お友だち(偽) | ナノ

峰太の友人


 

和幸 野樹(わこう のじゅ)





 むちっとTシャツを押し上げる巨乳。触るとふかふかとしていて、下から押し上げたらむにゅ、とした触感がある。ぽよぽよしていると「何してんだ」と怪訝そうな声。豊満な乳から視線を上に持っていく。
 立派な首、髭を生やしてみたりなくしてみたりする顎、薄い唇、高い鼻、そして綺麗な目。透き通るような白目に、やはり透明度の高い瞳がある。端が少し緑がかった、黄色が混ざる茶色。不思議な目の色は宝石みたいで、なんでもおばあさんがそうだったようだ。隔世遺伝というやつ、なのだろうか。

 長らくジャンキーの目ばかりを見ていたせいか、健康的なそれが珍しい。彼らはみんな光を失い、クスリを買いに来る時には大抵、血走った目をしている。だからくそみたいな粗悪品を高値で売りつけられてしまうのだ。理性がある、と言うとおかしいが、買い方にも特徴があって、手元のものが切れる前に買いに来る客とぎりぎりになって駆け込んでくる客がいる。前者は理性があり、後者はない。前者は金払いの良い裕福なタイプが多く、後者はかつかつ。観測範囲内では。
 なので、前者には純度の高いものを、後者には混ぜ物多数の粗悪品を。長期の顧客になって貰うなら、と思えばこの売り方がベストだった。お金がある人は色んなものを『既に味見して』いるので、粗悪品を流せば気付いて離れてしまう。
 とはいえ、結局みんなジャンキーである。クスリ狂いはどんな手段を使っても――それこそ、人を殺してでもお金を作って買いに来る。戦争の引き金にすらなるのだから、怖い。プッシャーで好奇心から売り物に手を出し、破滅していく奴も少なくないのだ。

 目が合うと、頬を掌で撫でられる。
 光を含んできらきらとしている目は、俺にはやっぱり、珍しい。ふかふかの乳に顎を置き、眺める。ほーたの身体は大きいので、仰向けで寝転んでいる上に俺がこうやって俯せで乗っかってもびくともしない。

「なんかついてるか、顔に」

 妙に見るじゃねえの、と言われた。

「いやね、きれーな目だなと思って」
「そうかい」

 唇に笑みを乗せ、ゆっくり瞬きする。ふむ……。

「このいけおじが恋人だなんて……」
「不満か?」
「まさか」

 頬に添えられている、乾いた掌の感触が心地良い。すりすりと擦り付けてから、ふと思った。

「いけおじってのは否定しないんだ」
「まあ、顔が悪くねえ自覚があるからな」

 自然に口から出てきただろうその発言に、一瞬言葉を失う。

「おお……はあ……すご……」

 ようやく出てきたのはばかみたいな感想で、ほーたがおかしそうに声を出して笑った。ふわふわの胸が波打つ。

「お前だって、自分が可愛い顔してるってわかってんだろ」
「そりゃあ、この顔で寝床掴んでたから多少は」

 多少はある。けれどそんな、さらりと言ってのけるほどの自信はない。世の中の大多数がそうではないだろうか。自分の顔に一点二点、人によっては全部、疑問を持つのでは。
 ほーたにそんな感じのことを言うと、俺の頬から髪に手を滑らせて撫でながら、まあなあ、と呟いた。

「でも四十何年、褒められてきたから疑問も消えたな」

 真顔を見るとちょっと怖いが、笑顔は優しい。そしてかっこいい男だと気付く。それを告げれば「ありがとう」と笑ってくれる。ときめく。時々ないしは頻繁に訪れるようになる。気さくに話しかけてくれる。親しくなったと誤解する。
 このパターンに陥る新顔のお客さんは確かに多い。どんな相手にでも、ほーたが親しく話し掛け、人懐こい笑い方をするせいだろう。人覚えも良いので一回来ただけのお客さんも忘れない。罪な人。
 それはさておき、四十何年褒められてきたというのは身近に定期的に褒めてくれる人でもいるのだろうか? 年齢のほとんどだ。
 カフェをやっていて、確かに多いがそんな一分一秒ごとに褒められる訳ではない。となると、どこかで定期的に摂取しているような気がする。褒め成分を。しかもそれはかなり強力だ。

