「行くぞ」
「いけないわ」


節電の為に照明を幾つか落とした薄暗い食堂には、私たち以外に誰もいない。
そろそろ業務も終了する黎明。私の声と、風間の有無を言わさぬ声が響く。


「今すぐ諏訪の家に行くぞ」
「まだ仕事中なの」


出張カツカレー


「お邪魔します」
「おー、お勤めご苦労さん」
「煙草臭い。窓を開けろ。」
「来て早々文句言ってんじゃねぇよチビ」


警戒区域から徒歩10分。煙草と古紙の匂いが混ざったこの部屋に、今日はほんの少しの刺激臭。
スンスンと鼻を鳴らしながらキッチンへ向かうと、小さな家庭用コンロには存在感が強すぎる寸胴鍋がドンッと置いてあった。


「この寸胴鍋、全部カレーなの?」
「風間がいるしな。足りねぇくらいじゃねえの」
「足りない場合は諏訪のを食うから気にするな」
「ざっけんな、俺だって腹空かしてテメェらが来んの待ってたんだぞ」


鍋の蓋を開けて、お玉で軽くかき混ぜる。人参にじゃがいもに玉ねぎに…このごろごろしたお肉は鶏もも肉かしら。
同輩にレイジっていうお料理筋肉が居るからアレだけど、諏訪の料理も具が大きいことを除けば美味しいのよね。人の家のベットに迷いもなくダイブして枕が硬いだの文句言ってるそこの小さい筋肉と、毎日カップ麺食べてるエンジニアさんは論外だけど。


「私は何をしたらいいの?」
「大至急カツを作ってくれ」
「肉は買ってっけど、これで材料足りっか?」


2枚入りの豚ロースが2パックに卵が3つ。開封済みの小麦粉に、輪ゴムで縛ってあるパン粉。塩コショウは調味料の棚にある。買ってきたお肉が足りない事態が起きるとは思うけど、材料はバッチリね。


「ちゃっと作るから諏訪は油温めといて」
「おーりょーかい」
「俺は何かするか?」
「風間はその硬い枕でおねんねでもしてて」
「分かった」
「涎垂らすなよ」


風間にお手伝いさせるくらいなら野生の猿にお手伝いしてもらった方がマシなので、その煙草臭い硬い枕で涎垂らして健やかに寝ていてもらう。
お肉を包丁の背で軽く叩いて、脂身の所は筋切りをして。軽く塩コショウを振りかけたら、下準備だ。


「卵3つ使うか?」
「多分2つで大丈夫よ」
「ういー」


グリルの網の下にキッチンペーパーを敷いて。小麦粉が排水溝に詰まらないように まな板にラップを敷いて。その上にお肉を置いて、小麦粉を塗す。


「卵絡めたら、また小麦粉塗すからまな板に返して」
「そんな何回もやんの?」
「小麦粉と卵の工程は3回くらいした方がいいの。ふわっふわのサクッサクになるから」
「ほーん。豆知識ってやつだな」


卵を絡める作業は諏訪に任せ、返ってきたお肉に再び小麦粉を塗す。塗したらまた諏訪に渡して、お肉4枚分全てに3回小麦粉と卵が絡まったら、お肉の両面に軽くパン粉を塗す。


「パン粉少なくね?」
「フライパンで揚げるとなると、どうしても焦げちゃうからね」
「あー、やっぱ揚げ物用の鍋買うか?」
「フライパンでも十分美味しく作れるけどね。やっぱり専用の物があった方がより美味しいものが作れるよ」
「だそうだ。諏訪、買え」
「お前は寝てろ!」


あら、寝てると思ったのにいつの間にキッチンに侵入してきたのかしら。風間は食材を殺すセンスが人の5倍は長けている。お願いだから興味本位で余計な事はしないで欲しい。


「腹が減って眠れん」
「ガキかおめーは」
「あ、カレーを温めなきゃ」
「分かった」
「風間は触るな」「触らないで」


風間が触ったらせっかくの美味しいカレーが焦げちゃうからね。
むすりと拗ねた風間の背を押し、ベットに座らせそこら辺に落ちていた本を押し付ける。タイトルの横にseason.3と書いてあったが、むすりとしたまま読んでいるので大丈夫だろう。


