▼ Episode.5
コンコンと小気味良い音を響かせてドアをノックすると、室内から「どうぞ」という短い返事が返ってきたので、雛は中を覗くようにして遠慮がちにドアを開いた。
「失礼します…」
使用人の部屋の倍以上ある開放感ある広々とした室内に出迎えられ、雛は驚きで目を瞬いた。
広い室内など自宅で見慣れている雛にとって、驚いたのは部屋の広さではない。
オフホワイトのカーペットが敷き詰められた広い部屋に、どんと鎮座した大きなベッド。洋風のお屋敷に似合うモノトーンのクラシック家具は、背の低い長テーブルと三人掛けソファ。テーブルを挟んだ向かい側に一人掛けのソファが二つ。ベッド脇にはチェストが一つ。
え、これだけ…?
驚いたのは部屋の広さに似つかわしくない家具の少なさだった。
余計な物はひとつもない。気になる物と言えば、床に転がったバスケットボールくらいだ。
「北村、突っ立ってないでこっち座れよ」
ドアの前で佇んでいる雛を、三人掛けソファに座った陽介が呼びつける。
陽介のすぐ横では、ティーポットなどが載ったカートを前に立っているメイド服姿の女性が笑顔で雛を見つめていた。
「あの…、本日はお招き頂きありがとうございます」
「うわ、かたっ苦しい奴だな。そういうのいいから、とにかく座れって」
ぺこりと礼儀正しく頭を下げた雛へと嫌そうな視線を送ると、陽介は自分の前にある一人掛けソファに座るよう促した。
「失礼します」と一言添えてソファに座った雛は、陽介の横に立つ女性に視線を送った。
「堀川花穂です、北村さん。持ち場が違うのできちんと自己紹介するのは初めてでしたね」
にっこり優しく微笑む堀川花穂(ホリカワ カホ)と名乗った女性は、すっきりとしたショートカットヘアの穏やかな雰囲気を纏った綺麗な人だった。
「北村雛です。あの、お手伝い致しましょうか」
「ふふ、今は北村さんは陽介様のお客様ですから、気にせず座っていて下さい」
「そうだぞ、おとなしく座ってろ。つーか、お前着替えて来なかったのか?そんな格好してるから堅苦しいのが抜けないんだよ」
「えっ」
私服に着替えるのもどうかと思いメイド服のまま来たのだが、どうやら失敗だったらしい。
なんとなく肩身の狭い思いをして縮こまる雛を見て花穂はくすくすと小さく笑うと、ティーポットから紅茶をカップに注いだ。
フラワーリースのデザインがあしらわれた丸いフォルムのティーポットは、美しい金彩と愛らしい花々が散りばめられたエレガントな逸品だ。
同じデザインのカップとソーサーがティータイムを優雅に演出している。
「北村さんは紅茶がお好きだと伺ったのですが、ミルクティーはお好きですか?」
「はい、ミルクティーは大好きです」
「よかった。季節外れですが美味しいモンブランを蒼井のパティシエが作ったので、ミルクティーと合わせてみました。どうぞ召し上がって下さい」
紅茶のカップと同じデザインのケーキプレートにのったモンブランが雛の前に置かれると、「わぁ」と思わず感嘆の声を漏らした。
季節外れなど感じさせない栗色のペーストを纏った美しい螺旋状の山が、つやつやとしたマロングラッセをその頂きにのせて堂々と佇んでいる。
甘いもの好きの雛にとって、この上なく嬉しいデザートだった。
「食っていいぞ。待てを言われた犬みたいな顔してるからな」
「え…、す、すみません…。はしたないですね」
「…いや、いいって。普通にしてろよ」
「はい…。えっと、では頂きます」
陽介に促されるようにして雛は紅茶のカップを手にすると、ミルクのたっぷり注がれた優しい茶色の色合いをした飲み物を見つめ、味わうようにこくりと一口飲み込んだ。
「美味しい…、アッサム…」
「…アッサム?なんだそれ」
「陽介様、アッサムとは茶葉の種類ですよ」
「飲んだだけでそんなことが分かるのか」
「普段からお好きで色々な紅茶を飲んでいる方なら分かるのではないでしょうか」
「へぇ…、ほんとに好きなんだな」
「あ、はい…、とっても美味しいです。ありがとうございます」
いつも葵が淹れた紅茶を飲んでいる雛にとって、彼が自分の為に淹れてくれた紅茶が一番好きだった。
しかし淹れ方や茶葉の種類などでこうも味わいが変わってくるとは、奥深い紅茶の世界に雛は益々のめり込んでしまいそうな予感がした。
「花穂、下がっていいぞ。おかわりは自分で淹れる」
「かしこまりました。何かありましたらお呼び下さい。それでは北村さん、失礼致します」
「はい、ありがとうございます」
ティーポットに上品な花柄の保温カバーをかけると、花穂は一礼して静かに部屋を後にした。
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