15
外はすっかり春になった。長い長い閉じられた季節を越え、あちらこちらで花が咲きほこる。目にも楽しい時期である。
午後三時の暖かい空気の中を、ナツと談は歩いていた。
「桜ですね」
近所の教会の傍、公園で桜が咲いていた。一本だけだが随分太い幹で、枝も立派に張り出している。まだあまり花弁が散っておらず、豊かな桜色が実に美しい。それを見上げるナツの横顔は少し大人になったような気がした。
学校の方は、談が保護者として担任教師と話し合いを繰り返し、課題を提出することで出席の代わりとしてくれ、新しい学年に上がれた。しかし特待生としての評価は保留で、学費は前後期ともに満額収めなければならないそうだ。が、もう振り込まれたという。誰かなんて考えなくてもわかる、白黒のあしながおじさん。
近頃のナツは微熱続きでだるそうだ。食欲は少しずつ出てきたが以前の食べっぷりには程遠い。しかも背が伸びたので、より痩せたように見えてしまう。
あのメール以来、鬼島からの連絡はない。何通か送っても返信なし。佐々木はいくつも会社を飛び回って「恋人に会う暇もない」などと愚痴っているが、たまに会う有澤は相変わらずだ。
鬼島がいない日々に、誰もが慣れたように見える。ナツでさえも、倒れることはなくなったし、復調の兆しが見えてきた。鬼島について、思い出さないまま行くのだろうか。
時はこうして過ぎていく。
談はそうやって折り合いをつけるつもりになった。ナツが進みたいように進めるよう、鬼島がここにいなくても問題ないようにしなければ。鬼島がいないのなら、その鬼島が世界で一番愛している相手に尽くすことで恩を返す。
「ナツさん、風が吹いてきましたね」
帰りますか、と聞いたが、首を横に振った。それから公園内に入って行く。
ゆっくり歩いて、ふたつあるブランコのひとつへ腰掛けた。それからまた桜を見上げる。
その傍らに立ち、少し離れて見た桜はわかりやすく大きい。
きぃ、と、ナツがブランコを揺らす。鎖がたてた音は思いのほか、嫌なもの。しかし構わず、きぃ、きぃ、と、あまり大きくない振り幅で前後する。
「談さん」
「はい」
「ちょっと前にした夢の話、覚えてますか」
「あの、みんな消えちゃうお話ですか」
「うん」
あれはナツが倒れた日だったからよく覚えている。
「今も見るんです」
「そうですか」
「最近は周りに人が、元からいなくなってて、どんな人がそこにいたかわからないんです。でもやっぱり黒い服の人がいて、背中を向けているんですけど、おれに言うんです」
「……何を、ですか」
「お友だちだよ、って。ナツくんの一番のお友だちは、何とかさんだけだよって」
「何とかさん?」
「名前がいつもうまく聞き取れないんです。もにょもにょしてるから。おれはその言葉を聞くとすごく……悲しくなります」
「悲しくなる……?」
「最初は少し嬉しいです。でも、どんどん、苦しいっていうか、涙が出るくらい、悲しくなって」
「はい」
「何でかわからないんですけど」
桜の木が揺れる。さらさらと、音をたてて。風に乗り、花びらがふわりふわりと足元に落ちた。談のつま先。
「……天使は、男に会えたかな」
「え?」
ナツの呟きに顔を上げる。
ブランコを止め、降りたナツは談を見た。
「有澤さんに、前に聞いた話。天使と男が恋をして、離れ離れになって、また会えるのはいつかな、って思ったんです。ふたりが会えたらおれも夢の中の人の顔が見られるかも」
談にはすぐわかった。その天使と男が誰なのか。
何も答えずにいるとナツが手を伸ばしてきた。帰ろう、ということだ。その手を取って立ち上がる。
公園から出たとき、強い視線を感じた気がして辺りを見回した。しかし人などいない。気のせいか、とナツと共に歩き出す。
「ついでですから、晩御飯の買い物もして帰りましょう」
遠ざかるふたりの背中を、じっと見つめる影があった。
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