「…こんな事して許されるのか」
「許されないかもしれないわね」


節電の為に照明を幾つか落とした薄暗い食堂には、私たち以外に誰もいない。
空も白んできた朝朗。私の声と、秀次の絶望に似た声が響く。


「15g足りないわ」
「…こんなに入れても足りないのか」


クッキー


「はい、これで40gね」


耐熱皿に入った黄色の塊に、秀次が絶望的な顔をしている。
バター40g、予想以上にしっかりした塊だろう。
恐ろしいわよね、分かるわ。けれどクッキーにはこの脂肪と油の塊が絶対に必要なのよ。


「20秒くらいチンしたら溶けるから」
「…800wでいいのか」
「溶けるなら何wでもいいよ」


秀次がバターを電子レンジで溶かしている間に、必要なものを厨房に並べる。
ボウル、ゴムベラ、計量スプーンに卵に砂糖に…
あ、そう言えば夕方に諏訪からチョコレートを貰ったわね。あれも入れちゃおう。


「名前さん、溶けた」
「ならそれボウルに移して、卵いれてちょうだい」


ステンレスのボウルと卵を1つ、それと菜箸を渡す。
オーブンで焼くから黒皿を用意しなくちゃ…クッキングシートも。どこだっけ


「混ぜたらどうするんだ?」
「砂糖を大匙2よ」
「…お、大匙2?」
「大匙2、gにすると30gね」
「さ、30…」


たらり、秀次のこめかみに汗が伝う。
そりゃそうか。秀次はクッキーが好きだからよく食べてたものね。そのクッキーが、こんなに脂肪と油と糖に塗れたものだとは知らなかったのね。
ぼた、ぼた。後ろで砂糖が落ちていく音が聞こえる。
頑固で好き嫌いが激しいけれど、なんやかんやで根は素直でいい子だ。


「バターの熱で砂糖が溶けるから」
「うん」
「じゃりじゃり音がしなくなったら教えて」
「分かった」


うん。だって。可愛い。
黒皿にクッキングシートを敷きながら、思わず笑う。
秀次は年上にいい意味でも悪い意味でも好かれる子だ。素直で子どもっぽくて可愛いから。
きっともう少し心に余裕があれば、友達だって沢山出来るだろう。


「音しなくなりました」
「じゃあこれを入れましょう」
「それは…なんですか?」
「ホットケーキミックスよ」
「…ホットケーキミックス」


知らないの?これに卵を入れたらホットケーキが出来るのよ。
少し前にカップケーキを作った時に余らせた粉。
多分今日使えば無くなるかな。確か内容量200gだったし、半端に余るかしら。


「これを150g入れて」
「ひゃく、ご、じゅう」
「ドバっと出るからね、ゆっくりよ」
「はい」


そろそろ、言われた通りに慎重にゆっくりホットケーキミックスをボウルに入れる秀次の姿を眺める。
前髪の隙間から少しだけ見える眉間が、ぐぐぐっ、と寄っている。
ちょっと真剣になりすぎじゃない?そんな深い皺、私人生で初めて見たわよ…


「あ」
「ん?」
「2g多くなってしまった…」
「そのくらい誤差よ。気にしないで大丈夫」


これでさっくり混ぜてね。
しゅん、と落ち込む秀次の頭を軽く撫でてから、ゴムベラを渡す。
随分と背が伸びた。昔は私と変わらないか、私よりも小さかったのに。


「さっくり」
「勢いよく混ぜたら粉が散るからね。全体にバターと卵を混ぜ合わせる感じで、優しく、さっくり」
「バターと卵を、混ぜ合わせる」


優しく、優しく。ゴムベラを切るように入れては、畳むように混ぜる。
本当に素直な子だ。きっと混ぜ合わせる具材達もこんなに優しい手つき初めて!と喜んでいることだろう。私が具材なら喜ぶしきっと惚れる。


「ねえ、チョコ入れてもいい?」
「うん」
「これをねぇ、テキトーに砕いていれるから混ぜ合わせてくれる?」
「分かった」


ぱきぱき、諏訪に貰ったブラックの板チョコを豪快に手で砕いて生地の上に落としていく。
可哀想なチョコレート達。もし秀次だったら優しく砕いてくれたかもしれないのにね。私で悪いわね。
ぱきぱき、半分くらい砕いて落とす。これ以上入れたら真っ黒になっちゃうからね。残りは後で食べよう。


