お友だち(偽) | ナノ

12


 ぐったりしたままのナツを佐々木がいやいやながら丁寧に車まで運び、アパートへ行って寝かせた。それから談を呼ぶ。深夜だからか談はいつもと異なり、ラフな格好でやってきた。泣きそうな顔で、タブレットを持って。


「佐々木社長、鬼島社長が変なんです。変なメールが、消えるとか、ナツくんよろしくとか」
「はいはいよちよち、シーッ。まだ寝てるから静かにね」


 こたつに入り、人の家とは思えないほどリラックスしている佐々木は片手で談の整髪されていない柔らかな金髪を撫で、片手でこたつの上に置いたタブレットを操作し、メールを読む。
 すべての法人の決定権は当面佐々木に譲るが必ず一度有澤を通すこと、談に申し訳ないがナツの様子をときどき見てあげてほしいこと、何かあったらこのメールアドレスに連絡が欲しいこと、それから探さないこと等等が内容だった。


「探さないで欲しい、ねえ」


 呟きつつ、スクロールする。一番下に鬼島優志朗と署名。メールソフトを終了し、画面を暗くしながら呟いた。


「探さないで、って言われたら探す訳にはいかないな」
「なんでですか」


 目を真っ赤にし、佐々木に詰め寄る。すぐそこにある顔を見て、談の涙はきれいなんだろう、と、全く関係のないことをぼんやり思った。


「先輩の居場所知ってたら絶対言っちゃうでしょ。お前は特に、あのなつくんの目でねだられたら」


 談は涙目でしばらく考え、確かに、と首を縦に振る。


「優志朗先輩は心配しなくて大丈夫。あの鬼島優志朗だよ? 生きていけないわけないし」
「……社長、帰って来てくれますか」
「くれるよ、きっと。あの人、いまいましいことになつくん大好きだし、今はちょっと時間置きたいだけだと思う」


 現に、決定権も「当面」譲るだけ、とある。帰って来るつもりで言っているはずだ。


「自分、まだ恩返ししてないんで」


 ぼろり、談の目から涙が溢れる。まるでそれがきっかけだったように次から次へと零れ、滝に至った。


「恩返ししてないんでぇぇ」


 今日び中学生もこんなに泣かない、というくらい泣きじゃくる部下の背中をさすりつつ佐々木は笑う。談の涙はやはりきれいだった。

 鬼島が帰って来ないわけがない。佐々木のこれはもはや確信に近かった。ナツが鬼島を求めたら、どこからともなくそれを嗅ぎつけて帰ってくる。ナツのことに関しては世界一なのだから。

 ナツが目覚めたのは、鬼島が姿を消してから四日後のことだった。
 佐々木と有澤により全ては滞りなく進み、アパートには談が通っていた。
 馴染みの医者が言う「心因性の昏睡」から目覚めたナツは、傍にいた談を見上げて不思議そうに、言った。


「……だれ?」


 と。


「ナツさん、お忘れですか。談です」
「……知らない、です。どうして家にいるの、お兄さん、なに?」


 怯えた目で布団の上を後退るナツを見て、談は戦慄した。


「ナツさん、本当にわかりませんか。談ですよ?」
「しらない、誰?」


 不法侵入者を見るような目で談を見る。一時的な記憶の混乱なのか、それとも。鬼島が何度となく家に連れて来て、何度も会っている。交流を深めて仲良しになったのに、忘れてしまったのだろうか。


「怖がらせてすみません。自分、一度出ますから」


 なんとか取り繕い笑顔でなだめ、アパートの外へ出る。そしてすぐに電話を繋いだ。佐々木へ。


 佐々木が連れてきた、妙に顔のいい医師は怯えるナツを見てふたりで話したいと言った。
 寒風吹きすさぶ屋外で待っていた佐々木と談は、開いたドアに注視する。出てきた医師は細身のピンク色したたばこをふかしながら、アパートの階段に座っている佐々木へ近付いて来た。口から煙を吐き出す。


「……生活に関係あること、例えば食事や料理や掃除の仕方、お金の使い方やお風呂の入り方などは全て覚えてる。でも、ここしばらくの鬼島関係の事、蓮さんのことも全て忘れているらしい。心を防御するための反応だと思う」


