Episode.4



春休みという短い期間を利用して、雛は広大な敷地内に建つ洋風のお屋敷に短期アルバイトとして数ヶ月間使用人をする事となった。

春休みの期間だけを屋敷に住み込みで働き、学校が始まってからは自宅から仕事先に通う事となっている。
昨日は住み込みの準備と仕事内容の確認、正式に働き始めるのは今日が初めてだ。

「北村さんには主に清掃をして頂きます」

複数の使用人と慌ただしく朝食を済ませた後、雛は葵に連れられて玄関先の屋外へと案内された。
竹箒を渡され、寒さの残る朝の空気に躰をぶるりと震わせる。

「さ、寒いんだけど」

「躰を動かしていれば温かくなりますよ。お庭は庭師の方が手入れをしているそうなので、玄関先の掃き掃除をお願いいたします」

「玄関先って…どこまで…」

雛は呆然としながら「玄関先」と言われた周囲を見渡した。
建物から門まで随分と距離があるような気がするのだが、まさか門周辺までを玄関先とは言うまい。
あれは車が走る道路みたいなものではないか。現に今も黒塗りの車が数台門から出て行った。

「ここから見える範囲は全てお願い致します。花壇には手を触れないようにしてください」

「見える範囲…?嘘でしょ?私一人で…?」

「今は人手が足りていないんです。だから北村さんのようなぼーっとした方でも雇って頂けたんですよ。まさに猫の手も借りたい状況ですから」

とんでもなく失礼な事を言われたのではないだろうか。
雛は怪訝な顔で本来自分に従う立場である筈の男を見上げた。
この屋敷で働いている間は、葵と雛は上司と部下、先輩後輩のような関係だ。

もちろん後者が雛である。
「北村」という母の旧姓を名乗っているのも、雛が西園寺のご令嬢であるという事実を隠して働く事になっているからだ。

当然葵が自分の執事である事も、この屋敷では秘密事項なのだ。

「葵…貴方って人は…」

「柏木です、北村さん」

「……柏木さん、貴方はどうしてそんなに偉そうに私に指示ができるのですか」

不機嫌そうに眉根を寄せて葵の顔を睨むと、彼はにこりと爽やかな笑顔を見せた。
大抵の女性はこの笑みに騙されそうなものだが、今の雛には腹黒い怪しい笑みに見えるのだから不思議だ。

「私は北村さんより一ヶ月早くこのお屋敷で働いています。新人の貴方の教育を任される程度には既に信頼と実績を得ているのです」

思いもよらない発言に、雛はぽかんと口を開けた。
一ヶ月も前から働いている?
そんなはずはない。

「嘘だ…だって貴方、西園寺にいたじゃない」

「ええ、本来の仕事を疎かにするわけにはいきませんからね」

「ここと西園寺を行き来してたってこと…?貴方いったいどれだけ働いてるのよ」

「もちろん、西園寺の使用人の方々に協力して頂いていますから問題ありません」

「信じられない、働きすぎよ。私の我儘のせいで、葵が過労死しちゃう」

「心配してくださるのですか?」

「当たり前でしょ!」

真剣な表情で自分を見つめる雛へと微笑すると、葵はスーツのポケットから黒のスエード手袋を取り出し、そっと彼女の手を取った。

「朝はまだ冷えますから、怪我防止も含めてはめておいてください」

小さな手にぴったりなサイズの手袋が葵の手によって優しくはめられ、されるがままに視線を手に落としていた雛はぐっと込み上げる感情を押し殺すように唇を結んだ。

「葵…わたし…」

「…大丈夫ですよ。雛さまの言葉ひとつで、私の疲れは吹っ飛びますから」

「そんなの…」

「北村さん、話はこれぐらいにして仕事をしてください。休憩時間になったら呼びに来ますから」

葵はそう言って口許に笑みを浮かべると、雛をその場に残して颯爽と屋敷の中へ姿を消した。
ぽつんと玄関前に取り残された雛は、多忙な葵と自分のこれからの清掃範囲を思い、深い溜め息を溢した。





  
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