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華恋の想い人である「如月先輩」とは、礼のことだ。
礼や律とは小さい頃からの知り合いであり、いつも一緒にいた幼馴染だということは高校の友人達には話していない。
二年近くも会話をしていないのだから、話せなかったという方が正しいのだが。
「これ、渡しに来たの」
「…なにこれ」
躊躇いがちに差し出された紙を一瞥し、礼は表情を変えることなく澄へと視線を向ける。
声のトーンが落ち、冷たく聞こえたのは気のせいだろうか。
「私の友達に遠山華恋って子がいて、礼のこと気になってるみたいなの。その…、できれば連絡してあげてほしい」
差し出した手が、緊張で僅かに震える。
礼の顔を見ることもできないまま俯いていると、短く息を吐く音が聞こえて思わず顔を上げる。
ばちっと礼と目が合い、その鋭い瞳に射抜かれる。
「受け取れない」
はっきりとそう告げる言葉からは、礼の感情が読み取れない。
困惑して瞳を揺らす澄を見て、彼はふっと笑みを溢した。
「…澄は、なかなか残酷だな」
「……え…」
「やっと来てくれたから少しは期待したけど、無意味だったよ。澄、悪いけどそれは受け取れない。お前の手から、受け取るつもりはない」
迷いのない礼の言葉に、酷く動揺した。
行き場をなくした右手をゆっくり下ろすと、血の気が引いていくのが自分でも分かった。
礼と華恋の気持ちを同時に踏みにじった。自分勝手な都合で。
「話はそれだけ?もう帰った方がいい、本当に風邪引くよ。少し、顔色も悪いし」
澄の顔を覗き込んで気遣うようにそう言うと、礼はふと気付いたように空を見上げた。
いつの間にか雨が止んでいる。
「暗いから送る」
黒い傘を閉じて門扉に立て掛けながら、身動きしない澄に視線を送る。
彼女の家の方へと歩き出そうとするが、肝心の相手が動く気配がない。
「…澄、俺がそれを受け取らないことは、最初から分かってたんじゃないのか」
溜め息混じりにそう言って、青ざめる彼女に顔を向ける。
図星を付かれたような澄の表情を見て、礼の中に加虐的な思考が芽生える。
苛立っていた。彼女の行動すべてに。
「何がしたいのか分からないけど、最低だな、澄」
口許に薄っすらと笑みを浮かべて澄の前に立つと、そっと彼女の左手から傘を抜き取った。
自分の手で傷付いていく彼女の姿を、しっかりこの目に焼き付けておきたい。
もう二度とこうして向き合うことはないのかもしれないから。