その後の社くん 3
三苫 夜明(みとま よあけ)
月原 幾多郎(つきはら きたろう)
***
最近、社が良く笑ってくれるようになった。最初は割と稀だった笑顔が、一緒に住み始めて一か月、よく見られるようになってきた。心を許してくれているのか、単純に生活を楽しんでくれているのか。どちらにしても、幕間にとってとても嬉しいことである。
おいしいご飯を作ってくれておいしいと言えば嬉しそうな顔をするし、仕事を進めているとえらいなと言ってくれる。一緒にご飯を食べても満足そうで可愛い。
「この漬物うまいねえ」
「ん? ああ、それお隣のお隣さんがくれた。高校挟んだ向こうの」
「え!? い、いつの間に仲良く……」
「仲良くっつーか、ごみ捨て大変そうだったから手伝ったら礼に、って」
お隣のお隣さんがどんな人かはわからないが、社がやたらと人に好かれることはわかっている。今まで付き合ったことのない隣近所とうまくやってくれているのはありがたいが、人たらしにもほどがあって、先日は門を出がけに近所の高校生に出会い「あれ、社さんじゃない」と言われた。
あまり色々なところで顔を売らないでほしい。心配になるから、と思っている。
はっきり言って高校生の頃から社に片想いだ。
想いを告げなかったのは、社に存在すら認知されていない存在だと知っていたから。全然接点もない同級生というだけの存在で、同じクラスだったとわかっているかどうかも怪しい。それだけ社は周りに興味がなさそうだった。
仕事の合間の休憩に、隣の本棚から卒業アルバムを引っ張り出す。
同じクラスのページに、自分の写真と社の写真がある。『織戸社』と名前が書かれ、その上にさほど大きくない長方形の写真。白黒で撮っているから、ということだけではなく、無表情で端正な顔立ち。高校生の時から社は迫力のある美形だった。
目が大きくて鼻筋が通っていてきれいな唇をしていて、肌も髪も周りが羨ましがるほどつやつやして。どこか気怠そうにしている姿が思い出され、今でもそのかっこよさに溜息が出るくらい。本当に好きだなあと、改めて思う。なぜか忘れられなかった、社という存在。
再会した社はやっぱり格好良くてきれいで、昔より表情が比較的豊かで口が悪かった。図書館で見たときは、長年の片想いが見せた幻影かと思ったけれど、きちんと実体があってこの街に戻ってきたという。住む場所も働く先もないと聞いて、これはぜひ家に来てもらわねばと思った。誘った自分の勇気を絶賛である。
社とひとつ屋根の下に暮らし、一か月。
たまらない。可愛いし、かっこいいし、頼れるし、ご飯はおいしいし、一緒に寝るとあたたかくて寝つきの悪い自分がすぐに眠くなる。人っていいな、と改めて思った。
上妻のように心配してくれる人もいるし、寂しくはなかったけれど一緒に暮らしている人が好きな人ならばなおさらだ。特別、というのか、幸せである。なんとか長年の想いを告白したいところだが、いやでも断られて関係が悪くなったら嫌だし、ともだもだしている。
ぱたんと卒業アルバムを閉じ、画面に向き合い直す。ぱちぱち、自分の忘れられない想いと妄想と執念をこめたでろでろの心中ものだ。最初はホラー小説を書いてデビューしたのだが、いつの間にかこちらが主題になった。恋愛どろどろの心中もの、だったり、恋愛どろどろストーカーもの、だったり、ある意味ホラーであることには変わりないが「恋愛要素」があることが最大の違い。大体片想いで妄執を相手に抱いている。
こんな内容ゆえになんだか言いづらくて社に言えないでいる。恥ずかしいわけではないが、明らかに片想いのことばかりなのでばれてしまうかもしれない。そう思うと怖くて見せることができなかった。
先日、ついうっかり脚本を担当したドラマを見られてしまったが、特に何を聞かれることもなく。ただ「面白かった」とだけ言ってくれた。それはちょっと嬉しかった。
さて、今晩の幕間は原稿があがったこともあり、大いに酔っぱらっていた。
社が作ってくれた中辛のカレーを食べたあと、たまには飲むか、と酒を出してきたのは社で。決して弱いはずはなかったのだが社がいて嬉しいせいか、原稿があがって飲むピッチが早かったせいか、出来上がったのも早かった。
「社がすきぃ……」
でろでろに酔っぱらった幕間が不意に口にしたのはそんなこと。
予想もしていなかった言葉に、あたりめを噛みながらまじまじ見てしまう。向かいにいる幕間はすっかり酔っていてふわふわした目つき。果たして本気なのか否かわからないが、とりあえず「ありがとうな」とだけ返した。
「本気だで……」
「本気っつーのは素面んときに言う言葉だろ」
「本気なのに……十二年くらい前から本気なのに……」
「あ? 十二年?」
「じゅうにねんん……」
んん、と頬杖をついたまま眠り始めてしまった。
こんなきれいに人って寝るのか、と思いながら、引っ張ってその場に寝かせる。こたつにあたったままだと風邪を引くかと今度は足を引っ張り出して掛け布団を持ってきた。面倒見がいいなとしみじみ感じつつ、眼鏡を外してやる。色の白い、きれいな顔立ちをした幕間。素直で表情豊かで働き者で、元気。ご飯もうまそうに食べてくれる。
好きだと言われて全然嫌な感じがしなかった。
白く痩せた頬に、ちゅ、と唇を落とす。酒が回っているから温かい。
「……お前は俺なんか好きになったらだめだろ」
そう吹き込むように呟いて、呪いをかけた。つもり。
*
飲んだ次の日、うわああと叫び出したくなってしまった。
頭は少し痛いが二日酔いというほどではない。頭が痛いのはまた違った理由からだとわかっていた。布団に埋もれたまま溶けて消えてしまいたい、とすら思ってしまう。記憶ははっきり残っていた。好きだと言ったことも、何年間好きだったかも言ってしまった。
「うあああ……」
小声で呟き、布団に潜る。
酒臭、とすぐに顔を出すと、先程は気付かなかった味噌汁のいい香り。今朝も早起きして作ってくれてるんだな、と思うと今度は愛しさで胸が痛い。けれどどんな顔をして起きたらいいかわからない。社はなんて思っただろうか。嫌だと思っただろうか、少しはいいなと思ってくれただろうか。反応が何より怖かった。
そもそも、流されるかもしれない。社が一番取りそうな態度。それはそれでショックだと思ってしまう程度には、幕間の中で気持ちが育っている。
「まくあいー? まだ起きてねーの」
優しい社の声がする。ひぇと声を漏らして、慌てたので起き上がってしまった。
「なんだ、起きてたのか」
「起きてました……おはようございます……」
「ん、おはよう。顔洗って来いよ」
「へい……」
やっぱり聞かなかったことにしたのか、と思いつつ、よぼよぼと立ち上がる。その背中に、おい、と声がかけられた。振り返ると台所から社の顔が覗いている。自分よりも背が低い社をやや見下ろす形になる。その瞳が、じっと幕間を見ていた。何かを探り取るように。
「お前、昨日俺が好きだって言ってたけど覚えてんのか?」
「ひぃ……おぼえてますう……」
思わず本音が出てしまった。嘘がとっさにつけない自分が嫌になる。話の中でならいくらでも嘘がつけるのに、現実世界ではうまくいかない。
「覚えてるのか。じゃあ酔った勢いの嘘じゃねぇんだな」
酔った勢いではあるけれど嘘ではない。動揺してたどたどしくなりながら説明をする。十二年前、高校三年生だったときから好きだった。言わなかったのは自分の存在が眼中にもなかったから。社とは何の接点もなかったけれど、ずっと見ていた。など。
社はふんふんと聞いていたが、特段何の表情も見せない。どう思っているのか、せめて顔に出してくれたならよかったのに。と思う。最近表情豊かだった社がこんなときには読めない表情を浮かべるのは、ちょっとずるいと思った。
「わかった。ありがとな」
「そんだけ……?」
「……悪いけど、お前は俺なんかを好きでいちゃだめだ」
「なんで」
「お前は俺のこと、何も知らないだろ」
「じゃあ話してくれ。社について」
「……悪い。まだ話せねぇ」
そう言って社は台所に引っ込んでいってしまった。
それからは無言で食事をして、手につかない仕事を放棄して幕間は家を出る。社には合鍵を預け「ちょっと外出てくら。昼飯と晩飯いらねーから。ごめんな」と言って駅に行き、電車に揺られて一時間。
多分、社が出てきた街に幕間は降り立つ。仕事でたまに来る程度の都会の駅で、明らかにひとり浮いている小柄な姿。春のぽかぽか陽気の中で、黒い小さなシルクハットをかぶり黒いペストマスクをつけ、マントを羽織ったその姿はいかにも怪しい。浮いている、というか今にも職務質問を受けそうなその人が、今日会いたかった人である。
「三苫さん」
「あっ、あの、あう……」
「すまんね突然。今日よかったけ?」
「あ……うん、仕事、余裕あったし」
「ありがとー」
ペストマスクの嘴に刺さらぬよう、ぎゅっと抱きしめる。ぴぇと鳴いた三苫は腕の中でがちがちに固まっていた。
駅からほど近い三苫が住むマンションへお邪魔する。玄関を入るとほぼ同時にかちゃかちゃとマスクを外す。中から現れるのは可愛らしい顔。はふ、と少し暑そうにしている三苫に、すぐ冷たいタオルが差し出された。
「いらっしゃい、到くん。おかえりあーさん」
「お邪魔します、月原さん」
「つきさん、ただいまー」
