お友だち(偽) | ナノ

44


 

磯村 長門(いそむら ながと)



***



鬼島優志朗が結婚するらしい、という話題はあっという間に各業界を駆け巡った。少し前から年賀状がひとりの少年の隠し撮りコラージュ画像で彩られていたので、おそらくその少年が相手なんだろうと噂されている。当の鬼島に直接確認するような人間はいないが、東道会内で一番親しいと見られている有澤譲一朗に恐る恐る尋ねる者はある。
 しかしその有澤は「知らない」「わからない」を繰り返すばかり。では真実ではないのかと聞けば「嘘ではないと思う」と煮え切らない返事がくる。有澤にしては珍しく、またその情報がはっきりしない辺りが鬼島優志朗の不気味さを表しているようでもあった。

「鬼島優志朗が結婚?」
「そのようですよ」
「あの、納谷夏輔と?」
「そのようです」

 ふぅん、と呟く。実費で専用に作らせ、本部長室に置いている椅子の背もたれがぎしりと軋んだ。薄暗いのは部屋の主が強い光を苦手としているからだ。大きな執務机のこちら側に立っている直来は、発光を抑えたタブレット端末で見ているのは納谷夏輔の資料なのだろうなと考えていた。
 ふと大きな目が直来を捉えた。エリート揃いの警察庁の中でも異例の出世を果たした年若い本部長はまだ子どものような目をしている。視線を少し下に移せば傷痕と火傷の痕がくっきり刻まれている。頬から首、服の中を通って右手右足と右半身全体を覆うように残る傷や火傷。
 何十回もの手術を経て現場に復帰してきたその年に、犯罪組織摘発数が過去最高を更新。すべて彼の指示によるものだ。直来も間接的にではあるが、彼のもとにいる。

「磯村さん、どうしましょうか」
「……直来さん、そのぎこちない敬語をやめませんか。聞いていてぼくが居心地悪い」

 笑い顔も屈託がない。凛とした端正な顔立ちにのぼる笑みはあどけなさすら感じるようなもの。にこにこするとまるでそこら辺りにいる大学生のようだ。とても捜査官を率いているとは思えない。
 出会った頃からすでにエリートではあったけれど、ここまで出世するとは思っていなかった。姿勢をわずかに崩し、見下ろす。

「いいえ。今は磯村さんのほうが階級が上なので。気になりませんか、納谷夏輔」
「できたらこの目で拝んでみたい。あの鬼島優志朗が関心を寄せるのがいったいどんな子なのか」
「会いに行くつもりなんでしょうけど、やめておいたほうがいいと思いますよ。常に鬼島の狗が張り付いていますから」
「相羽談、か。長官も頭が痛かろうね」

 危なっかしく立ち上がる。思わず手を伸ばすと、黒革の手袋をした右手に制された。ひとりで立てます、と言いたいのだろう。杖がないと立ち上がることも難しいのに現場に復帰してきた理由は、鬼島優志朗に他ならない。
 立ち上がっても磯村長門は直来より視線が遥か下にある。小柄で痩せていて、黒い髪を傷痕を隠すかのように伸ばした磯村の姿はこの庁舎の中ですぐわかるほどだ。スーツのジャケットは肩にかけ、同色のベストとスラックスを身に着けている。いつも黒いシャツなのは万が一にも傷痕が透けないようにするためなのかもしれない。

「不思議なものだ」

 ぽつんと磯村が言った。この部屋は黒いカーテンに覆われており、その向こうにある遮蔽性が高く厚いガラス窓の外が晴れているのか曇っているのか雨なのか、風が吹いているのかいないのか、昼なのか夜なのかすらわからない。

「ぼくは鬼島優志朗に捕らわれて自由になれないというのに、当の本人の鬼島は自由に人生を過ごしている。今度は結婚するとは……もうぼくのことも忘れているんだろう」

 微笑む磯村の目は先程とは異なっていた。あどけなさは影を潜め、代わりに狂気的だと思えるような昏い光が宿っている。直来はそんな目を何度となく見てきた。鬼島優志朗に関わる人間はなかなかまっとうにいられないようだ。皆、このように何らかの影を負わされる。
 そんな自分はどうなのかとたまに思うが、幸い付き合いが長いおかげか免疫がついて大丈夫そうだと考え、磯村に声をかける。
 しかし直来は劇的に励まし方が下手だった。

「忘れてはないでしょう。顔見たら思い出すんじゃないでしょうか」
「それを忘れてると言うんじゃない?」

 下手な励ましに笑ってくれた磯村は、もういつもの磯村だった。新人時代にたまたま指導役を任されて以来、人目がなければこうしていつものように慕ってくれる可愛い後輩の顔を見せてくれる。
 部屋から一歩出るとそうはいかないのだが。
 警察とは階級社会で、そこに年齢の上下は関係ない。階級がすべてだ。

「長門、あんまり鬼島を追いかけるな。お前が狂う」

 何度目かわからないが、再び同じ忠告をしておいた。磯村の返事はいつも同じだ。

「もう遅いですよ、直来さん」

 仕方なさそうに笑い、目を光らせる。

「鬼島優志朗を挙げないと、ぼくは解き放たれそうにない」
「悪いですけど、生涯かけても無理だと思いますよ。あいつは普通じゃないですから」
「でも、追いかけていないとぼくの半身が疼くんだ。恨みでね」

 ぎり、と左手で右腕を掴む。また痩せたなと緩いワイシャツを見て改めて感じた。またしっかり食事をしていないのか寝ていないのか。薬を飲まないと眠れない体質の磯村は、どれもおろそかにしがちだ。鬼島を追いかけるのに命を懸けすぎている。

