「…職場だぞ」
「ええ、きっと、いけないわ」


節電の為に照明を幾つか落とした薄暗い食堂には、私たち以外に誰もいない。
東の空が僅かに白んだ東雲。私の声と、二宮くんの囁きにも似た声が響く。


「飲まなきゃやってらんねぇ時もあるわよ」
「貴方の口からそんな言葉を聞きたくなかった」


ホットエッグラム


「意外と器用なのね」


ぱかり。二宮くんの大きな手に割られた卵は、意外にも破片ひとつ落とさず綺麗に真っ二つになった。
左手の殻には白身、右手の殻には黄身が、崩れることなくぷるんと収まっているのを見て思わず拍手をする。


「…卵くらい割れます」
「二宮くん手が大きいから」


いつもポケットに収納されている手は、私より一回りも二回りも大きい。もしかしたらそれ以上大きいかもしれない。この手が収まるポケットってどれだけ大きいの?特注…ポケットだけを?そんなわけないか。


「白身はボウルに、黄身はグラスに入れて」
「…酒に卵、ですか」
「あら、お酒に卵を混ぜたらいけない?」
「…そうは言ってません」


ぽとり、浅いお皿に落とされた黄身が、潰れて割れる。
せっかく綺麗に分けれていたのに破れちゃった。まあどうせ混ぜるから別にいいのだけど。


「卵白を混ぜます」
「はい」
「泡立て器、どうぞ」
「どうも」


かしゃかしゃ、受け取った泡立て器で卵白を混ぜる姿を見てこっそり笑う。プライドが高い彼はいつ音を上げるのだろうか。性格が悪いと怒られてしまうかもしれないが、私だって少し怒っているのだ。このくらいの意地悪は許して欲しい。


「卵黄に砂糖とお酒を大匙1」
「…何故食堂に酒があるんだ」
「お酒を料理に使うことだってあるわ」


グラスの底の黄色い海に、砂糖、ブランデー、ラム酒を落としていく。
泡立たないようにゆっくり、優しく、砂糖のジャリジャリ音が消えるまで。


「…いつまで混ぜればいいんですか」
「そうねぇ、洗顔くらい?」
「せん、がん?」
「そう、洗顔を泡立てたくらいまで」


脳内でモコモコに泡立った洗顔を浮かべているのか、二宮くんの動きが少しだけ止まって、またかしゃかしゃと卵白を泡立てる。
本当にこれが洗顔になるんですか?と言われたが、まさか卵白が洗顔になると思っている訳では無いわよね?洗顔"みたい"になる、と理解してるわよね?


「牛乳、温めるのレンジでいいかしら」
「大丈夫です」


鍋で沸騰寸前までじっくり温める方が膜が貼らずに美味しいのだけれど、やっぱりレンジの方が洗い物も少なくお手軽だ。
二宮くんってそういうの気にしそうなタイプだけど、違って良かった。
牛乳をマグカップに注いで、電子レンジに突っ込む。突っ込むだけ、まだチンはしない。その理由は


「…あの」
「なぁに?」
「全然洗顔にならねぇ」
「んふふ」


そりゃそうでしょうね、そんな簡単に洗顔になったら意地悪にならないじゃない。
泡立て器を持って困惑している二宮くんの手元のボウルを覗くと、多少白く泡立ってはいるが、洗顔には程遠い卵白がプルプルと揺れていた。


「何故笑うんですか」
「ごめんなさい、意地悪しちゃった」
「…何故ですか」
「もう成人した大人が、自己管理もできずにそんなにやつれているからよ」
「……。」


クマの酷い、少し痩けた頬。
撫でて憐れむにはかなり高い位置にあるソレらを、ジトリと睨む。
気まずそうな顔をしないでよ、私が悪いみたいじゃない。心配かけさせる貴方が悪いのよ。


「待ってて、ハンドミキサーを持ってくるから」
「…ハンド?」
「うーん、自動泡立て器?」
「…もっと早く出して欲しかった、です」
「そうね」


ごめんね、と形だけ謝って、厨房の奥に仕舞われたハンドミキサーを取りに行く。
勝手に心配しているだけなのに。子供の様な態度をとってしまった。こういうのが得意なガラの悪い同輩を思い出して、上手にできない自分に溜息を吐く。
人には向き不向きがある。二宮くんは素直に心配するのが苦手で、私も、きっとそれと同じ。


