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自室のドアを開けると、そこには誰もいなかった。
静まり返った廊下が暖色の明かりにぼんやりと照らされ真っ直ぐに続いている。

…気味が悪いな。

自宅とは思えない薄気味悪さを感じ、ドアを閉めようとした。


「…さ、さくぅ…」


今にも消え入りそうな聞き慣れた声が届くと、俺は目を見開いた。
バッと勢いよくドアの裏側を覗き込むと、そこには躰を小さく丸めてしゃがみ込む乃愛の姿があった。

『乃愛…!なんでいるんだ…!』

いるはずのない存在がそこにあり、俺は驚いて声を荒げた。
俺の様子に乃愛は躰をびくっと跳ねさせると、上目遣いでこちらの様子を窺うような視線を送る。

『乃愛、とにかく中に入るんだ』

蹲る彼女の腕を掴んで立たせると、半ば強引に自室へと引き入れた。
静まった廊下を見つめ人がいないことを確認すると、直ぐさまドアを閉め鍵をかける。

『誰にも会わなかっただろうな』

「う、うん…」

『なんで部屋から出たんだ。絶対に出てはいけないと、あれ程言っていたのに』

「っ…、あ、の…ごめんなさい…」

怯えたように俯いて縮こまる乃愛を見ても、動揺がなくならない。
8年もの間、一度だって乃愛はあの部屋を出たことがない。
こんなことは今までなかったのに。
そもそも部屋には外から鍵をかけている為、乃愛が自分で部屋から出ることは不可能だ。

『…加賀美か』

低く呟き、俺は内線電話に手を伸ばした。
屋敷内ではこの電話が各部屋に繋がっている。

「あ…!咲っ…!違うの…、加賀美は悪くないのっ…!」

受話器を持つ俺の腕に乃愛はしがみ付くと、ぶんぶんと首を横に振った。
俺が怒っていることを理解している。

「ごめんなさいっ…!私が悪いの…!加賀美は悪くないのっ、お願い、怒らないでっ…」

『…乃愛、』

「私がわがまま言ったの、咲に会いたくて…。私が悪いのっ、加賀美を怒らないでっ」

俺の腕に掴まったまま必死に訴える乃愛の姿に、やっとのことで頭が冷静になってきた。

『……乃愛が悪いんだな』

「…う、うん」

『…じゃあ、加賀美のことは怒らない』

その言葉に乃愛はほっとしたような表情を見せると、俺の腕からゆっくりと手を離した。
受話器を置いて短く溜め息を漏らす。

加賀美は世話係として乃愛の傍に置いている女性の使用人だ。
俺のいない間の乃愛の世話はすべて彼女に任せている。
使用人の中では最も信用している存在だっただけに、今回の件が気掛かりではある。

『…それで、乃愛はどうして俺の言いつけを破ったんだ?』

厳しい口調でそう咎めるように言うと、乃愛は不安気に瞳を揺らしてこちらを見つめた。
落ち着きなく両手の指を腹の前で絡ませながら俯くと、「だって」と小さく呟いた。

「……だって、咲…ちっとも会いに来てくれないから…」

震える声で言ったかと思うと、乃愛は唐突に俺に抱き着いてきた。
ぎゅっと俺の背中に手を回して顔を埋める。

「咲っ…!会いたかったっ…、会いたかったよぉ…」

ぴったりと抱き着いて泣き出した乃愛に、俺はただ茫然と立ち尽くした。





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