お友だち(偽) | ナノ

息子熊が現れた


 冬に突入しそうな、晩秋。
 峰太の傍で過ごす二度目の秋が終わろうとしていた時期。
 突然、峰太の息子がやってきた。
 事前の電話や連絡なしに、本当に突然やってきたのだ。その連絡不備のせいでカフェにいたのは秋ひとり。『閉まってます』という札を無視してドアを開けた熊のようなフォルムに、片づけをしていた秋は、ああほーた以外にもいるんだなむちむち。という感想を最初に持った。

 のしのし、入ってきた熊の顔は峰太によく似ている。少々若返った峰太、である。そして髪を丸刈りにするとこのような感じになるのだ。ドアのところからカウンターの前へ来るまでにずいぶん不機嫌そうな顔になっていった。寝起きの熊、冬眠明けの熊はこんな顔をしているのかもしれない。今は、そろそろ冬眠に入りそうな時期なのだが。

「どうも……いらっしゃいませ?」

 むっつり黙って見下ろしているので、何か言わねば、と思い、カフェに来た客を迎えるような言葉を口にした。
 噂の、育てきれなかった息子四人のうちひとりなのだろう。あいにく写真を見たことがないので誰なのかはわからない。顔と体形が如実に血縁だと語っているだけだ。遺伝とは恐ろしい力を秘めている。

「……峰太は」

 声まで似ている。肉食獣の唸り声じみた、威圧感のある低いもの。無表情もしくは不機嫌そうな顔から吐き出されるこの声は確かに少し怖いかもしれない。峰太がいつも優しい表情だから気にならないだけなのだ。

「波乗りに行ってます。多分、そのうち帰ってくると思うけど」
「そうか。待たせてもらう」

 まじまじと秋を見下ろし、似ているな、と呟いた。

「似てますか。誰に」
「あとで峰太が話すだろう」

 いつも暇な時間や閉店後に峰太が座る席へ座ったのは偶然なのか。何のお構いもしないのも気が引けて、峰太が自分用に作ってくれている麦茶をガラスのコップに注いでそうっと出した。

「どうも」
「いいえ」

 窓から海を眺めつつ、静かにコップを傾ける。後ろ姿は割と似ていた。峰太のほうがもうちょっと大きいか。片付けを済ませ、掃除はあとでだなと思いながら勝手口を出る。サンダルの足の下で、砂浜がぎしりと音を立てた。
 今日はやや曇り、波からの照り返しは少ない。気温が下がり始めたとは言え、まだまだ海辺は日差しが厳しい日が多かった。波はといえば、大きなものが普段よりも多く来ている。それを待つサーファーが多く、少々沖合にはウインドサーフィンに興じる人の姿も見られる。
 秋は今のところ、見ていてもよくわからない。
 何回か実際にやってみたが、物凄く体力を使うということだけは体感で理解した。海面、しかも蠢く波の上を板一枚でなぜあのように軽やかに走ることができるのか、そこは未だにさっぱりだ。峰太の大きな身体でさえ重力を感じない。波さえあればどこまでも行ってしまいそう。

 海から戻ってきた峰太はセクシーが過ぎる。濡れた髪をかき上げたり、ウエットスーツを上だけ脱いでいたり。水も滴るいい男というのが文章通りの意味であるならまさにそれだ。
 水道を目指してやってきたので、目の前にやってきた。

「目が潰れそう」
「今日はそんなに太陽出てねえぞ」

 峰太は、まさか秋が自分の身体を眩しがっているとは思いもしなかった。
 いつもの手順で真水を使う。愛しさをこめてボードを丁寧に流している峰太の動く背筋を色気があるなあと眺めていたが、ようやく用件を思い出してはっとした。

「ほーた、多分、てか絶対、息子さん来てるよ」
「ん? どの」
「いやわからない……見たことないから」

 そりゃそうか。と言って、それでもいつものペースで清めてからボードを置き、自分も流して正面のドアに回る。秋は勝手口から中に戻った。
 木材が豊富に使われた落ち着いたカフェの店内に、熊が二頭。
 一気にサファリパークに見えてくる。

「譲一朗か。どうした」
「顔見てないから会いに来た」
「そうか。ちょっと待ってろ」
「ああ」

 じょういちろう。
 名前に心当たりがある。お中元とお歳暮を欠かさず送ってきてくれると以前峰太が言っていたし、週に二回か三回くらい、夜に電話を掛けてくる。その時に名前を呼んでいた。確か一緒に住んでいた唯一の息子さん。と秋は記憶を辿る。
 一階のシャワーブースのドアを細く開け、ほーた、と声を掛ける。

「なんだ」
「俺、上にいるから。なんかあったら呼んで」
「譲一朗とは一緒に居辛いか」
「居辛い……めちゃくちゃ居辛い」

 ふふ、と峰太が笑う。

「弱気が似合わねえ奴だ」

 わかった。と返事があったので安心した。ささっと階段を上がる。


 峰太がシャワーを終えて出ると、譲一朗が空になったコップを指で辿りながら外を見ていた。秋のことなので、間違いなく自分のものだと思う飲み物を出したはずだ。冷蔵庫から麦茶のボトルを手に取って向かいに座る。