「二宮くん、氷を少し用意してくれない?」
「はい」
「その卵白の入ったボウルより、一回りくらい大きいボウルに氷をいれておいて」


頭に?マークを浮かべる二宮くんに小さく笑って、機械に付属の細い泡立て器を二つ差し込む。
意地悪のせいで時間を使っちゃったからね、ここからはさっさと作るよ。


「卵白を氷水で冷やすと早く出来るの」


スイッチを入れたらゆっくり混ぜて。間違えても手を入れたら駄目よ、指が吹っ飛ぶからね。
力強く念押しして伝えると、二宮くんは少し引き気味に、分かりました。と返事をした。
天然のきらいがある彼には、大事な事はハッキリしっかり伝えなければいけない。私はそれを、よく知っている。


「大体2,3分で洗顔になるから」
「…わかりました」


牛乳をチンするのはメレンゲが完成してからでいい。卵黄にお酒と砂糖も混ぜた。私が今することは無い。
ガタガタと厨房の奥からパイプ椅子をひとつ持ってきて、洗顔を作っている二宮くんの後ろ姿を眺める。
昔から背が高い子だったけど、また伸びたのだろうか。大きな背中だ。男の子は、いつの間にか何かを背負って、一人で勝手に大人になる。
それが、今の私は、少し寂しい。


「名字さん。これでいいか」
「…」
「…名字さん」
「あ、ごめんなさい。ぼうっとしてた」


声は届いていたのに無視をしてしまった。大丈夫ですか?と顔色が悪く大丈夫では無さそうな二宮くんに心配されて、思わず苦笑する。
ボウルの中には、しっかりと角がたった洗顔が出来ていた。


「牛乳、温めるわね」
「はい」


レンジに突っ込んだままだった牛乳を温める。あまり熱いと火傷してしまうから、ぬくいくらい。40秒くらいでいいだろう。
あっという間に温まった牛乳に、卵黄に溶かした砂糖とお酒を流し入れて


「その洗顔、好きなだけ入れて」


はい、とマグカップを差し出して、二宮くんのパイプ椅子を取りに行く。
厨房は少し寒いかもしれないけれど、これからお酒を飲むのだから体も温まるだろう。
ガタガタとパイプ椅子を自分の椅子の隣に並べて、どうぞ、と手を出すと、二宮くんはプルプルの洗顔が入ったマグカップを慎重に運んで、ゆっくりとした動作で腰掛けた。


「…あまり、甘くねぇんだな」
「優しい味でしょう。お酒濃くない?」
「丁度いい」


マグカップを傾けて、温かいお酒をゆっくりと流し込む。
口当たりがまろやかで優しく飲みやすいお酒だけれど、ラムとウイスキーのアルコール度数は40%。恐らく今日は死んだようによく眠れるだろう。


「貴方は飲まないんですか」
「私は今禁酒中だから」
「…それは」


ことり、マグカップが厨房に置かれる音が響く。


「貴方が射手を…戦闘員を辞めた事に、関係がありますか」


射抜くような鋭い目。二宮くんのこの目を私は知っている。指導をした時、模擬戦をした時、ランク戦をした時、私は何度もこの目に、命を狙われていた。


「どうかしらね」
「…誰に聞いても、誰も答えない」
「そう」


何を言われても私が答えないと分かったのか、二宮くんは溜息を吐いてから、すんなり引いた。
こくり、二宮くんの喉が鳴る。その音が聞こえるくらい、厨房は静かだった。


「貴方の戦い方は、嫌いじゃなかった」
「そう、ありがとね」
「…貴方なら、どうした」


鋭い目は、ボウルに余った洗顔を見ている。
私なら、どうした。人が撃てないと自分責めていた時?それとも、いなくなった時の事?


「私は無関係だもの、想像も出来ないわ」
「…そうか」
「でももし、二宮くんが何も言わずに急に消えたら。私なら地獄の果まで探しに行くわ」


だって心配だもの。そう言って笑うと、貴方らしいですね、と微かに笑われた。
本当に二宮くんは不器用だ。あの子の事を心配していると認めれば、少しは楽になれるのに。


「心配なのよ。だから今日は早く寝てね」
「…これを飲んだら、今日は帰ります」
「うん、ありがとう」


沢山のものを背負っている、広い背中をポンっと叩く。男らしくて立派な背中だ。でもたまには荷物を下ろして楽をしたらいい。


「…ありがとうございます」


だって、二宮くんは天然で。沢山のものを無理して背負う事も、目を見てありがとうと言う事も出来ないくらい、不器用なのだから。
ホットエッグラム
★ラム酒、ブランデー、砂糖、大匙1
・卵、1個
・牛乳、好きなだけ
卵を卵白と卵黄に分け
卵白はメレンゲに。
卵黄には★を溶かす。
温めた牛乳に全てを混ぜあわせる。
お酒を抜けば『ホットエッグノック』に


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