お友だち(偽) | ナノ

13


 ナツは、生活全般にさほど問題がなかった。ごみ捨ての日や分別方法、毎週土曜日は掃除の日、学校帰りの買い物など、おそらく「いつも通り」こなしている。だが明らかに元気がなく、口数少なで表情も乏しい。頑張って学校に通ってはいるが、たびたび熱を出して休む。食欲もなく、目に見えて痩せた。
 談は少ない量でも栄養を採れる工夫を、と、その道のプロに聞きつつ料理をしている。優しい少年はそれに気づいているらしく、ぽつりぽつりと箸をつけて、美味しい、と必ず口にした。


「ナツくんってさぁ、食べてる時がちょー可愛いんだよね。俺がナツくん食べたいくらい」


 そんなことを、いつになく嬉しそうに言っていたあの人。いや、ナツのことを話すときはいつも普段と違う顔をした。それを見るのが好きだった。
 食器を洗うナツの痩せた横顔を見て、遣る瀬ない思いを息に混ぜ、小さく小さく吐く。水流の音に掻き消される程度に。

 談がこたつにあたると、ナツはその隣へ座って肩に頭を預けてくる。一緒に暮らし始めてすぐから、伺うように距離を詰めてきて、そろりと身体の一部を接触させてきた。手とか、足とか、背中とか。拒否をしないと安心したのか、今はこうして頭を預けてくる。
 触れたがるのは不安だからだ、と、週に一回やってくる医師は言う。深山というらしい医師。最初は男装の麗人かと思ったが、男性だった。


「鬼島の感触が身体に残ってて、でも今のなつくんにはそれがわからない。なんかもやもやした感触が身体にまとわりついてて不安なんだろう。だから、他人に触ってると安心する。嫌なら嫌だから触るな、って言ってもいい。ぬいぐるみとかでも構わないんだ」
「嫌じゃなかったら……」
「ゆっくり、気が済むまでそうしていてやれ」


 見るともなく点いているテレビでは、賑やかに人が話している。ナツは以前、こういう番組を見て笑っていたのだろうか。それとも部屋に来た鬼島と時間を過ごしていたのだろうか。
 ナツの部屋には確かに、鬼島の痕跡はひとつもない。どんな話をしてどんな風にいたのか、何も知ることはできない。
 けれどナツは、鬼島をとても好きだった。それは一目でわかること。

 そもそも自分があのとき、ナツに余計なことを言わなければこんなことにならなかったのかもしれない。今、ナツの傍で必死になっているのは、その思いから逃げたいから、ということに自分で気づいている。逃げられやしないのだが。


「……ナツさん」
「はい」


 頭を上げ、こころなしか力のない目で談を見る。それを見てしまうと何を言うこともできない。笑いかけ、頬を撫でた。ひんやりと冷たかった。


「今日はお風呂に入ったらすぐ布団ですね。寒いですし、病み上がりですから」
「はい」


 熱も、ストレスが原因なのだそうだ。

 ナツは浴室へ向かった。ひとりになった談は近くの低い本棚へさりげなく差し入れてあるタブレットを取り出し、メールで様子を報告する。相手は佐々木。毎日欠かさずに、就寝後から朝の様子は会社で、夜の様子はメールで。

 鬼島がいなくなったあの日から、まもなく三か月が経とうとしている。一日一日、一見なんの変哲もない日常の中、ナツが静かに壊れてゆくような気がして談はたまらない気持ちになっていた。
 佐々木は談の前で表情を変えないので、どう思っているのかはわからない。

 メールをしたらいつも閉じるメールソフト。しかし今日は新規作成を開く。送信先のアドレス欄には、鬼島のパソコンのメールアドレスを選んだ。使われているかはわからない。携帯電話がすでに解約されている今、これしか連絡先がないのである。
 何を送ろうか迷い、指を動かして書き込んだ文章はつまらないもの。
 けれど、これで何かが変わりますように。
 そんな願いを込めて、送信をタップした。

 タブレットを元に戻し、立ち上がる。布団を敷かねばと、続きの部屋へ。当然二組、敷けばもう部屋は布団で埋められる。そういえば最初、拾ってくれたとき、布団の敷き方を教えてくれたのも鬼島だった。
 敷布団を延べていたら、とんでもない音が浴室から聞こえた。枕を放り投げ、慌てて駆け付ける。


「ナツさん」


 引き戸を開け、脱衣所を見る。浴室と脱衣所のちょうど間にナツが倒れていた。風呂から上がってドアを開け、タオルを手にしてから気を失ったのだろう。顔が真っ白で、まるで蝋人形のようだった。


