ひみつ基地




「一人で大丈夫?私も行こうか?」

放課後の教室で帰り支度をしている澄へと、華恋は心配そうに声をかけた。

澄から陸上部に見学へ行くことを告げられた華恋は、彼女が中学時代に陸上をしていたことにまず驚いた。

しかしそう言われると、スカートから覗くすらりとした長い脚が自分と違って筋肉質に見える。
澄の細くしなやかな躰はスタイルの良さを際立たせ、運動部に所属していたことをすんなり納得させた。

春に行われた体力測定で彼女が女子の中で群を抜いていたことを思い出したのも、その要員のひとつだった。

「一人で大丈夫だよ、涌井先輩優しい人だったし。華恋も部活あるでしょ」

鞄を肩に掛けながら澄は笑顔で言葉を返すと、華恋と連れ立って教室を出た。
つい最近、華恋は新聞部に入部した。
入る部活をこの時期まで悩んでいた華恋だったが、新聞部に入る決め手になることがあったらしい。
詳しく聞いていないが、彼女が毎日楽しそうにしているので良しとした。

「分かった、何か得られるものがあるといいね。涌井先輩も結構かっこよかったし、ちょっと羨ましいけど」

「ふふ、確かに笑顔が可愛い人だったかも」

「あ、澄の口から如月兄弟以外の男の話を聞くのは珍しい!如月くんがやきもち焼くよ」

「…律は私のことでやきもちなんて焼かないから」

苦笑いでそう一蹴し、新聞部の部室へと向かう華恋と階段の手前で別れた。
三階にある一年A組の教室から一階まで降り、下駄箱で靴に履き替えてグラウンドへと向かう。
野球部やサッカー部の活気のある声が響き渡るグラウンドは、澄にとっては懐かしく、どこか感傷的になる場所だった。

グラウンド内で陸上部の活動しているスペースまで歩いて行くと、涌井が澄の存在に気が付いて駆け寄って来た。

「逢坂さん、来てくれたんだ。ありがとう」

練習用のTシャツとハーフパンツ姿の涌井が嬉しそうに笑顔を向けた。
健康的に焼けた肌が彼の快活な笑顔によく似合う。

「いえ。あの、私制服で来ちゃったんですけど…」

「ああ、大丈夫だよ。今日は見学だけの約束だしね。今はみんなウォーミングアップやストレッチをしてるけど、その後個人で別れて練習するから見て行くといいよ」

「はい、ありがとうございます。人数…結構少ないんですね」

「そうなんだよ、三年が抜けたら一気に減っちゃって。今年は一年があんまり入らなかったからね。逢坂さんは短距離だったんだって?」

「…そうです、一応…」

「俺も短距離だから、ストレッチ終わったら呼びに来るよ。この辺で待っててくれる?」

「分かりました」

涌井が部員の元に戻っていく姿を見届けると、澄はぼんやりと白線の引かれたトラックを見つめた。
中学で部活を引退して以来、一度も自分の意思で足を踏み入れていない場所。
もっと緊張するかと思っていたが、物腰の柔らかい涌井の存在のおかげか平静でいられている。

…自分の場所だと感じていたあのトラックも、今では何も感じない。
それがどうしようもなく、寂しい。





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