
「はは、だいぶキテるね七海さん。ごめん平気そうだったから止めるタイミング逃した。」
「だいじょうぶです…すいません日本酒が美味しくてきがついたらこんなになって…」
「よくあれと同じペースで飲めたよね。でも向こうは楽しそうだったからグッジョブだよ。」
「ちがさきさんなんでそんなに平気なんですか…?」
「俺はあんまり飲んでなかったからね。」

茅ヶ崎さんて羽目外したりすることあるのかな。あ、ゲームしてるときか。まったく酔いを感じさせない茅ヶ崎さんを恨めしく思いつつ気を張っていたのが解放されたからか酔いが増してきてしまった。ちょっと気持ち悪いけど茅ヶ崎さんの前で今は死んでも吐くわけにはいかない。会食で酔い潰れるなんて社会人失格だ。あげく先輩に迷惑をかけて(しかも2回目だし)。謝る私に茅ヶ崎さんは優しくて道の脇に座らせてくれるとタクシーを拾ってくれた。これ以上そそうをする前に早く退散しないと。

「じゃあ私はこれで…」
「はい奥詰めてー。」
「っ!?」

お疲れさまですと言おうと思ったとき後部座席に茅ヶ崎さんが乗り込んできた。大丈夫だと訴えたけど聞いてもらえずそのままドアが閉められてしまった。

「じゃあ帰ろうか。」
「おてすうかけてすみません…」
「そんな手間じゃないよ。このままだと七海さん行き倒れそうで心配だしね。」

こんなに飲んだのはいつぶりだろう。うちまで送ってくれるなんて私がこんな状態じゃなければ嬉しい出来事なのに。茅ヶ崎さんはやっぱり優しいな。

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日本酒は後から回ってくると思う。

マンション着いたよと声をかけられ立ち上がりタクシーを出るとぐるぐると世界が回っていた。さっきよりもこれはなかなかやばい。頭では分かっていて、それでも家までは真っ直ぐ帰らないとと思うんだけど行動が伴わない。2、3歩歩いてみたら足が思うように進まなくてなぜかふらふらと横に進んでしまう。マンションの入り口までがものすごく遠く感じる。目の前に見えている砂漠のオアシスみたいだ。でも感覚は波に乗ってるみたいにゆれている。

「はははっ…、七海さん面白すぎ。」

後ろから笑い声が聞こえて振り返ると去っていくタクシーと私の鞄を持って爆笑している茅ヶ崎さんが立っていた。

「くっそワロタ。絵に描いたような酔っ払いの千鳥足だね。はいこれ忘れ物。」
「え、あかばん!ごめんなさいっ!タクシーいっちゃった…」
「ここまできたから最後まで送ってくよ。七海さんの部屋どこ?」

まともな思考ができないなりにここまでしてもらっては申し訳なさすぎるとなけなしのモラルが働くものの言葉が出てこない。会社で任せてくださいなんて言ったのは誰だったんだ。うん、わたしだよね。いくら会食がうまくいっても最後がこれじゃ全然よくない。でもちょっと嬉しい。乙女心はすごく複雑だ。

玄関までねと笑う茅ヶ崎さんとエレベーターに乗ってその上荷物まで持たせて家の前まで来てしまった。それにしても家に着く安心感からか気持ち悪さの後、今度はものすごい眠気が私を襲っている。これはこのまま何もしないで寝ちゃうパターンだなぁなんてぼんやりした頭で思った。

「なんだかいろいろとすいません。」
「ちゃんと鍵かけてね。」
「ふふふ、だいじょうぶです!もうこのまま床で寝ることにしました。」
「いやいや七海さんそれはマズイでしょ。また風邪ひくよ?それに俺が出てから鍵くらいはかけないと…」
「玄関で警備しますので問題なしです〜ほんとうにありがとうございました。おやすみなさい。」

バタンと靴を脱いでそのまま玄関にダイブした。動く体力はもう残っていない。茅ヶ崎さん流に言うならHPゼロだ。明日はお休みだし女としてどうなのかっていう問題は置いておいてとにかく眠りたい。反省は朝起きたらじっくりやろうと思います。冷たいフローリングを感じ半分夢の世界に入った私は瞼を閉じる。焦ったような茅ヶ崎さんの声が聞こえたけど瞼が重すぎて目を開けることができない。

「おつかれさまでしたぁ。」
「まじか。」

あ、上の方からため息が聞こえる。幻滅されちゃったらやだなぁ。茅ヶ崎さんといるとドキドキするのに反対に居心地がよくてなんだか気が抜けちゃうんだよね。不思議。そうしてパタンとドアの閉まる音がする。あぁ茅ヶ崎さん帰ったんだななんて少し安心して少しさみしくなる。本当ならこんな時間だし泊まっていきますかと言いたいところだけどさすがに色々と問題があるから無理だった。酔っ払いなりにそれくらいは考えられる。それにしても送らせてろくに挨拶もできないなんて今日の私は本当にどうしようもない。

「ちょっとごめん。」

突然居ないはずの人の声がしてふわりと身体が浮くような感覚。あれ茅ヶ崎さんは帰ったはずなのに。どうしてこんな近くに声が聞こえるんだろう。

自分は動いていないのに身体がゆれている。それはとても心地のいい揺れだ。耳のそばでゆっくりとした心臓の音が聞こえてくる。抱き抱えられているのだと悟ってあぁこれは都合のいい夢なんだなって思った。

すぐに慣れたベットに身体が埋もれいよいよもって意識が遠のいていく。もしこれが夢だったら茅ヶ崎さんはこのまま消えてしまうんだろうか?やだな、もうちょっとだけ一緒にいたい。そんな風に思って、確かめるみたいに去っていく茅ヶ崎さんの服をつかんだ。

「え、」
「ちがさきさん…まだ…」

驚いた声と一緒におそらくよろけてベットに引っ張られた茅ヶ崎さんの身体がマットに沈む音。そして傍に気配がした。



行かないで



この言葉はきっと声にはならなかった。夢だから言えると思ったんだけどなかなかうまくはいかないみたい。

「マナ。」

意識を手放す直前にうっすらと聞こえてきたのは私が好きな少し低くて柔らかな茅ヶ崎さんの声だったような気がする。頭をなでられているような感覚が気持ちよくて、なんていい夢なんだろうって思った。飲み過ぎも悪いことばかりじゃないかもしれないね。

このしあわせな気持ちを明日も覚えていられますように。

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