 淡々とした言葉のあちこちへにじむ方言のイントネーション。どこのものかはわからないが、昔はもっと、単語から方言が生きていたので随分きれいになった、と佐々木は思う。
 丸いアルミの小さな携帯灰皿の蓋を開け、火をねじ消し、ぬらりと立ち上がる。佐々木の目が、医師を見下ろした。


「それって治る?」
「正直わからない。すぐ記憶が戻る人もいれば、十年経っても戻らない人もいるからな。外部から治そうとしても、ただのショックになって立ち直れなくなる人もいる。無理に戻そう治そうとしないほうがいい」
「人の心は脆いからね」
「とりあえず、君らが味方だってことは教えておいた。なるべく一緒にいて、相手をしてあげてほしい。空虚感や焦燥感、悪夢なんかでストレスが強くなり、もしかしたら稀死念慮を覚えて、ってことも考えられる」
「わかった。ありがと、深山サン」
「いや。鬼島が見つかったら、あんな繊細な子の心を何回も揺さぶるんじゃねぇよ! って殴っといてくれ。叩くじゃねえよ、殴って」


 丁寧な医師の仮面を脱げば昔のままのようだ。一瞬聞こえたドスのきいた低い声。見た目とのギャップがすさまじい美形であったことをしみじみ思い出す。深山が鬼島とそこそこ時間を共有している間柄だったとき、何人が騙されて言い寄り叩きのめされて倒れていったことか。


「気持ちでやっておく」


 医師は笑って去っていった。
 話は当然、談にも聞こえている。また泣きそうになっていたので佐々木はゆっくり、その金髪を撫でた。今日はきちんとセットされていたので、髪がなんとなくパリパリしている。


「ナツさん……どうなるんでしょうか」
「談、悪いけど今日からなつくんと暮らして。朝は見送って、仕事来て、午後は二時か三時に帰ってなつくんに対応してもらいたい」


 談は、こくりと頷いた。もともと面倒見のいいタイプだから問題ないだろう。

 部屋に入ると幼子のように心細そうな顔をしたナツが、居間の座布団に座ってこたつにあたっていた。前に置かれた白い大きなカップには茶色の液体が入っている。


「ナツさん、これ、おいしいですか」


 まるで人が変わったように、明るい声と表情で話しかける談。さすが元接客業従事者である。


「あ……うん」
「じゃあおれも、それ飲みたいです。どこにあるんですか。教えてもらっていいですか」


 ゆっくり立ち上がったナツが、台所の古い食器棚を開ける。そこに袋のココアがあった。佐々木はココアを手際よく準備するナツを眺めながら、なんともいえない気持ちになった。
 鬼島のこと、父親のこと。なにもかもを、彼はこのまま忘れていたほうが平和なのではないか。この甘い匂いのように、優しくて柔らかい世界で生きていったほうが、きっといい。


「……あいば、さん」
「ん? ああ、名前、あの先生から聞きました?」
「うん」
「相羽談です。 手相の相に羽に、言う炎の談です。談って呼んでください」
「だん、さん」


 佐々木は静かに部屋を出た。談の荷物を、勝手に部屋へ侵入して持ってこなければならない。ポケットに入った鍵を指先で確認し、裏手に回って駐車場の車へ。
 ブロック塀の奥に、ナツが暮らす部屋の灯りが見えた。蓮さんとナツが暮らし、そこに鬼島が来て、三人で。ナツが壊れかけ、鬼島が変わるほどに好いていた蓮という男とは何回か会ったことがある。

 運転席へ乗り込み、硬い革のシートへ背中を預ける。あの人のことはなぜか簡単に思い出せた。
 鬼島が好きな人は嫌いだったのに、蓮は嫌いの括りに入れられない。苦手だったけれど。
 あのままいたら今も三人で暮らしていたかもしれない。鬼島はまっとうな道を歩き、ナツもこんな思いをせずに済んだかもしれない。
 佐々木にしては珍しく、深々とため息をついた。息が途切れると同時に鳴るスマートフォン。ディスプレイには世界で一番かわいい恋人の名前。


「はいはい。うん、うん? うん。ちょっとお疲れ気味なんだ。うん……また、連絡する。ありがとね。うん、お休み」


 声を聞き、少し癒やされたような気がした。シートへ座り直し、エンジンを入れる。それからなんとなく、空の後部座席を振り返ってから車を出した。


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