Episode.4


「意地悪なこと…言わないでよ…」

戸惑うように瞳を揺らして雛は悲し気に眉を下げると、葵のスーツの裾を掴んでくいっと軽く引っ張った。

「そんな風に、私のこと突き放さないで」

眼鏡のレンズ越しに見る葵の不敵な表情は、雛の震える小さな声により幾分和らいだ。
いつもとは違う彼の雰囲気を察することはできても、何を考えているかまでは分からないのだから歯痒い。

「すみません…、意地の悪いことを言いました。雛さまの傍にいられないことが、不安なんですよ」

「…珍しい、葵がそんなこと言うなんて」

「ここではあまりお傍にいる事ができませんからね。少しは私の心配も分かって頂きたいものです」

「…そっか。うん、分かった」

「では行くのはやめますか?」

「ううん、行くけど…あんまり信用し過ぎず、ちゃんと気を付けるよ」

そう言ってにっこり笑顔を見せる雛をうんざりした表情で葵は見つめると、諦めたように息を吐き出し、漸く彼女から離れて適切な距離を取った。

「…分かりました。私は仕事に戻りますので、何か良からぬ事があった際はすぐにご連絡下さい」

「なによぉ…、良からぬ事って」

「最早説明するのも疲れますから、携帯だけはお持ちになっていて下さい」

納得のいかない表情で雛は葵を見上げたが、いつの間にか相変わらずのポーカーフェイスを作り出しているその顔を見て、これ以上の説明は貰えないだろうと判断した。

どこか苛立ちを含んだ先程までの雰囲気はなく、いつも通りの葵を目の前にしてほっと安堵する。
普段とは違う葵にほんの少しときめいていたのは内緒だ。

「葵だって、私に心配かけてること忘れないでね」

「何を心配する事がありますか」

「だから、そういうところ!もう少し自分の躰を労わってよね。今日は仕事が終わったら部屋で休むこと!私も戻ったらお風呂に入ってすぐ寝るから」

「…何度でも言いますが、雛さまの傍にいることは疲れには繋がりません。お部屋に戻られた事を確認せずに休むことはできません」

「ぬぅ…」

いとも簡単に嬉しいことを言ってくれる。
雛は頬が熱くなるのを感じながら、このやり取りを続ける事の無意味さを悟った。
葵には譲る気など更々ない事が分かったからだ。

「もう…分かったわよ。部屋に戻ったら葵に連絡する、それでいい?」

「…分かりました。では私は仕事に戻ります。雛さまもくれぐれもお気を付けて行って来て下さい」

「はぁい」

ただ婚約者の部屋に行くだけだと言うのに随分と大袈裟だな、と雛は部屋から出て行く心配性の執事を見送った。
しかも相手は自分を婚約者だと認識すらしていないというのに。
こうも心配されては、嫌でも身構えてしまうではないか。
葵の言う「良からぬ事」とはどんな事なのだろうかと、雛は自室で一人首を捻った。





  
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