「…これは」
「…イケナイわね」


節電の為に照明を幾つか落とした薄暗い食堂には、私たち以外に誰もいない。
もう明け方も近い残夜。私の声と、村上くん僅かに弾んだ声が響く。


「あのっ、」
「そうね、早く食べましょう」


おむすび


「こんなもんでいいかしら」


シンクに並べたのは、梅干し、ツナ缶、味噌にマヨネーズ、コロッケ用のひき肉に、うどん用の天かすにとろろ昆布、付け合せ用の塩昆布と沢庵。そしておむすびに欠かせない味のり。


「十分です」
「良かった。ならちゃっと作っちゃいましょ」


業務用フライパンはおむすびの具材を作るには大き過ぎるので、卵焼き用の四角いフライパンをごま油と一緒に村上くんへ渡す。えーっと調味料は…砂糖に酒に…


「ごま油が温まったらひき肉を入れてね」
「はい」
「ひき肉に色が着いたらニンニクと生姜をお好みで入れて、香りが出るまで炒めてね」
「わかりました」


裾に花の刺繍がされたエプロンを纏い、卵焼き用の小さなフライパンを振るう村上くんは男子高校生とは思えない程手馴れていて…。後ろ姿に板前さんの貫禄を感じてしまうのは何故かしら…。

特に手伝いも見張りも要らない様なので、肉味噌作りは彼に任せ、私はキッチンバサミを使って沢庵を細かく切る。


「んー。いい匂い…」
「…もう美味しそうですね」
「これから村上くんがもっと美味しくするのよ」


お肉とにんにくの香りは罪ね。すんすんと鼻を鳴らしながら、計量スプーンを彼に手渡す。


「酒と砂糖と味噌を小匙1」
「小匙1…」
「お水を大匙1入れて、味噌をよく溶かしてね」
「味噌を溶かす…」
「後は水が蒸発するまで弱火で放置しておけばいいから…そうね、こっちを手伝ってくれる?」
「わかりました」


菜箸を丁寧に置いた村上くんが、嬉しそうにはにかむ。一緒に作ろうと誘った時もそうだったけれど、村上くんは"誰かと一緒にする"事が凄く好きなようだ。一人でなんでも出来てしまう子なのに、いや、だからこそ、なのかしらね。


「ツナマヨはツナの油を切ってマヨネーズと和えるだけなんだけど、私はいつも醤油と胡椒を入れるの」
「俺はラー油を入れたりします」
「ラー油!美味しそうね!今日は味が濃い肉味噌があるから、ツナマヨはラー油にしましょう!」


なるべく埃が立たないようにパタパタと厨房を駆けてラー油を持ってくる。ラー油を入れるのは初めてだから、分量は村上くんに任せちゃいましょ。


「梅干しは種を抜いたら、身を潰すといいわよ」
「なるほど」


身を潰したらね、一口食べた時に全部纏めて口に入っちゃうあの現象が起きにくくなるの。梅干し二つ、種を抜いて身を潰しながらそう言うと、村上くんは天を向いて『あぁ…』と渋気に零した。どうやら見に覚えがあるらしい。眉間に寄った皺が面白くて小さく笑うと、背後からパチパチと乾いた音。肉味噌の完成だ。


「よし、肉味噌も出来た事だし、作っちゃいましょう」
「はいっ」


ビニール手袋を取り出して村上くんの手と自分の手に嵌める。家だったら素手でやるけど、やっぱり食堂にいると癖で手袋を嵌めちゃうのよね。


「実は、ずっと気になってることがあって」
「なぁに?」


ホカホカのお米を掌に広げ、真ん中を凹ませたら梅干しを乗せて。優しく潰れないように掌で回していると、隣で同じ作業をする村上くんが神妙な顔をして私を見ていた。一体どうしたのかしら…。


「おにぎりとおむすびの違いが、俺には分からないんです」
「………ほぅ」
「ネットで調べたりもしたんですが、地方によるとか、俵型か山型かの違いとか、色々あって」
「うん」
「名字さんなら…答えを知っているかな、と…」


ちらり。眠たげな目で様子を伺われる。村上くんの方が私よりも遥かに背が高いのに、何故見上げられているように感じるのか…可愛らしすぎる純粋な疑問が小さな子供を彷彿とさせるのか…。声を出して笑った私を恥ずかしそうに見る人はいれど、怒る人はいないだろう。


「笑ってごめんなさい。諸説はあるけれど、形の違いらしいわよ」
「山型と俵型…?」
「おむすびは豊作に感謝をする、人と大地と空を結ぶ山型。おにぎりは俵型に限らず握っていればなんでもいいらしいわ」
「結ぶ…」
「諸説ありよ。けれど私はこの説が日本人らしくて一番納得したわね」
「……俺もです」
「なら良かった」


今日は山型だから"お結び"ね。海苔を巻いた梅おむすびをお皿に置くと、その隣に村上くんが結んだ一回り大きなおむすびが優しく置かれる。穏やかで優しい空気が何故だかむず痒くって、二人で顔を合わせて笑ってしまった。


