Episode.2



「葵―!見て見て、今日小テストがあったの!」

四月から小学校六年生となった雛は、着慣れた濃紺のワンピースの制服を身に纏ったまま、給仕室にいる執事の葵へと嬉しそうに駆け寄った。
学校から帰宅するなり着替えもせずに真っ先に廊下を駆け回って葵を探し始め、給仕室でちょうど雛のお茶菓子を用意していた彼を見つけ出したのだ。

「お帰りなさいませ、お嬢様。室内で走るのは危ないのでお止めくださいと、何度も申し上げておりますが、お忘れですか」

生真面目な口調でそう言いながら薄っすらと笑みを浮かべた執事の顔を見つめて雛は一度瞳を瞬くと、不満そうに口を噤んだ。
せっかく帰宅したというのに、まだ学校にいるみたいだ。

「ただいま帰りました、葵様。本日小テストがありましたので、すぐに結果のご報告をしたくて慌ててしまいました。はしたない振る舞いをお許しください。お時間がある時に、見て頂けますか?」

楚々とした佇まいでにっこりと微笑んだ雛の姿に葵は虚を突かれたように一瞬黙り込むと、口許に手の甲を当てて顔を逸らした。

「……なぁに、今の変だった?」

「いえ……、急に別人のようになるものですから……」

「やだ、笑ってるの?学校ではいつもこんな風にちゃんとしてるってところを、見せただけなのに」

「もちろん、分かっていますよ。これからお部屋におやつをお持ちしますから、その時にテストの結果を教えてください。ゆっくりお話できるよう、先にお着替えを済ませておいて頂けますか」

葵の言葉に雛はぱぁっと表情を明るくすると、大きく頷いた。

「お着替えはご自分でできますか?」

「できるよ……!小さい子供じゃないんだから!からかわないで!」

もお!と頬を赤くして葵の冗談に言い返し、テストの答案用紙を手に雛は来た時と同じようにぱたぱたと足音を鳴らして忙しなく給仕室を出て行こうとする。
直前で「お嬢様」と自分に向けられた葵の静かな呼びかけにぴたりと動きを止めると、振り返らずに背筋を伸ばしてゆっくりと落ち着いた動作で給仕室を後にした。

彼女の様子を葵と一緒に見ていた他の使用人たちも、微笑ましいお嬢様の姿に頬を緩める。
幼い頃から“西園寺”である父の顔に泥を塗らないようにと、人前では礼儀正しく美しく振る舞うことを意識していた雛にとって、ここ三ヶ月程ですっかり打ち解けた葵への態度は無邪気な子供そのものだった。

「最近お嬢様が明るくなられたと、みんな喜んでいますよ。柏木さんのおかげですね」

「いえ、私は何も。毎日楽しそうに学校に通っていらっしゃるので、私も嬉しいです」

メイド服に身を包んだ女性の言葉に穏やかな口調で返すと、宝石のように色とりどりのフルーツがのったタルトと、カフェインレスの温かいミルクティーが入ったティーポットをトレイに置き、葵は隙のない所作で給仕室のドアへと向かう。

「それでは、失礼いたします」

一言挨拶をして出て行けば、残った使用人の女性たちが喜々として弾んだ声で彼の話をするのは、最早当たり前のようになっている。

まだ十代であるとは思えない落ち着いた仕事ぶりと、人を魅了する美しい容姿に西園寺邸の誰もが彼を認めていた。
心を閉ざしていたお嬢様をも元気にしてしまったのだから、非の打ち所がないとは彼の為にある言葉なのではないだろうかと、周りの使用人たちは口々に話をする。

なぜ葵が十四歳の頃から西園寺邸に住んでいるかを、知る者は数少ない。

誰に対しても同じ態度で接する彼の姿は、一切の心の隙も見せない鉄壁のガードそのもので、彼のプライベートは謎に包まれていた。




  
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