「……磯村さん、今日は何時に退庁するんですか」
「六時だけど」
「家に行きます。寝かしつけに」
「気にしないでいいのに」
「本部長殿に倒れられたら困るんですよ。それに、悪夢でも見たんでしょう? 庁舎がぶっ飛んだ時の夢ってところでしょうが」

 磯村の顔が歪む。泣きそうなような、怒りのような。

 今から約十年前、警察庁舎が爆破されるという前代未聞の大事件が起きた。死者負傷者は数えきれないほど、近隣にも甚大な被害を生んだそれは犯人が数日後に逮捕されたが、とても厳重な警備をかいくぐって爆破を行えるような性質の人間ではないと誰もがわかっていた。
 しかし警察の体面上、犯人は必要だったので送検の後、起訴され死刑判決を受けた。数年前に異例の速さで執行されたが、現在の警察庁刑事局組織犯罪対策本部長である磯村長門は鬼島優志朗を真犯人だとして追いかけ続けている。別件逮捕させるような事もなく、そつも隙もない鬼島を磯村は自らの右半身を奪った敵だと追いかけ続けているのである。

「狗は追い払えばいい。会いに行ってみようかと思うよ。休みの日は何をしても自由だからね」
「……ひとりで行かないで俺を連れていってください。俺はあの子と面識がありますし」
「鬼島優志朗じゃないんだから、彼を殺したりはしない」
「鬼島が絡んだ磯村さんはわからないです。手綱を持たせてください」

 はいはい、と苦笑いで答える磯村。自分が鬼島絡みの際にどんな顔をしているかわからないのだろうなと直来は考えていた。今にも殺してやると言わんばかりの顔をしているというのに。そんな顔を見せるようなへまはしないだろうが、なんとも心配である。

「ちょうど今度の日曜日に納谷夏輔くんが出かけるって情報がある」
「ひとりで? 珍しい。鬼島は」
「ついていかないようだよ。カフェに行くんだそうだ」
「日置秋輔がいる――峰太さんのカフェか」
「そうみたい。だから、ぼくも何食わぬ顔で行ってみる」

 『あの』有澤峰太がいるならば安全か――と一瞬考えたが、やはり磯村を見張っておく必要はあるような気がした。

「何時に行きます?」
「デートだね?」
「何言ってんですか」

 笑い飛ばせばむっとした顔をする。こういう顔をずっとしていたら可愛いのに。
 少なくとも、警察庁内で遠巻きにされることはないだろう。今は険しい顔だとか狂気的に鬼島を追い続ける姿勢だとか、そんなのしか見せていないので評判が悪い。本当はこんなに可愛いのに、と思い、ふと「自分だけがみられる特別な顔か」と思い至って悪くないと思ってしまった直来だった。

「デート、嫌ですか。ぼくとするのは」
「嫌じゃねぇけど仕事抜きのほうがいいな」

 軽口のつもりで返したが、ぼわわと真っ赤になる。磯村のこういった初心な反応は何回見ても可愛いものだが、誰に言われてもこうなるのだろうかと心配になってしまう。
 磯村の恋心に全く気付いていない、鈍い直来なのであった。


***


「……余計な客が来やがるぜ」

 電話を切った峰太が呟いた。

「余計な客?」
「ああ。日曜日に磯村が来るんだそうだ。磯村長門」

 市販の卵豆腐を崩して溶き卵に混ぜただけの簡単だし巻き卵をきれいに巻こうと苦戦しながら秋が「ああ、磯村サンね」と返した。

「別にいいんじゃなーい。話に割って入ってくるわけじゃないでしょ。それに、普通の営業してるカフェで会うんだからお客さんで来るなら自然だし」
「どうせ夏輔を見に来るんだろうが……」
「なんで?」
「優志朗の結婚相手に興味持ったんだろ」
「結婚? 結婚するの?」
「あれ、言ってなかったか」

 言ってない、と返す秋の手元で、非常にきれいに卵が巻かれた。

「ご祝儀用意すべき?」
「いや、先に優志朗に電話して絶対に日曜日は来るなって言うべきだな。来るならカモ連れてこいって」
「なんで? カモって何? おとり?」

 あとでまとめて説明してやるから待ってろ、と言って峰太は鬼島に電話を掛け始めた。

「優志朗? 日曜日にお前は来るな。ついて来させるなら譲一朗か談にしろ。真秀もまずい。仲が悪いからな」

 誰と言わずとも承知したようだ。いつもの読めない声でのんびりと「了解ですー」という返事。それから短く世間話をしてから電話を切る。目の前で皿に盛り付けた美しいだし巻き卵を見せびらかす秋の頭をぐりぐり撫でてやり、食おうぜ、とすっかり用意の整った昼食の席に着く。

「うまくできたな」
「んふふ、そうでしょ」
「日曜日も、もう明後日か」
「そうだね。なんか近くなってくると緊張とか吹っ飛ぶね。ちょっと楽しみになってきたよ」
「そうなのか」
「ん。何言われるのかなって。文句言われても何言われても、俺はただ聞くだけだし」

 茹でて細かく割いたむね肉と茹でたブロッコリーをめんつゆで和えたものをおいしいと食べながら、秋は向いの峰太を見つめる。

「ほーたが一緒にいてくれたら、俺は大丈夫」
「そうか」

 手を伸ばし、頬を撫でる。
 秋はただ嬉しそうに笑った。


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