「…正気ですか」
「正気よ」


節電の為に照明を幾つか落とした薄暗い食堂には、私たち以外に誰もいない。
夜も明け離れた払暁。私の声と、奈良坂くんの驚嘆とした声が響く。


「フライパンでケーキ?」
「フライパンでケーキを作ります」


ロールケーキ


「三輪とクッキーを作ったそうで」
「うん」


午前四時過ぎ、誰もいない食堂にたった一人でやってきた奈良坂くんを見た時は、珍しいこともあるものね。そう思った。
奈良坂くんはその整った見た目故にクールな一匹狼に見られがちだが、実際はいつだって人の中にいる子だ。彼の無駄のないハッキリした物言いや、意外にも世話焼きなその性格は人に好かれる。勿論、私も好き。


「俺はチョコが食べたいです」
「うん、おいで」


一緒に作りましょう。そう言って奈良坂くんの白い手を掬うと、奈良坂くんは満足そうに口の端をあげて厨房へ入ってきた。意外と思っていることが顔に出る。年上から好かれる理由は間違いなくコレね。彼はそれを嬉しく思ってはいないだろうけど。


「どんなチョコが食べたいの?」
「ケーキがいいです。出来れば直ぐに」
「それはまた、難しいことを…」


ケーキを作るには十分な時間と材料、そして手間と根気が必要だ。測って振るって混ぜて焼いて冷やして…作って直ぐに食べられるケーキはとても少ない。し、そもそも食堂の冷蔵庫にケーキの材料が揃っているのか。さて、困った。


「…あっ」


あるじゃない。簡単で、材料も揃っていて、すぐに作れるチョコケーキ。
によによと笑みを浮かべながら、奈良坂くんにエプロンを渡す。お菓子作りは服が汚れるからエプロン必須。それをつけて待っててね。


ーー


「さあ作るよ!ロールケーキ!」
「これだけで作れるんですか?」
「うん。ちゃっと作りましょう」


まずは生地作り。シンクの上に並べたのは卵、砂糖、バターに牛乳、チョコレートの代わりのココア粉末。そして、お馴染みのホットケーキミッスクス。
ホットケーキミックスあれば憂いなし。深夜の食堂には皆甘いものを求めているのよ。


「まずは卵を二つ。しっかり混ぜて」
「はい」


かこん、とぷん。卵が割れてボウルに落ちる音が二回。奈良坂くんが卵を溶かしている間に私は下準備を進めよう。お菓子作りは手際が大事。
耐熱皿に牛乳を50ccとバターを60g、きちんと測ったらバターが溶けるまで電子レンジでチン。ホットケーキミックス100gにココアを20g混ぜて茶色くする。このココアは砂糖が入っているから生地の砂糖は少なめに…


「奈良坂くん。卵綺麗に混ざったら砂糖を大さじ2入れて混ぜて」
「はい」
「砂糖がよく混ざったら電子レンジの中に溶かしバターと牛乳が入ってるの。ゆっくり注いで、ゆっくり混ぜて」
「分かりました」


かしゅかしゅ。泡立て器がボウルに擦れる音が響く。
奈良坂くんは意外にも口数が少なくない子なのだけど、今日は黙々と言われた作業をこなしていた。綺麗な容姿に相まってロボットみたい。裾に花の刺繍がされたエプロンをつけたロボット。なんだか可愛くて、おかしい。


「混ぜれた?」
「恐らく」
「ならこれ入れちゃうわね」
「…重い」
「しっかりしなさいよ王子様」


たった120gの粉を入れただけで口を尖らせないの。食べたいと言ったのは奈良坂君でしょう。
高い位置にある頭を叩くのは少し手間だったので、華奢だけど広い背中を緩く小突いた。奈良坂くんのサラサラした髪が小さく揺れて、あぁ 笑った顔が那須さんにそっくりね、なんて。


「綺麗に混ざってるわね」
「焼きますか?」
「ええ。焼きましょう」


奈良坂くんが混ぜた生地を右手で持って、左手はサラダ油を持って。後ろを付いてくる奈良坂くんにどうぞとフライパンを押し付ける。


「…正気ですか」
「正気よ」


ぱちぱち、奈良坂くんの瞼が瞬いて瞳が揺れる。わぁまつ毛が長い。どこを見ても綺麗な子だわ。


「フライパンでケーキ?」
「フライパンでケーキを作ります」


奈良坂くんに押し付けたのは、卵焼き用の四角いフライパン。
未だ納得できてなさそうな彼を無視してフライパンをコンロに置く。火を点けてサラダ油を少し垂らしたら、彼の白い指を取っ手にぎゅうっと巻き付ける。


「厚みは大体1センチくらいね」
「………」
「フツフツ穴が空いたら、ここにラップを敷いておくから上に置いて。大体3枚くらい焼いてくれたらいいから」
「…はい」


取っ手を握っていない方の手にフライ返しを握らせたら、私は奥の冷蔵庫へ。
奈良坂くんの呆けた顔を初めて見た。ちょっと間抜けで、綺麗じゃない顔。子供らしい、可愛い顔。
ふふ、と漏れる笑みは隠さずに彼の顔を盗み見た。焼いてる生地を睨む姿はNo.2の迫力がある。うん、あの顔は全く可愛くないわね。