「ほーた、どこでそんな褒められてるの」
「海の上」

 それでぴんときた。

「あの人? 明るい緑のボードの」
「よく覚えてんな。付き合いが長いんだ。会うたびに素敵だなかっこいいなって言うから、誰に言われるのも慣れた」

 なるほど、あの人か。

「秋? なんか変な顔してんぞ」

 むにむにと両頬を揉まれる。
 あの人はほーたの友だちなんだろうか。まさか元恋人じゃなかろうね。この豊かな雄っぱいを好き勝手したんじゃなかろうな。

「言っとくが、元恋人とかじゃねえから」
「ほんとに……?」
「ただの付き合いが長いやつだよ」
「信じてあげましょう」
「嫉妬するとは、恋人らしくなってきたな」

 さも愛しげに目を細めて、甘い低い声に言われて。なんとなく悔しさを覚えつつ、伸びあがってキスをした。

 今晩は営業する、と聞いていたので、夕飯はひとりで食べて片付けてから階段を静かに降りた。キッチンの後ろの壁の陰から店内を見る。
 間接照明だけの薄暗い店内には複数のお客さんがいて、静かに、しかし明るい雰囲気でお酒を飲んでいる。心地良いささやかな話し声のその中、ではなく、カウンターに肘をついてほーたと親しげに話している姿があった。あの人だ。昼間話した明るい緑のボードの人。
 整った顔をしている。海によくいるからか日に焼けて、その時にはしていない銀縁の眼鏡をかけていた。意外と理知的というのか、賢そうな顔というのか、そんな感じがする。ほっそりしていて、俺よりは背が高いだろう。黒髪、シンプルな黒Tシャツ。
 やがて、ほーたを手招きした。キッチンを出て隣に行ったほーたが上半身を傾け、その人が親しげに耳打ちする。それから、筋張った大きな手を取り、指を絡ませ中指の甲にキス。ちょっとそれは衛生的にどうなの。と思っていたら、ほーたと目が合った。呆れたように溜息をつき、傍らを見る。

「秋に気付いてたな? この性悪」

 ほーたの低い声がはっきり聞こえ、ひゃひゃひゃ、といかにも楽しそうな笑い声。真面目そうな見た目に合わないような、悪魔みたいな笑い声だった。

「なんだかんだで初めまして、日置秋輔くん」
「どうも」

 手をきれいに洗ったほーたが麦茶をいれてくれた。カウンターのところで立ち話をする。黒Tシャツ、白いスリムなパンツ。峰太ほどではないが、腕が意外に筋肉質だ。

「和幸野樹といいます。峰太とは長い付き合いです」
「のじゅ」
「ええ。どうぞよろしく」

 右手を差し出され、そっと握る。顔からは想像も出来ないくらいしっかりした硬い手をしていた。掌も厚くて硬い。

「庭師をやっています」
「庭師?」

 意外だ。けれど肌の焼け具合にも、筋肉にも、手の硬さにも納得がいく。

「譲一朗の家にも出入りしてんだ」

 キッチンに背の高いスツールを置いて、自分も少し飲みつつ峰太が言う。ええ、とのじゅが頷いた。

「古馴染み価格でね。あと、譲一朗も峰太に似て野性的なイケメンだから顔割引してます」

 さすがの俺も顔割引などしたことがない。思わず見つめると、顔がいい人が好きなんです、と笑った。本気なのか嘘なのか読めない人だ。別にからかってやろうとか、そういう雰囲気が漏れ出ているわけではないので、たぶんこの人の元々の性質なのだろう。面白い人、だ。

