Episode.3



唐突に葵の口から発せられた言葉に、雛は驚いて目を瞬いた。
射抜くような鋭い瞳に見つめられ、頬がみるみるうちに赤みを帯びていく。

「男性、経験って…。わ、私…まだ男の人とお付き合いしたことないのだけど…。それと彼の部屋に行くことに、なんの関係があるの…?」

どきどきと高鳴る鼓動が今にも葵に聞こえてしまうのではないかと、不安に思いながら目を伏せる。
質問の内容以上に、体温を仄かに感じるこの距離が雛の心拍数を上げていく。

「…誰ともお付き合いされたことはないのですか?」

「な、ないよ…、そんなの…」

「…雛さま、あまり考えたくはありませんが、」

眉間に深い皺を寄せてそこで言葉を止める葵に、雛は「なに?」と訴えるような視線を向けた。

「…もしかして、赤ん坊はコウノトリが運んで来るとか思っているわけではないですよね?」

「えっ」と小さく声が漏れた。
葵は何をおかしな事を言っているのだろうか、という驚きではない。
コウノトリとまでは言わないが、神秘的な何かの作用で赤ん坊を胎内に授かるのではないかと思っている。

いや、思っていた。

葵の何か別の生き物でも見るような視線が、口にするべき事ではないと瞬時に雛の頭をフル回転させた。

「そ、そんなこと思ってるわけないでしょ…!」

「……雛さま、無知は罪ですよ」

「だ、から、そんなこと思ってないってば…!失礼なこと言わないで!」

顔を真っ赤にして否定する雛の様子を見透かすような瞳で見ていた葵は、どこか憂いを帯びた吐息をひとつ溢した。
溜め息でさえ色気が漏れ出ているのは如何なものか。

「これでは尚更、行ってほしくありませんね」

熱くなった頬に葵の冷たい指先が触れ、艶のある低い声が雛の心を人知れず虜にする。
そんなことを言われてしまったら、「行くのはやめる」と思わず口走ってしまいそうだった。

「だ、だめだよ…、約束したから、行かなくちゃ…」

「どうしても行かれるのですか」

「お茶をご馳走になったらすぐ戻るから…、そんなに心配しないで。私達のことバレるような事は言わないようにするし…悪い人じゃないと思うから、大丈夫だよ」

「…たった一週間そこらで随分信用されているのですね。あまり感心しませんが」

「葵がなにをそんなに警戒してるのか、私の方が分からないんですけど」

不服そうなその言葉に葵は憐れむような視線を目の前の少女に向け、頬に触れていた指先を滑らせて耳朶を挟み込んで優しく撫でた。
耳に触れた冷たい指にぴくりと反応を示す雛へと、不適に微笑む。

「…何も知らないというのは、ある意味で幸せなことなのかもしれませんね」

葵の口から放たれた“幸せ”という言葉を含んだそれは、なんの温かみもなく雛の鼓膜を揺らし、冷たく耳に残った。





  
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