「生クリームと、ココアと砂糖」


生クリームは1パック全て。ココアと砂糖は同じくらいでいいかしら。
生クリームとココアと砂糖が入ったボウルを氷水に付けながら、ハンドミキサーで低速で混ぜる。昔 風間が最初から高速で混ぜて玉狛支部の厨房を生クリームだらけにしたことがあったっけ。あの時のレイジの顔は面白すぎて忘れられないわ。


「…名字さん、3枚焼けました」
「うん、なら1枚ずつラップで包んで…そうね、冷凍庫に突っ込んで」
「凍らすんですか?」
「冷やすだけよ。とっておきの荒業だからここ以外でやってはいけないわよ」
「分かりました」


あの日のレイジの顔を思い出している間に生クリームはいい感じに固くなっていた。後はもう奈良坂くんの好みに任せて、私は片付けでもしておこう。


「奈良坂くん、生クリームはどのくらいが好き?」
「このくらいの甘さが好きです」
「固さの話だったのだけど」
「美味しいです」
「…着いてるわよ」


つまみ食いをした悪戯っ子の薄い唇をエプロンの裾で雑に拭く。美味しいならそれでいい。後片付けは後にして先にケーキを作ろう。


「生地もいい感じに冷めてるわね」


完璧に冷めているわけではないが生クリームが溶けない程度には冷めた生地をラップから取り出す。
一枚だけラップを長くシンクに敷いたら、その上に生地を一枚。


「奈良坂くん。この上に生クリームを好きなだけどうぞ」
「はい」
「うわぁ」


どぽっ、と重たい音がした。濃い茶色の生地が大量の生クリームに覆い尽くされる。す、凄い量…見てるだけで胸焼けしそう…。


「全体に生クリームを伸ばしたら、優しく巻いて」
「はい」


くるくる、大量の生クリームが、生地に巻き込まれて姿を消す。なんだか少しだけ罪悪感が減った気がして、ほ、と小さく息を吐いた。


「綺麗に巻けたね」
「どうも」
「なら二枚目にも生クリー、」
「はい」


どぱ。叩きつけられるように生クリームが生地に乗る。…もういいわ。今日はカロリーや健康や女子力なんてものは全て捨ててしまいましょう。諦め 肝心。


「さっき巻いた生地を乗せて、一緒に巻く」
「…これはロールケーキですね」
「そうでしょう?」


さ、三枚目もやっちゃいましょう。最後の生地にも生クリームを大量に乗せて、先程の二枚分の生地を乗せたら三枚目の生地でふんわり、しっかり、包んで巻いたら、


「完成です」
「食べます」
「丸かじりするつもりなの?」
「切ってください」
「はいはい」


厨房の奥からパイプ椅子を二つ。フォークを2本に、ケーキ用でもなんでもないただの包丁を1本。
私の分は普通の厚さで奈良坂くんのは分厚く切ったら、お皿に載せて、


「「いただきます」」


しっとりとしたココア生地。少し甘ったるい生クリームが舌の上で溶ける。チョコ擬きだけどしっかりチョコ。さてさて、奈良坂くんの反応は


「はあ…」
「ふふ」


ため息が出るほど満足していただけたなら、良かったです。
笑っていなくても柔らかい雰囲気を纏っている時は那須さんによく似ているのね。そう言いながら彼の口の端に着いていた生クリームを今度は優しく拭ってやる。


「まあ従姉弟ですし、昔は双子だなんて勘違いをされることもありました」
「今は流石にないの?」
「偶にありますよ。昨日も付き添いで病院に行った時に新人の看護婦に勘違いをされました」
「へえ、私も初対面だったら勘違いしちゃうかも」


あっという間に食べ終わってしまった奈良坂くんのお皿に、新しく切ったロールケーキを乗せる。
私も早く残りを食べよう。ぷすり、ケーキにフォークを刺して、奈良坂くんと視線があった。


「一体何があったんですか」


射抜くような視線。喉が渇いたのは、ケーキが甘ったるいからではない。


「一体何の話かしら」
「言いたくないのならば、それで」


奈良坂くんの視線がケーキに戻る。白い指に持たれた小さなフォークには、ケーキが3分の1程乗っていて。そりゃあ直ぐに食べ終わるはずだわ。と納得した。


「誰にも言わないで」
「名字さんがそれを望むなら」
「…ありがとう、奈良坂くん」


フォークに乗せたままだったケーキを口の中に放り込んだ。あぁ 甘ったるくて、喉が渇く。
ロールケーキ
・HMミックス100g
・卵 2個
・溶かしバター60g・牛乳50cc
・砂糖 大匙2・ココア20g
溶いた卵に材料を全て入れその都度混ぜる
フライパンで生地を流し込み、ふつふつ穴が開くまで焼いたらラップで包んで余熱をとる
生クリームを加え ならしたら優しく巻く

ココア生クリーム
・生クリーム200ml
・ココア 砂糖 大さじ2
材料を全て混ぜ、氷水に当てながらツノが立つ固さまで混ぜる


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