祈り- side加賀美-B


私の話を聞いた乃愛様はゆっくりと躰を起こすと、床に座ったままこちらを見つめた。

「…でも、来てくれないよ」

不貞腐れたように唇を結び、上目遣いで私へ視線を送る。
瞳を潤ませ、堪えきれずに再びぽろぽろと涙を溢した。

「…来てくれないっ、私のこと…嫌いになったのかなぁっ…。会いたいよぉ…、咲に会いたいっ…」


両手で顔を覆って弱々しく泣き出した彼女の姿に、私の躰に冷たいものが這い上がる。


散々教え込まれている。
主に逆らうということが、何を意味するのか。
躰に刻まれた無数の傷跡が疼いて、恐怖が忍び寄る。

『乃愛を部屋から出してはいけない』

咲弥様にはそうきつく言い聞かされている。
あの方にとって、今最もこの言いつけが破ってはならない決まり事だ。
そうすることで乃愛様を守っている。
純真無垢で美しい彼女がこの屋敷で咲弥様以外の人の目に触れれば、どうなるかなんて目に見えている。


「……乃愛様…、この部屋は一番端の部屋になります。咲弥様のお部屋もこのフロアにありますが、ここから一番遠いお部屋です。部屋から出て廊下をずっと真っ直ぐ行った奥の部屋が咲弥様のお部屋になります」


頭の中で警鐘が鳴っている。
やめたほうがいい。裏切れば、酷い仕打ちが待っている。


「深夜0時を回るのを待ってから、咲弥様のお部屋にお向かい下さい」


「……絶対に、誰にも見つかってはいけません」


どうしてこんなことを口にしているのだろう。
やっと静かに暮らせているというのに。
乃愛様がこの部屋から出てしまえば、きっと厳しい折檻が待っている。

それでも、私は……、


「咲に会えるの…?部屋から出ちゃだめって、咲に言われてるよ」

「ふふ、そうですね。私が厳重に戸締りをしているので、乃愛様はこのお部屋から出られません。ですが私も人間です。うっかり部屋の鍵を閉め忘れてしまう事もあるかもしれません」

「加賀美…、怒られない…?」

「乃愛様は私の心配などなさらなくて良いのですよ」

「……咲に会いたい。でも、加賀美が怒られるのは…いや」

「乃愛様…」

「咲のこと、すき。だけど、加賀美のことも好き。加賀美が私のせいで傷付くのは嫌だよ」

乃愛様の言葉に、私は目を見開いた。
この方は、こんな私でも好きだと言ってくれるのか。
この屋敷に来てから私は人間らしい生き方を忘れてしまった。
穢れを知らない頃には、二度と戻れない。

私は微かに震える指先で、そっと乃愛様の手に自身の手を重ねた。
温かいぬくもりが、彼女には存在する。



「…乃愛様、ありがとうございます。そのようなお言葉を頂けて、私は幸せです。ですがこのまま、咲弥様に二度と会えなくなってしまっても宜しいのですか?私のことは一度置いておき、ご自分の意思で選択して下さい。貴方には考える力も、選択する勇気もおありです。どうか、乃愛様の一番幸せな選択を…」

大きく綺麗な瞳を揺らしながら考えるような素振りを見せていた乃愛様は小さく頷いた。
私の手を優しく包み込み、穏やかな笑みをこちらに向ける。

「…加賀美、ありがとう。大好きよ」


その言葉だけで、私は生きていける。
この屋敷で唯一の私の幸運は、彼女に出逢えたことだ。


深夜0時を回る頃、乃愛様の部屋の扉が静かに開く。
彼女なら、咲弥様のこともきっと救って下さる。
あの方はずっと、私達使用人には計り知れない苦悩を背負っている。

部屋から恐る恐る抜け出す乃愛様を、別の部屋の陰からそっと見守る。
咲弥様を求めて駆け出す背中を見つめて、私は人知れず微笑んだ。

笑顔を取り戻せたのも、乃愛様のおかげだ。



―…私は彼女の幸せを、心の底から祈っている。





END



3 / 10


←前へ  次へ→



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -