お友だち(偽) | ナノ

45


 ナツが出かける準備をしている背中を、鬼島は座って眺めていた。白いTシャツに覆われた薄い背中は出会った頃よりずっと大きくなって、再会したときよりも少し広くなった。日々成長しているのだな、としみじみしてしまうし、その過程を近くで見られたことは幸せ以外の何物でもなかった。
 けれどきっとその場面を見たかったのは自分よりも――

「鬼島さん?」
「ん? 終わった?」
「はい」

 最近お気に入りの、意外とたくさん物が入る小さな長方形のショルダーバッグを肩に掛け、黒いデニムを穿いたナツが鬼島の顔を覗き込んでいた。らしくもなく感傷に浸っていたようだ。立ち上がり、玄関まで見送る。

「談、よろしくね」
「はい。お任せください! 無事に帰ってきます」
「ナツくん」
「はい」

 靴を履いたナツに、着物の袖口から封筒を取り出して渡す。丁寧に封をした白いそれを不思議そうに受け取る可愛らしい顔を見て、いつものように口元だけで微笑んだ。

「多分、お話終わった後に必要になるから持っておいきよ。お話した後に開けてね」
「はい……?」
「いってらっしゃい。鬼島さん、ここで待ってるから」

 頭を撫でると少し硬めの髪が手に馴染む。この頭を撫でた回数はもう何度かわからない。
 もしかしたら蓮さんが撫でた回数を追い越してしまったかもしれない。
 それはそれでなんだか勝ったような気がしていいな、などと少し優越感に浸りつつ、車に乗って出掛けた談とナツが門を出るまで見てから室内へ入ると、普段は絶対にぶつけない場所に足の小指を強打して思わずしゃがみこんだ。

「蓮さん……絶対すぐそこにいるでしょ……」

 絶対いる。いるに違いない。
 呟きながら、ずきずきともじんじんとも言えない独特の痛みにしばらく動けないでいた。
 鬼島も肉体はれっきとした人間なのである。


***


 ほぼ同時刻、高級国産車の黒光りするボディを走らせている直来。後部座席には磯村が収まっている。この車は磯村のもので、ありとあらゆるガラスに黒いスモークフィルムが貼られている。通常ならば車検を通らないような濃さであるが、国に申請して許可をもらっているので立派に検査を通った通常私用車両である。直来の家まで乗ってきて、そこで運転を交代した。決して磯村の運転が下手だとか苦手だというわけではなく、移動距離を考えると着くまでに磯村が疲れてしまいそうだという理由である。

「前から思ってたんだけど、直来って運転うまいよね」
「そりゃ元はパトカー乗ってたおまわりさんなもんで」
「制服姿……レアだ……」

 磯村が拝命した頃には直来は既にいつもの白スーツ姿であり、制服を着ているところは見たことがない。検挙率の表彰や警視総監賞などを受賞する席にも本人でありながら現場を理由に現れたことがないので見る機会がなかったのだ。

「どっかに写真ないの?」
「知らないですね。探してみてください」
「目を皿のようにして探すよ」

 本気で言ったのだが、軽く笑われてしまった。直来の立派な身体がどのように警官の制服を着こなしているのか、本気で興味がある。警察も体格が幅広いのできっと普通に制服のサイズもあったのだろう。
 明日は直来の写真を探すところから始めよう。
 直来が制服を着ていた年代のあたりをつけていることなどつゆしらず、運転席で悠然と運転している。道は渋滞もしておらず、快適だった。やがて海が見えてきて、峰太に指定された駐車場まで無事にやってきた。駐車も非常にスムーズで、隣に停まっている車との感覚も抜群である。
 初めてパドルシフトに触れたときに磯村は相当戸惑ったが、直来は全くそれを見せなかった。

「こりゃ鬼島の社用車だな……」
「そうだね」

 きっと磯村は鬼島に関係する全てを記憶しているのだろう。談とナツが乗ってきた車をじっと車内から見つめていた。それからサングラスを掛け、杖を先に外へ出して太陽の下へ出る。じりじりと夏らしい強烈な太陽光線が肌に差した。