「私揚げるから、諏訪はカレーお願いね」
「おー、気ぃつけろよ」
「平気よ」
「平気でも。気ぃつけろよ」


目線はカレーに向いたまま、念押しするようにそう言われる。
このガラの悪い世話焼きな同輩は、そこの不器用な小さいのと違い言葉でしっかりと伝えてくるからなんとも擽ったい気分になる。
はいはい、気をつけますよ。カレーの匂いが強くなるに連れて、そこの小さいのがソワソワしているから。火傷して時間を食うわけにはいかないものね。


「4枚 入るわね」
「この段階でもう美味そうだな」
「まだか」
「お前はあっちにいろって何回言ったら分かんだよ」
「もういいわよ。火傷しないように離れててね」
「ああ」


諏訪と私の間にひょこりと顔を出して、鍋の中身とフライパンの中身を交互に覗く赤い瞳に思わず笑う。
頼りになる風間さんも、同輩の前じゃあただの末っ子21歳児だ。


「風間、ご飯よそってきてくれる?」
「分かった」
「カレー温まったぜ」
「カツももういい具合よ」


両面がこんがり狐色に染まったところで、お肉を油から取り出してグリルの網に縦に置く。しっかりと油が切れたら、包丁でザクっと一気に切る。よし、衣も剥がれず綺麗に切れた。


「私後片付けするから、盛り付け任せるわね」
「さんきゅー。助かるわ」


小麦粉だらけのラップとグリルのキッチンペーパーをゴミ箱に捨てて、使った物をわしゃわしゃと洗っていく。
テメェそんなによそったら俺らの食う米が無くなんだろーが!これでも気を使ってやったつもりだ。ざっけんな!ったく、俺のは良いから名字に少し分けろ!名字の器にはもう入らん。…名字がこんなに食えるわけねぇだろ馬鹿!!
後ろでぎゃあぎゃあと言い争いをしている声を聞きながら、昔と何も変わらない光景に自然と笑みが零れ落ちる。
一体私のお皿にはどれだけのお米がよそわれているのだろうか。確認するのが怖いような、楽しみなような。


「準備できた。早く食うぞ」
「あ、悪ぃ牛乳持ってきてくれ」
「はいはい」


冷蔵庫から牛乳を取り出して、2人が待つローテーブルに向かう。
昔話みたいに山盛りのカツカレーが2つ。ひとつは風間ので、もうひとつは私の。予想以上に山盛りだから、なんだか面白くて声を上げて笑ってしまった。


「泣くほど笑ってんじゃねーか」
「笑ってないで早く食べるぞ」
「ふふ、そうね、早く食べましょ」


揚げたての衣がサクサクのカツに、ピリリと辛いごろごろのカレー。
意外と育ちの良いこの2人はご飯中に口を開くことがあまりないけれど、満足そうに美味いな。と笑ってくれた。


「うん。美味しい」


煙草と古紙の匂いがする部屋。気の置けない同輩と黙々と食べるカツカレーはあまりにも美味しくて。
美味しすぎて、少しだけ涙が出そうになった。


ーー


「お皿洗いもせずに、ごめんね」
「いーからさっさと帰って寝ろよ」
「うん。今日は楽しかった、ありがとう」


お邪魔しました。と諏訪に手を振って、私の荷物を持ってさっさと歩いて行った風間を追いかける。
太陽が大分上に登っている。こんな時間に外を歩くのは久々なのだから、もう少しのんびり帰りたいのに。
あっという間に着いてしまった『我が家』に、胸が少しだけ苦しくなった。


「今日は連れ回して悪かった」
「いいの。凄く楽しかったから」


また誘ってね。そう言うと、分かった。と低い声が返ってきて、さっきまであった胸の苦しさがスっと消えた。
良かった、また誘って貰えるのね。嬉しいな。今度はレイジと雷蔵も誘おうね。レイジのご飯は本当に美味しいから、本当に楽しみだ。


「おやすみなさい」
「…おやすみ」


楽しみで楽しみで眠れないかもしれないけれど、今日はとてもいい夢を見られそうな気がするの。
とんかつ
豚肩ロース 好きな分だけ
小麦粉 パン粉 塩コショウ、適量
卵、2つくらい
脂身を筋切りした豚肉に塩コショウで味付けし
小麦粉→卵を三度漬け。パン粉を塗して
きつね色になるまでしっかり揚げる。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -