軌跡

45 清けし声を灰色の空に秘めて 2/6 


 案の定。会議室に置かれた大きなテーブルの一番端に座ったレイチェルは、寝込んでいた。
 いや、寝込めるならまだマシなのだけれど、流石に状況が許さない。一応着席の形を取って、上体は起こして、ある程度の体裁を整えながら、心だけ寝込んでいた。
 目の前にずらりとバリケードのように置いた水のボトルを二重三重に捉える視界の中、ちゃんと耳だけは交わされる言葉に傾ける。

 呼ばれたからには聞かねばなるまい。いや、呼ばれても呼ばれてなくても、それ以前の問題で。これが、Z組の今後を決める話し合いならば、レイチェルも無関係では決してないのだから。

 ここまでの経緯を話すオリビエとヴィクターの話を聞くZ組の中には、それ以外にも見覚えのある顔が混ざっている。
 それはトワとジョルジュの姿だった。彼らは内戦が始まって暫くは士官学院で幽閉の憂き目に遭っていたものの、学院長が秘密裏にカレイジャスに連絡を取った後に脱出させたらしい。そして合流したのがつい先日──レイチェルがパンダグリュエルに向かってすぐのことだったようだ。

 続いて、経緯を話すのはリィンの番だった。
 あの日トリスタから逃げ延びたリィンが辿り着いたのは、ユミルにほど近いアイゼンガルド連峰だったそうだ。昏睡状態にあった彼が目を覚ましたのは、そこから1ヶ月後──現在から換算すると、2週間ほど前のことだったらしい。
 故郷でもあるユミルへリィンが無事に帰り着いて間もなく、同様にユミルに避難していたアルフィンと彼の妹であるエリゼが貴族連合に攫われた。そしてリィンは、2人の奪還とZ組との合流を目指して、行動を開始したのだと。

 語られる話の中で、先の“ヴァリマール”なる人物が何者かも明らかになった。それは、件の騎士人形に付けられた名なのだという。
 騎神。それは先にも語られていた通り、帝国に古くから伝わる“巨いなる力”と称されるだった。帝国史の中でもまことしやかに存在を示されていたその騎士は、単なる伝説であると考えられていたが──何の因果か、学院の旧校舎の地下に封印されていたのだと。
 そして旧校舎に起こった異変を通じて、リィンがその《灰の騎神》であるヴァリマールの起動者……乗り手とか、使い手とか、いわゆるそういった役割に選ばれた。それが、あの時彼が唐突にその力を手にした理由だった。

 一方で、貴族連合にも騎神は存在する。クロウが起動者となり操る騎士人形──《蒼の騎神》オルディーネと呼ばれるものだ。
 貴族連合に与するラインフォルト社の第五開発部はそれを模して機甲兵を開発したし、騎神そのものはこの内戦の前線を駆けては正規軍を圧倒する力として示されていた。

 その先はレイチェルも知っている通り。両軍は力の元に激しい衝突を繰り広げ、少しずつ終焉へと歩みを進めているのだ──と。

「──そこで、だ」

 あらかたの情報の擦り合わせを終えて、口を開いたのはオリビエだった。

「いまだ戦の焔が燃え広がり、混迷を極めるこの帝国の地で、君たちZ組や士官学院は、これからどうするつもりだい?」

 静かな問い掛けだ。それでいて、全てを見透かすようでもある。
 この内戦が、学生の身分である自分達にどう出来るほどの簡単な問題でないことは、この場の誰もが知っている。けれど“そういうもの”だと割り切って、後は身を潜めながらその終結を待つのか。膿んでいく傷をただ見つめるのか──なんて。
 そんなことをここに集まった学生達が思うはずがないと、オリビエは信じている。そして、それは決して過ぎた期待でも机上の空論でもない真実なのだと、知っているのだろう。

 手慰みに触っていた水を一口飲んで、顔を上げる。並ぶクラスメイト達と目が合った。それは、何よりも雄弁に物事を語る。
 さて、ならばいつもの通りに、総意は“彼”に任せようか、なんて。そんな意思疎通すらも容易だ。

「俺たちは実習を通じて、この国のままならない“現状”に何度もぶつかってきました」

 と、他の面々の視線がやり取りを終えたのを知ってか知らずか、口を開くのはリィンだった。

「そんな俺たち──《Z組》なら。“現状”を少しでも良くする手伝いができるのではないか……そんな風に思えてきました」

 ほらね。とばかりに、真っ直ぐな言葉を紡ぐ青年の隣でクラスメイト達はやはり視線を交える。
 オリビエやヴィクターは、彼のその言葉をやけに神妙な顔で聞いていた。嗾けたにしては真面目で、まるで審査するような表情だ。そんな彼らへと、リィンは伝える想いを堰き止めはしない。

 多分ここからは、割と“青臭い”台詞になるんだろう──なんて経験から予測を付けて、レイチェルは彼の言葉へと耳を傾ける。ちょっと態度は悪いけれど、頬杖をつかせてもらいながら……ずっと顔を上げていると、グラグラして視点が定まらないのだ。

「クロウと決着をつけることや、エリゼを助け出すことも含めて……自分達にはそれぞれ、集まった“理由”があります。それらを成し遂げるためにも──この“現状”を良くして行きたい」

 うんうん、やっぱりそういうカッコいい言葉方向になっていくよな。分かってたぞ、私は。
 心の中で呟いて、気持ちだけはくすくすと笑う。リィンは相変わらずだ。なんて、たった1ヶ月半で何が変わることもないはずなのだけど。

