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如月家の前で少しずつ止み始めた雨をぼんやりと眺める。
雨が傘にパタパタと当たる音が心地よく、街灯の殆どない田んぼ道は真っ暗で何も見えない。
家の中からはほんのりと夕食のいい匂いが漂い、ぐぅと澄のお腹が鳴った。
…お腹空いたな。
あれから四十分くらいの時間が経ち、澄は夕食のメニューを考えながらお腹を摩った。
俯いて自身の足元を見ると、素足にローファーという何とも言えない格好をしている。
みすぼらしいと律に言われたことを思い出し、なんとなく恥ずかしい気持ちになる。
「……澄…?」
ふと名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げた。
こちらに向かってくる人影が、玄関の外灯に照らされてはっきりと見えた。
「礼…」
久しぶりに、名前を呼んだ。
如月 礼(キサラギ レイ)。律の一個上の兄であり、澄のもう一人の幼馴染。
「なんでいんの…?」
驚いたような彼の顔は、律とよく似ている。
切れ長な二重瞼は律と同様に鋭いが、彼の放つ親しみやすい雰囲気がそれを和らげる。
色素の薄い茶色の髪が地毛であることを知っている人は数少ないだろう。
律より僅かに高い身長が、彼のスタイルの良さを際立たせていた。
「あの…、突然ごめんなさい。礼と話がしたくて…待ってた」
遠慮がちな澄の言葉に困惑した様子で口許を覆うと、彼女を確認するように上から下まで視線を動かした。
「澄…、なんでそんな格好してんの」
「えっ…、これにはちょっと事情が…。雨に濡れただけだから気にしないでほしい」
「濡れたって…、そのまま待ってたのかよ。風邪引いたらどうすんだよ。家に上がって待ってるとか、他にあっただろ」
心配そうに近付いて来る礼の姿に、澄は困ったように笑って見せた。
兄弟揃って言うことは同じなのだ。
「急に自分勝手に押しかけて来たのに、真っ先に私の心配してくれるんだね」
「…それは…、当たり前だろ」
礼はばつが悪そうに視線を逸らすと、言葉を飲み込むように黙り込んだ。
二人の間に短い沈黙が訪れ、気まずい空気が流れる。
お互いが顔を見合わせて会話をするのは中学以来なのだ。
律以上に礼との距離が遠いことは、澄にも分かっていた。
「……それで、どうしたんだよ。急に」
沈黙を破って先に口を開いた礼は、俯いて黙り込む澄に視線を送った。
何から話せばいいのか思考を巡らせていた澄は、思い出したように「あっ」と声を上げてスカートのポケットを探る。
少し湿った二つ折りの小さい紙を取り出し、ほんの一瞬躊躇した。
沸々と湧き上がる罪悪感が、躰の中を支配する。
華恋の連絡先が書かれた紙。
今これを渡すことが最低なことだと、自分自身で理解していた。