Episode.12



知らない方が、よかったのかもしれない。
葵と肌を重ねることができる女性が、この世界に存在することなんて。
彼とひとつに繋がることができるだなんて、そんな、夢のようなこと。
知らないままなら、望むことだってなかったのに。
誰とも知らない女性を、どうしようもなく妬ましく思うことだって、なかったのに。


「…柏木がこの場にいたら、少しはぐらついたかもな」

求めるような雛の潤んだ瞳に陽介は苦笑すると、彼女の目尻をそっと指でなぞって頬を包んでいた両手を離した。

「陽介様…、あの…」

「北村、もう戻った方がいい。これ以上男の部屋にいるのは、あまり良いことじゃない」

「は、はい…」

「性行為なんてのは、基本的に好きな男とした方がいい。まぁお前に言わなくても、好きな男としかできないようなタイプだろうが」

「肌を重ねるのは、好きだからなのですか?」

「…答えづらいこと聞くな。自分のことを言うのであれば、俺は愛なんてなくてもできる。気持ちいいからな」

「そんなに気持ちいいんですか?」

「お前も経験すれば分かるようになる。あとは自分で予習しろ。携帯ぐらい持ってんだろ?ネットで調べりゃ一発なんだぞ、本当は」

「えっ、そんな破廉恥なことを調べるんですか!」

「破廉恥って……、大真面目に使ってる奴初めて見たな」

笑い混じりにそう言うと、陽介はベッド脇にあるチェストの一番上の引き出しを開け、中から取り出したものを雛へと差し出した。

「ほら、これでも持って早く部屋に戻れ」

「…なんですか?これは」

四角形に個包装された手のひらサイズの薄い包みを見て、雛は不思議そうに首を傾げた。

「避妊具だよ。コンドーム。男側が付けるやつな」

「避妊具…これが…」

「それでも柏木に渡して、私の初めてもらって下さいって迫っておけよ。案外もらってくれるかもしれないぞ」

「ええっ!!無理ですっ!こんなのいりませんっ…!」

「冗談だよ、お守り代わりに持っとけよ」

「お守り…避妊具が…」

眉間に深い皺を寄せて険しい顔で避妊具を見つめ、突き返すこともできず雛は仕方なしにエプロンのポケットへとそれをしまい込んだ。
正直使い方も分かってはいないが、予習しろと言われたので後から自分で調べてみる決心をした。

「陽介様、今日はありがとうございました。紅茶もケーキもとっても美味しかったです。無知な私に色々と教えて頂き…とても勉強になりました」

「ああ…、茶ぐらいまたいつでも飲ませてやるから。これを機に男に変なこと頼むのはやめろよ、危なっかしい」

「はい…肝に銘じておきます…」

見送られるようにして陽介の部屋を後にすると、雛はほうっと安堵の息を吐き出した。
婚約者の彼のことを知る為に来たというのに、自分の欲ばかり満たしてしまった。
美味しい紅茶も、無知な己の好奇心も。

葵のことを諦める筈が、初めて人に彼を好きだと打ち明けてしまった。
その相手がまさか自分の婚約者だなんて、どうかしている。

雛は自室へと続く廊下を歩きながら、エプロンのポケットにしまい込んだ避妊具を取り出し、ぼんやりとそれを見つめた。

もしも誰かと触れ合うことができるのだとしたら、その相手は葵がいい。
まったく知らない未知の世界は、葵が相手であればきっと怖くない。

今日口にしたあの濃厚なアッサムのミルクティーのように、私の知らない世界を、彼と一緒に味わってみたい。

それが、できたら。






〜アッサムにはミルクと砂糖を〜






  
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