「待たせたな」
「構わない。今日は時間がある」

 何かのついでに寄るときはいつもスーツ姿。今日はカジュアルな私服なので、本当に時間があるのだろう。新しく水分を注いでやり、自分も飲んだ。

「……本当に、よく似てる。刺青がなかったらナツさんだ」

 あまりに似すぎていて入るなり真顔になってしまった。顔が怖いと誤解されていないといいが、と譲一朗が言ったので、口には出さなかったものの誤解されたろうなと思う。自分もよく勘違いされるので、ほぼ間違いないだろう。
 峰太の表情には慣れていても、譲一朗の顔はまた違う。たとえよく似ていても、その人を知っているか知らないかで顔や雰囲気の印象は簡単に変わるものだ。

「まさかこんな近場にいると思わなかったな、秋の息子が」

 譲一朗が電話中に教えてくれた。隣に住んでいる、腐れ縁と言って差し支えのない鬼島優志朗の恋人が秋の息子だと。それもあって動向を追っていたのだと言った。と言うことは、秋が言うところの『うさんくさい恋人』は鬼島優志朗だった、ということになり、電話口で笑いをかみ殺すのに苦労したものだ。

「そんなに似てるのか」
「ああ。俺と父さんくらい似てる」

 まじまじ、目の前の息子を見る。

「本当にそっくりなんだな」

 双子かと思うくらい似ている息子に言われると説得力があった。譲一朗がふんと笑う。

「ナツさんを育てた蓮さんは本当にいい人だった。俺も何回か会ったことがある。あの人がいれば、本当の父親……まして自分を捨てた存在なんか気にならないと思う」
「そうか」
「会いたいとも思わないだろうし、興味も湧かない」
「秋も、特に興味は無さそうだ」

 子どもの話をしないから、というところだけでそう思うのではない。生まれた姿を見ただけ、写真を見ただけで実感がなさ過ぎて子どもがいることすらあいまいなのだろう。写真を見たところで、よく似た他人がそこにいる、くらいの感覚なのだ。成長する姿を頻繁に見ていたら違ったかもしれないが。

「とりあえず鬼島先輩は、ナツさんが自分から希望しない限り会わせたくないと言っていた」
「なら、お前の家の周辺で秋を連れ歩くのはやめたほうがよさそうだな」

 そうしてくれ、と譲一朗が言った。事前に警告してくれる方がありがたい。息子の気遣いをおとなしく受け取る。少し間が空いて、すっと息子の視線が上へ行く。

「……思ったより健康そうな人でびっくりしてる」
「ん? ああ、クスリは一時期使ってやめたらしい。売人だから純度の高いやつが使えてて幸いした。不幸中の幸いってやつだな」

 混ぜ物が多いほど依存性と肉体破壊効果が高くなるのはよく知られた話だ。

「基本は家にいて、どこかに行くときは俺と一緒だ。というか俺が出掛けるタイミングで用を済ます、という感じだな。真秀が言いに来た時に聞いていたようで、疑わしいと思われる行動は避けてるんだろう。賢いと思う。特に誰かと連絡を取っている気配はない。郵便もないしこの家には電話がない。携帯電話も持ってない。風呂とかトイレとか、俺がいないときにしている可能性も考えて時間を長くしたり短くしたりして確認してるが、隠し事はない。週に何回か勝手に荷物や部屋を漁ってるが、俺が見つけられないような場所に隠してない限りは……どうした?」

 譲一朗の目がくるりと丸くなっている。珍しい。息子の間抜けな顔を見るのは久しぶりで、思わず笑ってしまう。鼻先に松ぼっくりが落ちてきた熊はこんな顔をするんだろうか。だとしたら結構可愛い。

「いや、まさかそこまでしっかり把握してると思わなかった」
「きっちり面倒見るって、真秀と約束したからな。役を果たさねえと申し訳ねえだろ」

 売人も使用者も、いつだってそちら側へ戻ってしまう。
 金、使用感が忘れられない……多くの誘惑が常にあるのだ。そしてそちら側からの連絡は狡猾で、一般の人は気付かないようなサインが送られている。気付いた時には再汚染され前以上にはまり込んでしまっていた、というケースは少なくない。誰かが常に傍にいても、だ。
 そして依存者は次第になりふり構わなくなっていく。殺しも盗みもなんとも思わない。ただその依存対象を欲して、手に入れたいという思考に支配されてしまう。
 そういった姿を見た経験から、秋は。

「使ってる可能性は間違いなく、ない。そこは俺の直感だから信じてくれとしか言えねえがな」

 パケを流されたり使い捨て器具で摂取してそのままゴミに紛れさせていたらわからない。時折漁ってみているが今のところ発見できていない。精神状態はここに来てからさほど大きく変わっていないような気がするが、来る前から使用し続けている可能性もある。