「甥っ子もなかなかいい顔してるんですよ」
「恋人いない、の?」
「秘密です」

 静かに笑うとかっこいい人だった。さっきは悪魔みたいに見えたけど、顔はかなり良い。

「古馴染みってことは、小さい頃から?」
「十五? 十六か」

 十七? とのじゅに確認するほーた。首を傾げたのじゅ。どちらも曖昧なようだ。

「野樹の家は昔から庭師が家業でな。継ぐだ継がないだで親父さんと大揉めして家飛び出して浜辺ぶらついてたときに会った……んだっけか」
「そうですね。板にしがみついて波に浮かんでる熊がいる、と思いました」

 サーカス……いやナショナルほにゃららグラフィック……? 光景が頭の中で、実物の熊で再現される。その歳にはすでに熊さんだったのか。

「海から上がってきて、近くで見たら好きな顔だったのですぐ話しかけましたよ」
「それから一緒にボードやるようになったんだ」
「庭師を継げば海に出やすいと思って、そちらも丸く収まって」

 人に歴史あり。なるほど長いお付き合い。納得しているところを、じっと見つめられていた。

「峰太がまさか未成年に手を出すとは……」
「だから違うって言ってんだろどいつもこいつも」

 未成年扱いされることは慣れたが、そんなふうに見えるだろうか。顔は確実に老けているし、刺青もあるのに。はてはて、顔をむにむにしているとのじゅの手が伸びてきた。首の鯉を指先が辿る。

「日置くんも素敵な顔、してますね」
「ありがとう」

 こら! とほーたが言う。

「こんな素敵な売人さんからだったら何億でも使ってしまいそうです」
「おや、俺をご存知で」
「ええ。庭師にとっては世界中の庭の持ち主がお得意様ですから」

 つまり、どこかで会ってるのだ。どこかの庭付きの家に『お泊まり』した時にでも。

「その時とは顔つきがちょっと違いますね。峰太に愛されているから、でしょうか」
「そうかも。もしくはクスリがキマってたか」

 おやまあ、とのじゅがかっこよく微笑んだ。それから幾つか、昔のほーたの話をしてくれた。昔のほーたは本当に獰猛な熊さんだったようだ。

「譲一朗にそっくりでしたよ。告白してくる人をちぎっては投げ、さながらぶつかり稽古……いや、寝技?」
「やーめーろその言い方」
「本当のことでしょう」

 これだけ顔も身体もよかったら稽古志願者が後を絶たないだろうことはわかる。ふむふむ頷いていたら、のじゅがため息。

「まあ中には? 峰太の700ミリタンブラーを見てビビって逃げる人もいましたけど?」
「700ミリタンブラー……」

 思わずのじゅの手元のグラスを見てしまう。確かに、とまた頷いてしまった。見るな、とほーたが言った。

「股間にタンブラーぶら下げてるような男ですけど、優しくて良い奴です」
「知ってる」
「塩づけ熊肉にならないよう、管理してやってください」
「それはほーたの本望だろうから無理」

 ぱちぱち、瞬きしたのじゅが、笑った。

「良い子だ」
「だろ」

 今度は何か日置くんの好きなものを持ってきましょう、と言って俺の好みを聞き、帰っていった。去り際、ほーたの胸をわしわし揉んで颯爽と。悪魔の笑い声が砂浜に響く。
 背中を見送り、ドアに『閉まってます』の札をかける。

「野樹はおしゃべりで困るな」
「楽しかったよ」
「ならいいんだが」

 俺の頭を撫で、微笑む。

「楽しかったなら、安心した」
「まあ帰りがけに胸揉んでいったのは納得してませんけどねー! 俺の雄っぱい!」

 抱きつくと笑って、うなじの辺りを撫でてくれる。ふかふかのほーたは、いい匂いだ。優しくて、あったかい。

「昔のほーたに会ってたらどうだったかな」
「さあな」
「ぶつかり稽古してたかも……寝技かけてください! とか言って」
「言い方」


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