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早いもので新しい課になって約半年が過ぎようとしてる。チームで動くことが多い中私は主にサポートを担当することがほとんどだったけれど今回初めてメインで大きな仕事を担当することになった。いつもとは逆でサポートしてくれているのは茅ヶ崎さんだ。そして今日は成功するかどうか運命がかかっているプレゼンの日で、ものすごーく緊張してる。

今回は大きな商談で、相手が外資系のため今回は海外取引の多い卯木さんも入ってくれていて。鬼のように細かいチェックを入れられて逆ギレしたくなったのは言うまでもない。でもそのおかげでやっぱりプレゼンのクオリティを上げることができたから感謝しなきゃいけないし、悔しいかなまだまだ届かないと痛感させられたのだけれど。

「よしっ、行きましょう!」
「七海さん戦場に向かう兵士みたいだね。補正魔法かけてあげたいわ。」
「バーサクってやつですね!ぜひお願いしたいです。」
「…緊張しすぎて七海さんが壊れた。」

私だって知識くらいはあるんですよと言うとそういうことじゃないんだけどと茅ヶ崎さんは笑った。ノートパソコンを握りしめて勢いよく立ち上がると突然に感じた目眩。

「っとと…」
「大丈夫?そういえば顔色悪いんじゃない?」
「緊張しすぎですね私。」

なんなら数日前から緊張しているからか食欲もないし、頭がぼーっとする。でもそれもあと少しの辛抱だ。倒れるにはやりきってからじゃないと、なんてね。

「2時間後にはもう解放されてるよ。俺もいるから分からないところはサポートするしいつも通りやれば成功間違いなし。」
「はい、頑張ります!」

少し心配そうな目を向ける茅ヶ崎さんに大丈夫です、と鼻息荒く返事をしていざ会議室へ向かう。

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プロジェクターを準備してパソコンの確認をしてるとドアが開き入って来たのは卯木さんだ。

「すごい顔してるな。」
「なにか変ですか?」
「体当たりでもしてきそうな勢いだと思って。」

そう鼻で笑われた。いつもなら反撃するけれど今の私は余裕がないから受け流すことにする。隣で茅ヶ崎さんが笑っているのだって気にしない。準備も終わってよし、とパソコンを閉じたときペンが転がり手を伸ばすと卯木さんの手にぶつかってしまった。

「あ、ありがとうござます。」
「…お前もしかして、」
「今日はよろしくお願いします。結構つつかれるって聞いたので何かあった時は…」
「あぁ、まぁ茅ヶ崎もいるから大丈夫だろ。」

私の食い気味な返しに卯木さんにしては歯切れの悪い返事のような気がするけれど気にする余裕もなく、ほかの人たちも揃って来たので背筋を伸ばして深呼吸をした。

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手に汗握りながらもプレゼンは滞りなく進み、質疑応答も無事終了。そこから話し合いが進んだ結果商談成立の運びとなった。よろしくお願いしますと言われた時にはガッツポーズしたいくらいだったけど、気持ちをぐっと抑え私は出来るだけ上品に微笑んだのだった。

「みなさんお若いのにすごいですね。もしよかったらこのまま食事でもいかがですか?」
「あ、はいぜひ…」
「ありがとうござます。私と茅ヶ崎でぜひ行かせていただきます。申し訳ないんですが七海はこのあと仕事が残ってましてまたの機会に。」
「え…卯木さん私は、」

行きたいですと言いかけたんだけどさらに会話を被せてくる卯木さんに何も言えず、というか睨まれてなぜか私以外のみなさんで会食する流れになってしまった。一体なんだというんだろう。仕事なんてもうないし労ってくれたとか?いやまさか彼に限ってそんなことはない。断言できる。

卯木さんが言葉巧みに相手を不快にさせることなく約束を取りつけ出口へ向かっていく。口を開く隙のないままお見送りをしてドアが閉まった後卯木さんが振り返った。そして私を見下ろすとわざとらしくため息をつく。

「お前熱あるんじゃないのか?」
「え?いやいや、熱なんて…」

ある訳ないじゃないですかといいかけて気づく。確かに身体が異様にダルくて頭が痛いかもしれない。ただ緊張してるだけだと思っていたから無視していたけれど。そうか、これは風邪だったんだとなんとも馬鹿っぽい考えが巡っていく。