 峰太の言葉を聞き、あらゆるパターンを想定していることがわかったようで譲一朗は両手を肩の辺りまで挙げた。

「俺が悪かった。てっきり色ボケしてると思った」
「不誠実な父親だからな」
「そういうことじゃなく、色恋に鼻面振り回されてるんだと思って。誤解でしたすみません。父さんの嗅覚は鈍ってませんでした」

 ひひ、と笑う峰太に厚い肩をすくめる。

「……早く辞めるのはやっぱりもったいなかったと思う。身内だからじゃなくて、誰だってそう思うだろう」
「いや、俺には正しい道だった。今の暮らしが気に入ってるからな」
「なんだかんだ父さんに憧れて、和一が同じ道を選んだんだ」
「それは違う。和一は自分の考えで生き方を選んでる」

 すっかりぬるくなった麦茶を口にする。譲一朗も同じようにコップを傾けた。

「辛くないか」
「ん? 何が」
「……愛する人を、疑って監視するのは」

 こういうところが、別れた妻に似ている。気遣いの心や人に配慮することを、峰太はその女性から学んだのだ。そして子どもたちも。

「別に疑ってねえよ。シロだって信じて、その証拠を探してるだけに過ぎない。そもそも、俺に責めたり疑ったりする権利はないと思ってる。どっちも被害を受けた当事者だけが持ってるもんで、外側から叩いていいのは神さまだけだ」
「そう……か」
「お前は優しいなー」

 手を伸ばして坊主頭をよしよしと撫でる。さりさりとした硬い手触りが掌に伝わった。最初は撫でられていたがすぐ照れくさそうにそっと手首をつかんで頭から外す。

「ところで譲一朗、これは面と向かって聞いた方がいいと思ったんだが」
「なんだ」
「お前、普段どんなセックスしてんだよ。まさか高校生の時から変わってねえのか」
「……は?」
「真秀が気にしてたぞ。あんまり苦労かけんな」

 坊主頭の左上に、ばばばばと「っ」の形の汗が見えるようだった。早朝に何回か見たアニメに差し込まれていた描写だ。


「今度は真秀と満和連れて一緒に来い」
「ああ。身体に気を付けて」
「お前もな」

 息子を見送り、外へ出たついでに勝手口の方へ回った。もう一度ボードを丁寧に洗い直してワックスをかけ、収納して鍵をかけてから二階へ上がる。

 すっかり秋の部屋になった和室を最初に覗いたが、姿がなかった。では居間か。足を向けると、久しく前に人をだめにすると評判になったあのビーズクッションに上半身を預けてだらりと眠っていた。腹の辺りで手の指を組んで、膝を立てて。最初は起きているのかと思ったが、近付くと目を閉じていた。
 シャワーを浴びたらしく、白いタンクトップに着替えている。着替えている最中に眠気を感じでもしたのか、傍らにオレンジのTシャツと峰太から奪った白と紺のボーダーショーツが落ちている。つまり下着姿で眠っているわけで。
 夏に遊び疲れた子どものようだ。と思いつつ、風邪を引いてしまいそうな薄着なので、和室からタオルケットを持ってきた。秋がそこで寝ないので、もっぱら昼寝用になっている。
 足の方から掛けていき、ふと上半身の刺青を見た。首に泳ぐ大きな赤と青の鯉、右腕の肩から肘まで水墨画のように淡い色合いで多数の蓮の花が水面に浮いてるように咲き、肘の真上に緑色で黒が翼や腹のところどころに入った尾長の鳥が飛ぶ。左腕の肩から肘までは様々なモチーフが刻まれ、一部は焼いたように丸く潰れている。
 最初はあまりよく見えなかったので気付かなかったが、と思いながら、左側に座って腕をまじまじ見た。まるで法則のないモチーフは、クスリを売り捌く時のマークのようなもの。どこから買っているか、どこへ流しているか、仲間内だけでわかる記号だ。
 そのすべては長年の情報収集を以てしても未だ解明されていない。数が多すぎることと一定の時期を過ぎると変わることがわかっているだけである。とはいえ、昨今は画像解析の精度が急激に上がっているので、多少の進歩はあるだろう。

 すっ、と指の甲で二の腕をさする。さらりとした質感と温度。秋は小さく身じろぎしたけれど起きなかった。前髪を払い、身をかがめて唇を落とす。この丸い額も、息子にそっくり。
 一度だけ会ったことを思い出した。明るくて爽やかそうで、思い出してみれば確かに顔も声もよく似ている。似ているけれど今まで一致しなかったのは、あまりに印象が異なるからだろう。
 あちらは、それこそ真夏の太陽や大輪の花。こちらはまるで日陰に咲く小さな花。

 開け放したサッシから風が吹き込み、白い薄手のカーテンを大きく膨らませる。間もなく夕暮れが来る。今日の夜は開店しないとSNSに書き込んでおこう。
 なんとなく、ゆっくり過ごしたい気分だった。


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