Episode.2




 マスターに促されるようにして、私は高嶺さんの手からそっと青いバラを受け取った。

「…ありがとうございます」

「いいえ、白井ちゃんに貰ってもらえて、そのブルーローズも喜んでるよ。もちろん俺も」

 軽々しい高嶺さんの言葉に私は顔を顰めつつ、手にした青いバラを見つめた。

 まさか初めて男性から花を貰うのが、お客様の高嶺さんで、バラだなんて情熱的な花になるとは思ってもみなかった。
 「見て」と言わんばかりに綺麗に咲き誇るバラの姿に、花をプレゼントされるというのは、くすぐったくて、案外嬉しいものなのだなと口許を緩めた。

「高嶺くん、いつものでいいの?」

「うん、この後用事があるから、テイクアウトでお願い」

「了解」

 マスターとの短いやり取りを終え、高嶺さんはにっこりと私に向かって微笑んだ。
 恐ろしく整った邪気の無いその笑顔が逆に怖いだなんて、言えるわけもない。

「なんですか」

「白井ちゃん、俺と付き合ってよ」

 いつもコーヒーを注文する時のような声色で、なんの躊躇いもなくさらりと彼はそう言ってのけた。
 あまりの唐突な発言に一瞬何を言われたのか分からず、呆気に取られて私は目を丸くした。

「冗談はやめてください」

「本気で言ってるんだけど。今日はこれを言いたくて来たんだよ」

「冗談じゃないのでしたら、お断りします」

「なんで?」

「なんでって…、」

 本気で分からないと言う顔で私を見つめる高嶺さんの姿に、私ははぁっと溜め息を漏らした。
 何故分からないのだろうか。分からないことの方が、不思議だと言うのに。

「私、高嶺さんのこと、何も知りませんから。下の名前すら知らない相手と、いきなり付き合うなんてことはできません。そもそも高嶺さんは、私の何を知って…」

「藤」

「え…?」

「藤だよ。高嶺藤。俺の名前」

「ふじ…って、」

「藤の花ね。結構気に入ってる。白井ちゃんはなんて名前なの?」

 墓穴を掘ったことに、彼の質問で気が付いた。
 「藤」だなんて自分にぴったりな名前を引っ提げて、あろうことか私が一番聞かれたくないことを尋ねてきた。

「…知る必要ありますか、私の名前なんて」

「え、だって今、白井ちゃんが言ったんだろ。下の名前も知らない相手とは付き合えないって」

「そうですけど…、私、自分の名前が好きじゃないので、答えたくありません」

「いやいや、ずるい、だめでしょ。俺は教えたのに。俺も白井ちゃんのこと、知りたいんだけど」

 ずるいって、まるで子供みたいに。
 私は不満そうにこちらに視線を送る高嶺さんと目を合わせると、観念して肩を竦めた。
 手に持った青いバラへと視線を落とし、ぽつり、小さく呟いてみる。

「莉梨…、です…」

「え…?」

「白井…莉梨です…」

「りり?漢字はどう書くの?」

「…草冠に便利の利と、果物の梨です」

 俯いたままぼそぼそとそう答えると、一瞬黙り込んだのち、高嶺さんは声を上げて笑い出した。
 静かな店内に彼の澄んだ笑い声が響き渡り、なんの遠慮もなく笑うその姿に、私の頬は一気に熱を持った。

「だ、だから言いたくなかったのに…っ!」

「いや、違う、ごめんっ…、くくっ…、変とか、似合わないとかじゃなくて」

「じゃあ何なんですか…っ」

「怒んないで、ほんとごめん、だって…、花が渋滞してるから」

 「はぁ?」と思わず声に出たのは、彼の言葉の意味がひとつも理解できなかったからだ。
 相手がお客様だと言うことも、ここが雰囲気を大切にする喫茶店だと言うことも、すっかり忘れてしまっていた。

 幸い店内には見慣れた常連のお客様しか居らず、こちらに微笑ましいというような視線を送ってきている。
 というより、色恋沙汰な筒抜けの会話に、みんな聞き耳を立てている節がある。

「花が渋滞って、なんですか…。梨のことですか?」

「うん、だって名前だけで三つも花が隠れてるなんて面白いよ。おまけに苗字が白井って、絶妙」

「花なんて、三つもありませんよ」

「あるよ。ジャスミンと梨。最初の莉って漢字はジャスミンを連想させる」

 やっと落ち着いた声音で高嶺さんは笑みを浮かべてそう言うと、頬杖を付いて眩しいものでも見るかのように目を細めた。

「あとはほら、リリー。百合の花」

「え…?」

「白い百合って、君はマドンナリリーだったんだね。俺の好きな花」

 無邪気な笑顔で発せられた言葉は、他の男性が言っていたら間違いなく背筋が凍っていただろう。鳥肌が立ってもおかしくないような台詞を、まるで何でもないことのように彼は言う。
 なんて、クサい台詞。

 それなのに、何故だろう。

 この瞬間確かに、私の名前は今までとは違う、特別な響きを含んで輝いた。




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