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「木村君、大丈夫かい?」
「うん。心配させてごめんね。ありがとう、俺は大丈夫だよ。」
眉を寄せて少し下から自分を覗き込む男子生徒ににこりと微笑み、紫音は首を振る。
先ほど晴海とのにらみ合いの後、泣いて汚れてしまった顔を洗いに行くと後ろからこの男子生徒に声をかけられた。
少し散歩しないかとここまで連れてこられたのだ。
男子生徒の名は名張(なばり)と言う。この名張こそが、晴海が階段から落ちる前に読んでいた手紙を紫音によこした張本人だった。
そういえば、この人の手紙を読んで先輩は急に怒り出したんだっけ…
自分で読んでも何もおかしいようなところはなかったと思う。
『友達になりたい』
確かにそう書いていただけのはずなのに、どうして晴海はあんなにも怒ったのだろうか。自分は、よく晴海に『自覚してくれ』と頼まれる。なんのことだかさっぱりわからないけれど、晴海は、名張の手紙から自分にはわからない何かを感じたからこそ怒ったのだろう。…自分が気を付けていれば、自分がきちんと名張からもらった手紙を理解していれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。、晴海が記憶をなくすことなど、なかったのかもしれない。
「…ねえ、名張くん。あの…」
「だから、言ったんだ。」
「え?」
手紙の、友達という意味を本人に確認しようと口を開くと同時に、名張が眉間を押さえてはあ、とため息をついた。どうしたというのだろうか。紫音は不思議そうに首を傾げ、名張の次の言葉を待つ。
「手紙でも、書いたよね?…君は、こんなにも純粋で、健気で、優しい。それが僕はとても心配なんだ。…僕なら、君をいつまでも大事に大事にしてあげられるのに。はっきり言うよ。あんな不良なんかと関わり合いになるのはやめるんだ。」
「…!?」
何を言っているのだろうか。
不良、というのは晴海の事だろうか。
なんだろう。自分の事を褒められているはずの言葉なのに、紫音はそれがねっとりと自分に絡みつくようで背中にじとりと嫌な汗をかいた。
「なに、なんのこと…?先輩、悪い人じゃないよ?すごく優しくて、俺を大事にしてくれるよ?」
「じゃあどうして君は今そんなにも泣きそうな顔をしているんだい?あいつはどうして君を無視していろんな男の子に声をかけまくっているんだい?」
「そ、れは、先輩は、今、記憶が…」
「それが演技じゃないなんてどうして思えるんだい?本当は記憶があって、わざと君だけを忘れたふりをしているのかもしれないじゃないか」
名張の言葉に、ぐっと紫音が詰まる。それを見て名張はその口元ににやりと嫌な笑みを浮かべた。
それは、紫音が一番思いたくなかったことだ。
本当は、覚えていて。こんな自分を諦めさせるために、わざと忘れたふりをして突き放しているのかもしれないと。
退院してから、あてつけの様に可愛らしい男の子ばかりに声をかける晴海に、目が覚めたのだと紫音に思い知らせるためにそうしているんじゃないか。暗に、自分から離れろと警告しているんじゃないか。
自分の事となると、紫音はとかくネガティブになる。自ら望んでそうしていた時には何ともなかったはずの周りの態度。晴海に甘やかされ、愛された今、紫音は平然と受け流すことが出来なくなってしまったのだ。
誰に、何と言われようと思われようと平気だった。梨音さえ守ることができるのならば。
だけど、晴海にだけは。
大好きな晴海にだけは、もう二度とそんな風に思われたくない。
名張に突き付けられた自分以外の誰かを傍においているという事実に、紫音は名張の前で張っていた虚勢を崩してしまった。ぽろり、と一つ、透明な雫が頬を伝う。
「泣かないで。僕なら…、」
優しく微笑み、そっと紫音の頬を伝うものを拭おうと手を伸ばした時。
「がっ!?」
その手が紫音に触れる前に、名張は思い切り横から殴り飛ばされた。
驚いて名張を弾き飛ばした人物を見る。するとそこには、ひどく冷たい目で弾き飛んだ名張を睨む晴海がいた。
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