「十円キズでもつけてやろうかな」

 小さな声での言葉に、思わず本気で「やめとけ」と止めた直来だった。
 浜辺にごく近い、白い外観で外のウッドデッキが非常に広い立派な一階の店舗と、大きなバルコニーを備えた二階の住居。二階にあがったことはないが、カフェのほうには何度か訪れたことがある。砂浜に足を取られて歩きにくそうな磯村に歩調を合わせ、ドアを開けて中に入るよう促した。

「ありがとう」

 直来に礼を言い、こつ、と杖が床を叩く音がする。入り口には階段などがなく、非常にゆるやかなスロープだった。裏側はどうも舗装されたアスファルトに続いているらしい。
 バリアフリー対応でウッドデッキも間口も広いのだと、磯村と来て直来は初めて気づいた。

「いらっしゃい」

 店内にサーファーのような客が二人三人見える。すぐこちらへ近付いてきたのは大柄な熊の王様じみた峰太で、相変わらず精悍な顔立ちと明るい笑顔が素敵である。見上げる磯村の後ろで頭を下げる直来。

「久しぶりだな、長門」
「お久しぶりです、有澤」
「峰太、な。もういいんだその呼び方は」

 席はこっちだ、と窓際の席に案内される。直来がちらと峰太を見ると、笑顔で「安心しろ」と返された。入口から見たら明るいのに、近付くにつれ日光が遮断されている設計であることに気付く。

「ちょっといろいろあってな、この席だけ太陽光が入らねえように改装してあるんだ。でも海が見えるだろ?」

 どういう作用なのか外の景色は非常によく見えた。偏光ガラスのようになっているのだろうか、と不思議に思いつつ、店内と入口が見渡せる奥の席には直来が、そちらに背を向ける席には磯村が座る。椅子にも他の席と違い、クッション性があった。

「そこに座る子が疲れやすいんだよ」

 だから特注品、と言いつつ、レモンやミントなどが入ったボトルとコップを持ってくる。

「ありがとうございます」

 直来が受け取り、水を注ぐ。
 既に磯村の目はそちらに向けられていた。ひとつ席を挟んだむこうで向かい合う、同じような顔をした二人組に。片方は首に大きな鯉の刺青や腕にカラフルなタトゥーが入っているので、どちらが納谷夏輔でどちらが日置秋輔なのか一目でわかった。もしそれがなかったら見分けがつかなかったかもしれない。
 非常に静かに話をしているようで、やや賑やかな店内では話までは聞こえない。しかし時折、二人それぞれの口が動いているのは見てわかった。読唇ができないことはないが、読むほど磯村は野暮な性格ではない。それに目的はただ、納谷夏輔を安全な位置から見ること。

「あんまり見てると狗に噛まれますよ」

 写真で見るよりもずっときれいな目をしているなとか素直そうだとか、確かにたくさん食べているなとか、そんなことを思いながら眺めていたら直来の声が耳に入った。すっと目を逸らし、二人組の後ろの席を見る。ひとりで二人掛けのテーブルにいてカップを傾けているオレンジブラウンの髪をした男。
 相羽談、鬼島優志朗が一番か二番に信頼している男。秘書のような世話係のような存在。
 目が合わないようにしばし見てから、直来へ視線を戻す。

「意外でしょう。俺も初めて会ったときはそう思いました」

 直来もまるで喧噪に紛れるような声で話す。職業柄だろうか。意識してはいないが磯村もそうであった。

「写真で見るよりずっと普通の子だ」
「だからびっくりするんですよ。あの鬼島優志朗が惚れたってんだからどんだけクレイジーな奴だと思うじゃないですか」
「頭が良さそうな素直そうな普通の子、って雰囲気だね」

 報告は信用しようと思った。鬼島優志朗に関係することは全て報告されているが、いまいちこの納谷夏輔に関しては信用していなかったのである。あまりにも『普通すぎた』のだ。しかし今日、実際に目で見てわかった。あの子はごく普通の高校生なのだと。

