9
中学二年のあの夏まで、律のことを男の子として意識したことは一度もなかった。
小さい頃からずっと一緒にい過ぎたせいか本当の兄弟のように思っていたし、律や礼もそうなのだと思って疑わなかった。
二人は一番大切で、一番信じられる人。
今も、変わらず。
「…っ、律…、ち、近いっ…」
律の両手が逃げ道を塞ぐように澄の顔の横でロッカーに手を付いている。
澄は真っ赤な顔で焦りながらも律の躰を両手で制し、これ以上の至近距離を避けようと必死だ。
そのほぼ無意味な行いが楽しくて仕方がない様子で、律はにやにやしながら顔を近付ける。
「いやぁ、楽しいな澄。お前が俺にそんな反応してんの見るのは。中学ん時じゃあり得ねーもんな」
「な、なんでそんな意地悪言うのっ…、ちょっと離れてよっ…」
「無理だろ、そんなの。観念してこっち見ろ」
「…や、やだっ…、何するか分かるっ…」
「分かってんなら早くしろよ、無理やりすんぞ」
「さっき…、もうしたじゃん…」
火照った顔を背けながら困ったように眉根を下げる澄へと律は不満気な視線を送った。
逃げ道なんてないこの状況で、相変わらずの強情っぷりだ。
「…無理やりしたら意味ねーだろ。俺はお前と今したいんだよ」
はっきりとした物言いに澄は恥ずかしさで唇をきつく結ぶと、ちらりと横目で律を見た。
律はすべてを見透かしている。澄が自分を拒むことはないと。
「……律の、わがまま…」
「なんとでも言えよ、お前の前じゃ俺は普通でいられないんだよ。嫌なら全力で拒め、澄が嫌がることは絶対にしない」
「……ずるいよ、」
消え入るような小さな声で呟きながら顔を律の方へと向けると、すぐに唇を奪われた。
「…んっ」
ぎゅっと瞳を閉じて律のシャツを掴み、躰を僅かに強張らせる。
先程の強引なキスとは打って変わって、唇の感触を確かめるように何度も挟み込むようなキスを繰り返し、やんわりと舌先が澄の舌に触れる。
短いキスの合間に前髪の隙間から覗く熱っぽい律の視線が、澄の躰をじんわりと熱くした。
醸し出される色気にどきどきと鼓動が速まり、意識が唇に集中していく。
「ふっ…、ん、っ…」
徐々に深くなっていくキスにお互いの唾液が混じり合い、呼吸が荒くなる。
柔らかい舌の感触が心地よく、甘い痺れが全身に広がって今にもとろけてしまいそうだった。
「っ…、お前…、エロい…」
苦悶の表情を浮かべた律が、唇が触れる距離で吐息を漏らした。
とろりと垂れ下がった澄の瞳を見据え、ほんの一瞬逡巡したのち逃げるように目を伏せる。
「…これ以上したら、止まんなくなる」
甘く痺れたキスの余韻から言葉の意味を理解できず、澄は呼吸を乱したままぼんやりとした様子で律を見つめた。
「んな顔で見んなよ……くそっ、すげぇヤリたくなってきた」
生々しい発言に澄はやっとのことで意識を戻すと、かぁっと一気に頬を赤らめた。
律が苦しそうにしている理由が分かると、既に後ずさることのできない背中をロッカーにぴたりと押し付ける。
「…礼のやつ、よく我慢したな。強靭な理性を持ってやがる」
苦々しげにそう呟くと、律は躰を硬直させてこちらを見ている澄を一瞥した。
すっかり我に返った澄の様子を確認するなり、にやりと口角を上げる。
「えっ…、律、やだっ…」
「なんもしねーよ、アホ」
澄を強引に引き寄せて自身の腕の中にすっぽりと包み込むと、彼女の細い腰を掴んで躰を密着させる。
「っ…!」
「さすがに当たってんの分かんだろ?鈍いからなお前は。俺はお前が相手だとキスだけでこんなに興奮すんだけど」
「〜っ、や、だっ…、律の変態っ…」
「誰のせいだと思ってんだよ。…これで俺が男だって意識すんだろ。礼だけじゃなくて、俺のこともちゃんと考えろよ」
押し当てられた律の硬くなった欲望に、澄は顔を真っ赤にしてこくこくと首を縦に振った。
「か、考えるから…!ちゃんと、男の子だって思ってるから…!は、離してっ…」
「……それ、性的な意味だろうな?」
「そうだよ…!もういいでしょ…!帰ろうよっ」
必死になって声を上げる澄をまだ信用できないような目で律は見やるが、仕方なさそうに腕の中から解放した。
抱き締められていたことで高鳴る胸を手で押さえながら、澄はほっと安堵の息を吐き出す。
「ほら…、もう帰ろうよ。私、荷物持って来ないと」
「………待て、」
「な、なに…?」
「…治まってから行くぞ」
それが何を意味するのかすっかり把握できてしまった澄は、熱く火照った頬を隠すように俯いた。