式の当日-@


「咲弥様、加賀美です」

コンコンと自室のドアをノックする音が響き、咲弥はドアに背を向けたまま皺一つないワイシャツに袖を通した。

『入れ』

ドアの外に佇む人物へと短く応え、予め鍵を開けておいた部屋の中へ入るよう促す。

「失礼致します。咲弥様、お車の準備ができました」

丁寧に一礼して言葉を告げる使用人の加賀美は、使用人専用の黒いスーツに身を包み、ショートカットの黒い髪と感情を表に出さない凍り付いた表情から隙のない印象を与える女性だ。

『分かった』

「それでは、お部屋の外でお待ちしています」

『……加賀美、ここにいろ。少し付き合え』

感情を含まない声色で咲弥がそう言うと、加賀美は僅かに躰を強張らせた。
悟られないようにと努めて冷静にいつもの言葉を返す。

「かしこまりました」

『…お前は本当にそればかりだな』

笑いを含ませるように咲弥は呟きながら、ワイシャツのボタンを順々にかけていく。
背後で緊張している使用人の気配を感じるが、敢えて触れる事はない。

『乃愛はどうしてる』

「…乃愛様はまだ眠っているお時間かと思います」

『昨日遅くまで付き合わせたからな。今日は起きるまでゆっくり寝かせてやってほしい』

「…かしこまりました。本日は乃愛様の所へは…」

『日付を跨ぐかもしれないが、何があっても行くようにする。乃愛には待たずに寝てるように言ってくれ』

「かしこまりました。お伝えしておきます」

そこまで会話をすると、しんと室内は静まり返った。
加賀美は躰を強張らせたまま、背中を向けて身支度を整えている主へと視線を注ぐ。
何か支持があればすぐに動けるようにと常に気を張っている状態だ。

『…加賀美』

「はい」

『そんなに緊張するな。お前にはもう何もしない』

咲弥の言葉にどきりと心臓が跳ね上がり、加賀美は唇を結んだ。

『…お前にしてきた事は、悪いと思っている』

唐突に咲弥の口から告げられると、加賀美は動揺して瞳を揺らした。
今まで一度もそんなことを言われたことはない。

「……な、なぜそのような事を仰るのですか…」

『…俺には、多少なりともお前の苦痛が分かる。自分を苦しめた人間にこんなことを言われても不愉快だろうが』

「い、いえ…そのようなことは…」

袖のボタンをかけながら咲弥は薄っすらと口許に笑みを浮かべた。
整った綺麗な顔は、どこか憂いを帯びている。

『…拷問も調教も、やり方は親父に教わった。ガキの頃からすべてこの躰で身をもって経験している。お前の苦痛が分からないわけじゃない』

感情のない無機質な声でただ事実をあっさりと述べられ、加賀美の背筋にはぞわりとした悪寒が走った。
咲弥の躰に傷があることは知っていた。
まさか、実の親に付けられたものであったなんて。


自分にとって絶対的な恐怖の存在が、ほんの一瞬最も近い所にいるような錯覚に襲われ、加賀美は思わず顔を伏せた。





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