Episode.5



 金木犀の香りが風に乗ってどこからか漂い始めたこの季節に、私はまたひとつ年を重ねた。

 十九時に仕事を終えて1DKのアパートへと帰宅した私は、二人掛けのダイニングテーブルに買い物袋を置くと、中から新聞紙にくるまれた一輪挿しの花瓶を取り出した。
 一人暮らしを始めてから購入したアイボリーの木製テーブルは、家具を見に行った際に一目惚れして衝動買いしたお気に入りだ。このお気に入りのテーブルに青いバラが飾られる事を想像しながら、駅ビルの雑貨屋さんで花瓶を買ってしまったのだ。

「…私、浮かれてるのかな」

 ぱちん、っとバラの根元を水の中で斜めに花切り鋏でカットすると、買ったばかりの透明なガラス花瓶に青いバラを飾った。どんなものがいいかと悩んだ末に、結局間違いないであろう透明の花瓶を選んだけれど、それで正解だったみたいだ。鮮やかな青が良く映える。

 この青いバラを見ていると、どうしても高嶺さんのことを思い出してしまう。

 花の名前を口にする時、彼は妙に愛おしいものでも見るかのように私を見つめた。まるでその名前の花を思い浮かべているような、別の何かを見ているような。

 あの柔らかな表情を思い出しては、私はぽっと頬を赤く染めた。高嶺さんの言葉が脳内で再生される度に、顔が熱くなる。嘘か本当かも分からない、あんな軽い調子の告白に、私の心は確かに揺れていた。

 どきどきと脈打つ心臓には気付かないふりをして、私はもうひとつの袋の中からサラダと割引シールの貼られた幕の内弁当を取り出した。お弁当の方をレンジへと放り込み、温めている間に冷蔵庫を覗き込む。

「今日くらい、いっか」

 自分を甘やかす言葉が滑り出ると、冷蔵庫から缶チューハイを手に取った。いつもは平日のお酒は控え、夕食に簡単なものを作ることが多いのだが、今日は徹底的に自分を甘やかすことに決めた。

 一人寂しく誕生日の夜を過ごすのだから、何もかもやる気なんて起きやしない。

 椅子に座って割り箸をぱきっと二つに引き離した瞬間、テーブルに置いていた携帯電話がブー、ブー、と振動し始めた。手に取って画面を確認し、無意識に深い溜め息が溢れ出る。

 ディスプレイに映し出された「お母さん」の文字に、暫く画面を見つめて出るか出ないか悩んでいると、ぴたりと震えが止まった。

「…あとで掛けなおせばいいよね」

 どうせ言われることなんて決まってるんだから。

 母からの電話でいい気分になれたことなんて、ほとんどない。二言目には「いい人はいないの?」なんて、同じことを繰り返す。

 二十七にもなって恋人がいないというのは、そんなに心配になることだろうか。結婚だの子供だのと、言われたところで簡単にできるものでもないというのに。

 “恋人”を作ることに関しては、三年前の出来事で少し懲りている。

 スーパーで買った出来合いのお弁当を前に、私ははぁっと小さく息を吐き出した。

 せっかく高嶺さんから貰った綺麗なバラのおかげで、一人きりの誕生日も良い気持ちで過ごせそうだったのに。まだ会話もしていないのに、既に母にあれこれ言われたような気分になった。

「高嶺さんは、私のなにが良くてあんなこと言ったんだろうね」

 花びらを艶めかせて咲いている青いバラを見つめて、話しかけるようにそう言葉を漏らした。

 ああ、なんてこと。これはもう、完全に高嶺さんの術中にはまってしまっているのではないだろうか。この青いバラの存在が、いちいち彼のことを思い出させる。

「…やっぱり、花なんて貰わない方がよかったのかも…」

 このバラがこの部屋に存在し続ける間、私はきっと何度でも彼のことを考えてしまうのだろう。

 なんだかとっても、複雑な気分だ。




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