「たとえ内戦の状況がどんなに厳しくなったとしても……今、自分達に手伝えることは最大限の努力をもって成し遂げたい。
 それが自分の──自分達Z組の総意です」

 そう締めくくられた言葉へと、Z組の面々は頷いてみせた。当然レイチェルも、頬杖を支えにしながら肯定の意を示す。多分支えがなければ、頷くと同時に机に額を打ち付けていたと思う。

 身分や立場の違いがあるZ組だからこそ、他のどの集団とも違う視点で物事を見つめ、考え、話し合い、行動することができる。そんな経験をしてきたZ組だからこそ、この内戦に射す“光”にだってなれるかもしれない。
 それはかつてオリビエが示した、Z組への希望だった。帝国を守りたいと願った彼の悪あがきは、確かにここに一つの形として表れたのだろう。

 傍らにいたトワも頷いた。「私たちも同じです」と添えて、その丸くて大きな瞳で真っ直ぐに前を見据えながら言う。

「なんと言ってもトールズの士官学院生の座右の銘は……“世の礎たれ”ですから」

 聞き覚えのあるフレーズだと思えば、それは入学式の時に学院長が話した獅子心皇帝の言葉だ。
 確かあの時も、レイチェルはある程度の乗り物酔いを引き摺っていたような──と振り返って思い出した。今となっては、なんだか遠い昔の出来事のようだ。

「現在、かなりの数の学院生が帝国各地に散っていますが……気持ちは皆、同じだと思います」

 無数の眼差しを受け止めて、ヴィクターは何かを納得したようにしてオリビエを振り向いた。
 短くその名が呼ばれると、彼は──帝国の皇子であり、学院の理事長であり、特科クラスZ組の発起人でもあるその人は、どこか満足げに笑ったのだった。

「ああ、まさかここまでの答えが聞けるとは思わなかった。これで決まりだろう」
「御意」

 決まり、とはなんだろう。その言葉の意を理解するより先に、ヴィクターが口を開く。

「ならば、そなた達にこの艦を預けよう。“紅き翼”──飛行巡洋艦《カレイジャス》を」

 一瞬だけ、全員がその言葉を飲み込むのにかかる時間の分の沈黙が下りた。そして各々が驚きに目を開く。素っ頓狂な声をあげる者もいれば、ポカンと開いた口が塞がらない者もいた。
 レイチェルはといえば、思わず頭を支えていた手が滑ってテーブルに額を打ちつけた。が、それよりもなんだか、衝撃的な提案をされた気がする。

「か、艦を預けるとは……?」
「そのままの意味だ。カレイジャスの運用は今後、そなたたちに一任する。“現状”を良くするためには足掛かりは必要であろう?」

 一任という言葉は重い。それが皇家所有の艦なら尚のこと、学生などにそう簡単に任せるなどと言ってはならないはずなのだ。
 それなのに、決断はあまりにも容易が過ぎている。軽いと呆れるべきか、潔いと讃えるべきか──それとも、初めから“用意”を済ませていたのだろう慧眼に拍手を贈るべきか。

 爽やかな笑顔のオリビエは、驚愕を拭えないままの学生達へと言葉を継ぎ足す。
 彼らはカレイジャスを降り、帝国西部へ向かうつもりだということ。その場で活動しているミュラーら第七機甲師団や他の中立勢力と合流して、活動を始める予定だということ。
 それは、彼がここまで行動するにあたっても掲げてきた、罪なき民草を戦火に巻き込まないためという目的を成すのに必要な事項だ。

「それを遂行するにあたって、この艦はいささか目立つのでな。そなた達に預けた上で、帝国東部を任せたいのだよ」

 確かに合理的ではあるのだ。オリビエの求めた“第三の風”を東部と西部の双方に吹かせるため、まだ未熟であるはずの学生側がしっかりとした足場を得ておくことだって、理には適っていた。
 納得してなお大胆不敵だと、肩を竦めざるを得ないが。けれどそれこそが、突飛で独創的な思考を持つ故に渾名された《放蕩皇子》と、一つの道を極め後進を導く偉大な《剣匠》だからこそ進むことを許された道なのだろうと思う。

 最後にオリビエは、自身の隣に座っていた妹を振り返って微笑んだ。

「そして、アルフィン。できたら君には、この艦に残ってもらいたい」

 カレイジャスの所有者は、エレボニア帝国の皇帝ありアルノール皇家だ。運用権が移譲されたとて、そこに変わりはない。
 だからこそ、皇族の1人であるアルフィンの後ろ盾は、Z組らがこの船を駆る上で重要な意味を持つのだ──なんて、説明をされなくても皇女は理解しているだろう。なんせ彼女はパンダグリュエルできっと、その役割を強いられていたのだから。

 アルフィンは笑って頷いた。自らの意思で、兄からの依頼に応える晴々とした笑顔を伴って、その小さくて白い手が胸に添えられる。

「わかりましたわ。今後、皆さんの活動の正当性は、わたくしが保証してみせます。エレボニア帝国皇女──アルフィン・ライゼ・アルノールの名にかけて!」

 かくして、お膳立ては全て済んだのだ。再び視線が混ざり合って、Z組は頷く。トワもジョルジュも、この場に居ない全ての学院生を背負うように力強い光を眼差しに灯した。

「飛行巡洋艦《カレイジャス》──謹んでお預かりします……!」
「帝国東部のこと……自分たちにお任せください!」

 頷き返した2人の大人は、どこか満足げで。それでいて、何故だか眩しそうに目を細めて笑っていた。

- ナノ -