「アーモンドとか入れても美味しいよ」
「…アーモンドはないのか?」
「残念ながら。今日はチョコで我慢ね」


手についたチョコの破片が体温で溶ける前に水で流す。
さてさて生地はどうなったかな。
お、いい感じにチョコも混ざって、うーん、早く焼いて食べたい。


「秀次、もういいよ。丸めよう」
「…冷蔵庫に入れないのか?」
「これは寝かさなくていいレシピだから」
「そうなのか」


本来クッキーは、出来た生地をラップに包んで冷蔵庫で寝かす必要がある。
これはホットケーキミックスで作るお手軽クッキーだからその手順は省いて良いのだが、寝かす事を知っているのは驚いた。
バターと砂糖の量にあれだけ驚いていたのにね。


「スプーン一杯分くらいを手に取って丸めるの」
「スプーン一杯分」
「カレーとか食べるスプーンよ」


秀次はクッキーが好きだから、誰かに作って貰った、或は誰かと一緒に作ったことがあるのかもしれない。
その人のクッキーはきっとホットケーキミックスではなく小麦粉を使って、きちんと寝かして、型抜きを使って作られていたのだろう。
バターと砂糖の量を覚えてないくらい昔に、きっと大事な誰かと作ったのだろう。


「丸めたらここに置いてね。膨らむから距離を開けて置いて」
「分かった」


黒皿に敷かれたクッキングシートの上に、黒い模様の入った丸い生地が置かれていく。
秀次は器用だ。耳が良い可愛い子が作った美味しいハンバーグとは比べ物にならないくらい、綺麗な丸。
秀次のと比べたら、私の方が歪かも。


「よし、全部乗ったね」
「余熱はしたのか?」
「余熱も要らないお手軽クッキーですから」


生地の乗った黒皿を電子レンジに入れて、オーブン機能をポチポチ操作する。
余熱なしの180度で20分。セット出来たら、スタートボタンを押す。


「焼き上がるまでなんか飲みますか」


今日は20分も時間があるのだ。
久々に煎ったコーヒーを飲むも良し、温めた牛乳を泡立ててカフェラテを作るもよし。クッキーが甘いから煎ったブラックコーヒーにしようかな


「お茶はありますか?」
「……ほうじ茶でいい?」


クッキーにお茶?せめて紅茶じゃない?…私もお茶でいいや。ふたつも作るの面倒だしね。時間も時間だし、カフェインなんか取ったらダメよ。お茶。最高じゃない。


用事の帰りにフラフラの秀次を見つけた。
夜間の防衛任務終わり。帰るのも面倒なくらい疲れていて、お腹は空いているが疲れすぎて量は食べられない。とにかく疲れている。
秀次の口からぼろぼろと零れた纏まりのない言葉達を整理して、そういう事なら好きなものを食べよう。疲れた時には甘いものでしょう?と手を引いて厨房に連れ込んだのが10分前。

絶望させたりしてしまったが、結構楽しんで作ってくれていたので良かった。
暖かいほうじ茶を秀次の前に置く。後は焼き上がるのを待つだけだ。


「…昔」
「ん?」
「姉さんと、一緒に作ったことがある」
「…そう」


秀次のお姉さん。確か、4年前のあの日に近界民に殺されてしまったと、昔誰かから聞いた。誰だったか。二宮くんだったか、迅くんからそれを聞いた木崎だったか。
近界民を恨む気持ちが強すぎて、いつも苦しんでいる。秀次は初めて出会った時から、そのままだ。


「楽しい事を思い出せてよかったわ」
「……そうですね」


どうか、苦しみで幸せな思い出を消さないで欲しい。憎しみで大事な思い出を忘れないで欲しい。
ぴー、背後から音がして、立ち上がった秀次が躊躇いもなくオーブンを開ける。


「熱いから手袋するまで触っちゃダメよ」
「…出来てる」
「簡単に出来るでしょ。出来たて、食べましょ」


はい。秀次の右手にペンギンの鍋つかみをはめて黒皿を取り出してもらう。
本当は凄くお行儀が悪いからいけないんだけど、立ったまま焼きたてクッキーを口に放り込む。


「あっつい」
「…れも、おいひいです」
「ほーだね。おいひぃね」


立ったまま食べるのも口に入れたまま喋るのも行儀が悪いからイケナイのだけど。
背徳感と罪悪感と脂肪と油と幸せな思い出のクッキーは、どこか懐かしい味がした。
チョコチップクッキー
・溶かしバター、40g
・卵、1個・砂糖、大匙2
・ホットケーキミックス、150g
・ブラックチョコレート、好み
全て混ぜ合わせたら丸く整形し
180度のオーブンで20分程焼く


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