このふたりも不思議なカップルである。なれそめを以前聞いたところ、三苫は「思いっきり殴られたことかな……」と言い、月原は恥ずかしそうに「片想いが高じて監禁しちゃって……三日くらい」と。後々知ったところによると、本当に殴って気絶させ、監禁して新聞にも載ったらしい。
それが今はお付き合いする仲というか、恋愛に発展したそうで不思議で仕方ない。
百組あれば百通りのお付き合いの仕方があるだろうが、その中でもきっとこれは不思議な方だろうとは、幕間にもわかる。けれどいつも相談に乗ってくれるのはこのふたりで、そもそも三苫が『九十 暗晦』という名の小説家仲間であることから友だち付き合いが始まったのだ。そのお世話をしているのが月原である。
すっかりこたつがいらなくなった都会の一室で、テーブルを挟んで三苫、月原と向かい合う。からんとコップの中の氷が音をたてた。
「ふむふむ、話をしたところ断られた、と」
月原が頷きながら確認する。幕間はこくりと首肯した。
「けど、よく言ったねえ。えらいねえ」
三苫がにこにこ言った。幕間の恋愛話は以前から聞いており、その対象である社と暮らし始めた、ということももちろんメッセージを送ってきてくれたので知っている。一緒に暮らして幸せだとか、嬉しいとか。逐一メッセージを貰い、三苫も月原も嬉しかった。
幕間は作家仲間としてだけではなく、人間としてとてもいい人であることを知っているので、ぜひ恋愛がこのまま成就しますように、と願っていたのだが。
「お断りの内容が納得いかないね、到くんとしては」
うん、と月原の言葉に頷く。
「だけ、知らん過去のこと言われてそれでわかってくださいって言われてもわかんねーもの……でも話したくねーっちゅーし、したら俺はなんて言ったらいいんかわかんねくて」
「それで今回、家に来たんだね」
「一緒にも居辛ぇし、仕事は手につかねし」
だろうね、と今度は三苫が頷く。
「精神状態が落ち着かないとお話書けない族だもんね、到くんも、ぼくも」
「どうしたらいーずらか……わかんね……なんもねかった顔して一緒にいるしかねーのかな?」
「それもきついでしょう」
月原が穏やかな顔で言う。
「きちんと聞いた方がいいね。過去のこととか、その社さんが話せないこと、っていう内容」
「でも全然言いたがらないだよ」
「それはもう、腰を据えて話すしかないと思う」
「腰を据えて……?」
「聞くまで離さんぞ、みたいな。その話聞いたらもしかしたら幕間くんが冷めるかもしれないけど」
冷める、と聞いて、それが想像もしなかったことだったので驚いた。社のことはずっと好きで、十年以上大好きだったままなので、これからも好きだと勝手に思っていたのだ。
そんなことはないのか、と突如思い知る。
もしもそうなったら――
「社に冷めたら俺、空っぽになっちゃうんかな……」
大学の時から小説で活躍し始めた幕間は、ずっと社への気持ちを小説に落とし込むことでやってきた。もし、その核になる『社への気持ち』がなくなったなら、残される自分はきっと空っぽな自分だと思う。
とても怖かった。
社を好きにならなくなったら、何も無い。
「だから好き、っちゅーわけでもねーだけど」
ずっと好きでいたい、と思う。きれいでかっこよくて、料理が上手くて優しい社と、恋愛を抜きにしてもいいからずっといたい。
「到くんの中で、答えは出た?」
「なんとなく……?」
月原の穏やかな笑み、三苫のにこにこ顔に存分に励まされ、しかもここの大福美味しいからとかこっちのハムサンドが美味しいからとか、取り寄せてくれてお腹いっぱいになり、見送られた。たしかに美味しかったが、この一か月、社が作る食事ばかり食べていたので、それが一番良いと思ってしまう。
社に会いたくて、でもなんだか顔を合わせにくく、うだうだと三苫、月原のマンションで終電近くまで過ごしてしまった。お礼を言って部屋を出、駅へ向かって歩き出す。静かな道の上を見ても星はあまり見えない。
社は、満天の星空を見たらなんて言うんだろうか。きれい、とか言うのだろうか。聞いてみたいと思った。
家に着くと玄関の灯りがついていたが、引き戸をがらがら開けても社の出迎えはなかった。一抹の寂しさを感じつつ、玄関から中に上がる。居間からはテレビの音もしない。
もう寝たんかね、と思いながら、寝室へ。
そっとガラス戸から中を覗くと、やはりすやすや眠っている姿があった。社はあまり今回のことを気にしてないのだろうか。
明日、話をしよう。
そう決めて、その日も幕間は社の隣に潜り込む。いい匂いがして胸が締め付けられる思いだ。しかしもう、この香りがなければ眠れない。
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