そして伸びてきた手が私の額に触れた。蛇に睨まれたかえる状態で反論できなくなった私はあははと苦笑いすることしかできなかった。

「これでよくプレゼンなんてできたな。茅ヶ崎、とりあえず医務室。」
「ですね。行こう七海さん。」
「大丈夫ですよこれくらい…ちょ、茅ヶ崎さん!」

茅ヶ崎さんは強引に私の腕を掴んで歩き出す。熱を自覚したからかだんだん足元がおぼつかなくなってきて、強く掴む腕とは裏腹にゆっくり歩く茅ヶ崎さんについて行く。振り返ると後は俺がやっておくと卯木さんは片手を上げた。こんなに気遣ってくれるなんて後でなにか要求されてりしないだろうかと熱でぼんやりとした頭で思ったのだった。

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一旦自覚してしまうと具合は悪なって行く一方で。医務室に着く頃には軽い震えとひどい頭痛が襲っていた。平気だったのは緊張ゆえのアドレナリン効果だったのだろう。

茅ヶ崎さん表情の読めない顔で私をベットに座らせるとちょっと待っててとどこかに行ってしまった。もしかしてさっきから思ってたけど少し怒ってるような…この前のお月見のときのよく読めない感じではなく明らかに…だって全然こっちを見てくれない。

「机にもう少しで戻るって書いてあったからとりあえず体温計入れて横になって。」
「はい…」

帰りますと言いたかったけど有無を言わせないような勢いに押されてもそもそとベットに横になると布団がかけられる。ピーと音が鳴って体温計をみると39度と表示されていてそれをみた茅ヶ崎さんは険しい顔になった。

「茅ヶ崎さん…あの迷惑かけてすみません。本当に自分じゃ全然気づかなくて…ご飯も行けないし、お、怒ってます?」
「怒ってないよ。」
「でも、」
「本当。」

ベットサイドの椅子に座った茅ヶ崎さんとやっと目が合うと、小さく息を吐いた後困ったように笑った。

「怒ってるんじゃなくて気づいてあげられなかった自己嫌悪。朝からずっと一緒にいたのに無理させてごめん。先輩よりも俺が気づくべきだったのに。」

卯木さんが分かったのはたまたま手が触れたからだし、もし朝から体調が悪くても私はきっと必死に隠したと思う。だから茅ヶ崎さんが気をもむ必要なんて全然ないのに。

「自己管理できなかった私が悪いので気にしないでください。逆に会議終わるまで気づかなくてよかったです。」

なるべく明るい声でそう言って笑うと七海さんらしいねと茅ヶ崎さんは目を細めた。

「茅ヶ崎さんが隣に居てくれると安心するんです。」

余計なことを言ってしまったのではと気がついたのはでキョトンとした茅ヶ崎さんの顔が見えたから。勢いあまったとはいえ間違ったことは言ってないけどなにも言わない茅ヶ崎さんに急に恥ずかしくなってきて誤魔化そうと言葉を続けた。

「あのつまり茅ヶ崎さんのおかげで上手くいったというか…っ!」

身体を起こして続けた言葉は伸びてきた手が額に当てられたことで遮られる。そのまま押されて再び背中がベットに戻ると熱い、なんて言って茅ヶ崎さんとの距離が縮まっていく。冷んやりしたその手を感じながら綺麗なその顔が目の前に迫り、金縛りみたいに動かなくなってしまった私はただ大きくなっていく自分の心臓の音を聞いていた。

息がかかりそうなくらい近くになったとき、後ろの方でドアの開く音がする。

「っ、ごめん。」

パッと離れた茅ヶ崎さん。立ち上がると戻った看護師さんに事情を説明して今日はゆっくり休んでと言って足早にいなくなってしまった。寝ている私には彼がどんな顔をしていたのか見ることが出来なかった。

「ごめんなさいね〜熱高いんですって?って顔も真っ赤じゃない!少し休んでから帰った方がいいわね。」

元気のいい看護師さんがそんな風に言ってくれてもらったアイスノンを枕にする。このとき言われたことはほとんど聞こえていなかったのだけど。

熱確認してくれたわけじゃないような…
ごめんてなに…?

考えたいことがたくさんありすぎるのにさらに上がってしまった熱のせいでキャパオーバーになった私はまともに考えることができない。

少し冷静にならないとと目をつぶり横を向いたけど早鐘のように鳴っている心臓がうるさくて眠ることなんて出来ないのだった。

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