「観察は終わったか?」

 タイミングを見ていたのだろう。峰太がやってきて話しかけてきた。まるで世間話をするようであるが、低く心地がいい声はやはり直来や磯村と同じ質を帯びている。

「終わりました」

 正直に言う磯村に笑い、ご注文は? と訪ねてきた。直来が頼んだものはいかにも磯村が好きそうなもので食べやすい。こういうところが、と磯村の胸がぎゅんぎゅんする。新人だった頃も人の話を聞かずに自然に好みの食べ物を注文するものだから簡単に好きになってしまった。それ以来ずっと片想いで、直来が遊び歩いていることを知ってもなお諦めがつかずにいる。

「長門、どうだ感想は」
「普通ですね」
「普通だよな」

 なぜか満足そうに頷き、峰太はキッチンへ去っていった。

 注文したものをそれぞれが食べていると、納谷夏輔が立ち上がった。日置秋輔に一礼して相羽談の元へ行く。それからちらりとこちらを見て軽く会釈して、相羽と共に店を出て行った。相羽はいかにも好かない、という白い視線をよこしていたが果たして納谷夏輔は気付いただろうか。あれは気付かないだろうな、と直来は思う。

「秋、二階行って休め」
「うん。ありがとねほーた」

 そんなやり取りをかわし、日置秋輔と磯村の目が合った。微笑まれ、ひらりと手を振られる。鬼島に感じるものと同類の、しかし程度が天と地ほどに違うイラっと感を覚える。
 超然とした存在は好きではない。
 そう実感していると直来に「日置に構うと腹立つだけだぞ」と言われてしまった。

 やがて客が引け、峰太が閉店の看板を出した。

「長門、うちのカフェも悪くないと思ってくれたか?」
「おいしかったです。席も居心地がいいし」

 ごちそうさまでした、と言えばどうもどうもと言いつつ空になった皿を重ねる。

「裏から来てもらえば、足元もいいからよ。よけりゃまたデートに来てくれな」
「ありさ、峰太さん!」
「だそうですよ。磯村さん、次は恋人とでも来たらどうです。好きな人とか」

 しれっと言う直来。そういうところが、と思っていると磯村の目に鬼島の次に好かない男が入ってきた。ドアの音もさせず、直来の顔色も変えさせず、峰太の声が「真秀が取りに来たんか」と言うまで気付かないような気配のなさで。

「こんにちは峰太さん。満和さんからのご依頼で昼食を取りに来ました」
「おう、聞いてる聞いてる。座って待ってな」

 そこで初めて気付いたかのように、北山真秀が振り返った。磯村と真っ向から目を合わせ、にこりと笑う。

「これはこれは磯村本部長、穴ぐらからお出ましですか」
「相変わらず嫌味っぽいですね、北山さん」
「優志朗に相変わらずご執心だとか。それは構いませんけど、別件でちまちまうちの譲一朗を引っ張るのはやめてもらえませんかね? 仕事が進まないとあの熊さん、イライラして機嫌が悪くなって迷惑なんですよ」
「いっそ檻の中に入れてあげましょうか、あの熊」

 直来はしんとした顔で嫌味の応酬を聞いていた。そういやこの二人、妙に仲が悪いんだよな。なんでだっけかと由来を考えて、ふと思い出した噂。

「磯村さん」
「うん?」

 北山から即座に目を逸らし、直来を見る磯村。きれいに整えられた顎髭に指をやりつつ、首を傾げる直来。

「前に北山真秀のハニトラに引っかかったって本当ですか」

 は!? と完全にひっくり返った素っ頓狂な高音と、しれっと「本当だぞ、直来」と答える低音とが重なった。

「引っかかってないです!」
「引っかかった癖に……」

 引っかかったの引っかかってないのと二人が言うので「果たして真実は」状態の直来が峰太に視線を送る。キッチンの峰太は手際よく袋を縛りながら首を緩く横に振り「さてな」としか言ってくれなかったのだった。


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