「ふふ、残りもちゃっと結んじゃいましょ」
「はい」


ラー油入りのツナマヨ、にんにくの香りが食欲を唆る肉味噌。どちらも梅おむすびと同じ出順で優しく結ぶ。3種類が2つずつお皿に置かれたら、次は混ぜ込みおむすび。


「とろろ昆布と天かすをご飯に混ぜて、結ぶだけ」
「美味しそうですね」
「ふふ、美味しいわよ。で、次は」
「沢庵と塩昆布」
「と、ごま油です」


塩昆布と刻んだ沢庵をお米の上に乗せて、ほんの少しだけごま油を垂らす。均一になるようによく混ぜだら、沢庵が零れ落ちないように少しだけ力を入れて結んで、最後に海苔。


「完成、と言いたいところだけど」
「……?」
「やっぱりおむすびと言ったら、塩結びよね」
「……はいっ!」


パァァ!と村上くんの顔が明るくなる。うんうん、今日一番の笑顔ね。分かるわよ。少しの塩とふっくらしたお米のみで作るおむすびが、結局一番美味しいのよ。

お皿の上に置かれたおむすび。梅干し、ツナマヨ、肉味噌、塩昆布と沢庵、とろろ昆布と天かす、そして、塩結びが二つずつ。


「…これは」
「…イケナイわね」


きゅるり。村上くんの胃が鳴く音がした。
いつでも食べれるおむすびなのに、何故こんなに特別な気がするのか。


「あのっ、」
「そうね、早く食べましょう」


こんな時間にこんなに沢山の炭水化物を食べるなんて。普段の私なら少し怖気付いてしまうはずなのに、今はもう、早く食べたくて仕方がない。厨房の奥からパイプ椅子を二つ、ウキウキした様子の村上くんと持ってくる。


「いただきます」
「いただきます」


まずは、ラー油の入ったツナマヨ。口に入れた途端に零れるお米に、甘酸っぱいマヨとツナ、後からピリリと舌先を刺激するラー油…これは…なんとも言えない


「癖になる味だわ…」
「肉味噌も美味しいです」


次は肉味噌。鼻から抜けるにんにくの香りと、よく味噌の染みた弾力のあるひき肉。これぞ、食欲が止まらなくなるおかずおむすびだ。


「うわ、沢庵と塩昆布…凄く美味しいです」
「でしょ?お気に入りなの」
「支部でも作ります」


食感のある沢庵と味の濃い塩昆布、鼻から抜けるごま油。とろろ昆布と天かすは温かいお茶が飲みたくなる様な、どこか懐かしい味がする。お口直しの梅干しおむすびはサッパリとした梅がお米の甘さを際立てる。
そして、最後に残していた、特別な塩結びは、予想通りの味であるにも関わらず、やっぱり特別に美味しくて。


「おむすびって…最高ね」
「ですね…」


私よりも早く食べ終えていた村上くんが、ふわふわとした様子で相槌を打つ。もうこのまま眠ってしまいそうな雰囲気だ。


「村上くん。ここで寝ちゃだめよ」
「…分かってます。でも満足感が…」
「ふふ、その気持ちは分かるけれど、貴方が帰らないと支部の仲間が心配しちゃうわ」

それに

「私に聞きたいことがあるんでしょう?」


収穫無しで帰ったら怒られるんじゃない?そう言うと、村上くんの目がパチリと開く。気まずそうにそらされる視線。嘘の付けない子ね


「今日、混合部隊の夜勤だったんでしょう」
「…はい」
「メンバーは?」
「…荒船と、犬飼と、水上と俺と、人見です」
「そう。賢い人の集まりね。怖いわ」


長話になるかもしれないから、新しいお茶を用意しよう。そう思って立ち上がった私に、申し訳なさそうな声がかけられる。


「無理に聞き出すつもりは無いんです」
「ええ。村上くんはそういう子よね」
「ただ…髪が短いのも、似合ってました」
「…そう。ありがとう」


背後で村上くんが立ち上がる音がした。どうやらお茶を沸かす必要は無いようだ。


「収穫無しで帰っていいの?」
「収穫はありました。"おむすびは結ぶ"です」
「……確かに。それは大収穫ね」
「はい」


ご馳走様でした。と綺麗に頭を下げる村上くんに、こちらこそご馳走様でした。と頭を下げる。顔を上げた村上くんは気まずそうな顔ではなく、穏やかに笑っていて。だから私も、顔に垂れた髪を耳にかけて小さく笑い返した。
おむすび
ピリ辛ツナマヨ
・油を切ったツナ缶にマヨネーズ大匙1、ラー油を半周回し入れる
天かすととろろ昆布
・ご飯に軽く割いたとろろ昆布と天かすを大匙1よく混ぜる
塩昆布と沢庵とごま油
・ご飯に細かく刻んだ沢庵と塩昆布ひとつまみ、少々のごま油を入れよく混ぜる
肉味噌 ひき肉を大匙スプーンで2回掬う
・ごま油でひき肉を炒めたら、にんにく生姜を適量入れ香りが出るまで炒める。砂糖、酒、味噌を小匙1、お水を大匙1入れ味噌を溶かしたら、蒸発するまで炒める。(お好みで醤油少々)

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