「ナツさん」


 そんなに長く浸かっていたわけではないから、熱中症などではないだろう。眩暈などの類なのかもしれない。でも。判断に迷い、すぐに医師へ連絡した。十分で行くから、タオルなどで身体を包んで待て、とのこと。

 風呂場でバタバタしている間にタブレットが小さく音を起てていたことなど、談は当然知らなかった。


「ゆっくり寝かせてやれ。気絶してるだけだから」
「……ナツさん、大丈夫なんでしょうか」
「風呂入りながらぐるぐる考えて、頭が勝手にスイッチ切ったんだと思う。相当負担なんだろう」
「記憶喪失が、ですか」
「記憶は忘れてるだけで消えたわけじゃない。漏れ出てくることもある。時々脳内に浮かんだり、急に破片だけが戻ってきたり、振り回されてるのかもな」
「……」
「鬼島のやつがいないのも、どっかで理解してるんだろうし」
「……見ていて、辛いんです」
「そうだな」


 布団の中で寝息を起てているナツを起こさないよう、居間と寝室を区切る襖も居間と台所を区切るガラス戸も閉めて話す。寒い台所、ステンレスの古びたシンクに軽く腰掛けた深山は談を見つめた。


「鬼島社長が戻ってきたら、ナツさんは少し安定するんでしょうか」
「……それは、どうだろうな。全部を思い出して辛くなるかもしれない」
「じゃあどうしたらいいんです」
「休ませてやることが今はベストだ。それしか言えない」


 ナツが全てを思い出しても、鬼島がいてくれたら乗り越えられるんじゃないだろうか。鬼島だって全てを知っている。ふたりで、一緒に。それは甘い考えだろうか。
 談は、両手で包んでいるカップの中身を見つめた。黄緑の茶。そういえば、メールはどうなったろう。何か応答は。
 思い出し、こそこそ居間へ行ってタブレットを持ってきた。受信あり、一件。佐々木か。細い指でタップする。


「……あ」


 まさか、と思った。


「……鬼島社長」
「何? なんだって?」
「……ナツくん、辛い思いさせてごめんね。と」
「あの男はバカか」


 吐き捨てるように深山が言った。顔がきれいなぶん、より辛辣だ。スクロールすると、下にまだ続きがあった。


「ナツくんのこと、いつも見てるよ。って、俺のことわかんないかもしれないけどもし良かったら伝えて」


 伝えてみようか。何が変わるわけもないけれど、ナツに。鬼島はいつもナツだけを見ていた。きっと今もそうなのだ。
 伝えてじゃねぇよてめぇが来いや、と悪態をつきながら深山は帰って行った。談から丁寧に礼を言われていくらか鉾を収めたようではあったが、なかなか口が悪い人だ。

 襖をそっと開けてみると、ナツが目を覚ましていた。ゆっくり首を動かし、口を開きかけて――一瞬の間。それから「だんさん」と言った。


「気分はいかがですか」
「うん、平気です。また心配かけてごめんなさい」
「いいえ」


 枕元に座る。すると膝へ頭をのせてきた。何度か角度を変え落ち着いたのか、ふぅ、と息を吐く。


「……いつも夢を見るんですよ」
「夢?」
「たくさん人がいて、でも近づくと消えちゃうんです。みんな。触ろうとして次々消えちゃって……でも、ひとりだけ消えない人がいて」


 膝の上の黒髪をゆっくり撫でる。その手のひらが心地良いのか、ナツは珍しくとても穏やかな顔をしていた。


「その人だけ、おれが触っても消えないんです。背中を向けているけど、すごく好きだな、ってわかって……」
「どんな人なんですか」
「……黒い服の、人です。背が高くて」
「……そうですか」
「でもその人は歩いて行っちゃうんです。離れて、追いかけても追いつけなくて、そうすると」


 ナツの目尻からゆっくり滑り落ちる、涙。息を詰め、細く吐く。それも少し震えていた。何かを我慢するように。


「おれはすごく悲しいんです。声も出せないくらい、苦しくて、うずくまって泣いて、目が覚めるんです」


 自分の手の甲で目をこすり、閉じた。それを見下ろし、談はゆっくり告げる。


「いつも見てますよ、その人はナツさんのことがすごく好きだから」
「そうかな」
「ええ」
「だったら、いいけど」


 そのまま、スイッチを切ったように再び眠りについたナツを布団に入れ、談も寝る支度を始めた。
 しかし、その日はよく眠ることができなかった。


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