お友だち(偽) | ナノ

うん、きっとふたりがいい


「エレちゃん、三年目突入おめでとう。カモちゃんも成長したでしょう。いや、そうでもないか。相変わらず?」

 一年ごとに目にする契約書。書かれた給与の額面は年々増えている。他の契約条件も確認してからサイン。毎年増やしてくれなくても、と言っているのだが、雇用主は正当な報酬だと言って譲らない。

「相変わらずです。でも前に比べたらご飯も食べますし、時間にそこまで強くこだわらなくなりましたよ」
「そうかー俺の知らないところで成長してるのねえ」

 社長室にしては簡素な一室でしみじみと言う雇用主。得体が知れないとあちこちで言われている鬼島優志朗という男だ。今日も白シャツノーネクタイ、喪服かと思うような黒い上下のスーツ。ジャケットの前は開けている。髪はくるくるわしゃわしゃとパーマがかかり、前髪の隙間からこちらを見る目は鋭い。眼鏡を掛けているのにその目からの圧力は揺らぐことがなかった。そして口元だけが笑っている。不気味だ。

「面倒見るの大変? 嫌だったらいつでもやめていいんだよ。退職金も出すし」

 座り心地の良いソファにだらだら座って言う。思わず笑ってしまった。

「嫌だと思ったことは一度もないです」
「ないんだ」
「ないですね。ないどころか一生お世話されて長生きしてほしいなと思ってます。死ぬまで傍にいたいなと」
「あら、あの子大好き?」
「大好きですよ」

 ふふと笑う鬼島さん。鬼島さんもイェスタが大好きだ。優秀な人間が好きだと言う、この怪しい雇用主のお眼鏡にかなう人材なのだろう。
 だからわざわざお世話する人間、つまり俺を雇い、イェスタの身の周りの管理をさせている。そうしないとあの小さくて可愛い優秀な生き物はすぐ死んでしまう。

「どこがそんなにいいの。仕事以外だと手がかかるでしょ」
「どこでしょうね。よくわからないですけど、好きです」
「そういう好きになり方が一番強くて一番怖いのよ」

 鬼島さんが言うには「理由のない好き」や「全部好き」が一番怖いのだそうだ。怖いと言われても、それ以外に説明のしようがない。挙動不審なところも、窮屈そうな寝顔も、小鳥よりも小食なんじゃないだろうかと思うような食事量も、ぷりぷりした唇も、可愛い顔立ちも、細い身体も、とりあえず目にしていて知っているところは全部好きである。

「まあ、でもあの子もエレちゃん好きだってよ。よかったね両想い」

 さらりと言われて驚いた。

「それは本人から聞きたかったですけど」
「カモちゃん、一生言わないと思うよ。好きって気持ちがまだはっきりわかってないから。でも、顔を合わせて隙間時間があればエレちゃんの話ばっかりしてんの。だから好き? って聞くんだけど、よくわかんないって。でも嫌いじゃないし、優しくて一緒にいてくれたら安心するんだって」

 もうそれって好きじゃん、と言う鬼島さん。
 確かに、イェスタの中には『いじめる人』『いじめない人』このくくりしかないのかもしれないと思っていた。好きや嫌い、と言えるところまで他人との関係を作っていない。
 もしも彼の、人生初の好きな人……とは言われなくても、特別な人になれたら幸せだ。
 ひとりよりもふたりがいい。
 彼はなおさら、ひとりでは生きていけないだろうから俺がいるほうがいいだろう。生命維持装置とでも思って、ずっとそばに置いてくれることを祈る。


 そんな風に思って、更に三年が過ぎた。

「六年目おめでとう」

 にこにこしている雇用主の鬼島さんはこの三年、変わらない。相変わらずの胡散臭さ。一年ごとの更新ももう慣れたもので、けれど内容をしっかり読んで理解してからサインした。

「うまくやっててくれてるみたいで嬉しいなー」

 少しずつすこしずつ、イェスタに対する愛しさを行動に混ぜていった。急激な変化を怖がるあの可愛い子には、急に態度を変えてはいけないことを知っていたからこの三年で馴らしていったのだが。
 そう思えばなおさら、先日のあのことが重く感じられた。

「なにかあった?」

 鬼島さんは見逃してくれない。
 イェスタが泣いて、涙がきれいすぎて舐めてしまったなんてちょっとおかしくないだろうか。恐る恐る言葉にするとやっぱり変だった。が、鬼島さんは動じない。それどころか「普通のこと」と言いたそうな顔をしている。確かにこの人のほうがおかしいので、俺の多少のおかしさは問題にならないのだろう。

「優しくしてあげてよ」
「愛しさが先走りましたね」
「まあそれでもいいんだけどね。カモちゃんの調子が崩れなければ」

 いつもと違うと思わせる違和感は、イェスタの足を止めさせてしまう。混乱させて怖がらせたらこの六年、いや五年だろうか。この間の努力が水の泡だ。

「気を付けます」
「でもいっぱい愛してあげて」
「頑張ります」

 無事に更新を済ませ、買い物をしてから家に帰った。すっかりイェスタの家が帰る場所。
 あまり広くないアパートの一室だが、二人で過ごすにはちょうどいい。手入れも行き届く。
 買ってきたものを冷蔵庫や所定の位置に収め、自分の部屋とイェスタの部屋……居間だろうか。とりあえず二部屋の換気をする。ソファに、鬼島さんと出会った当時に貰ったという羊がくたくたと伸びていた。大きいし、柔らかい。この家に俺が引っ越してきたときにはもう綿が出そうなくらいの穴が開いていたので、許可を取って直してやった。ついでに綿を入れ替え、他にほつれたところや毛並みが乱れたところも補修した。
 それからまたずいぶん時が経ち、毎日ぎゅうぎゅうと抱きしめて枕にしたり添い寝させたりしているのでますますくたびれている。縫い付けられた黒い目の下にはしずく型の黒い涙。可愛いが悲しそうな羊はイェスタにぴったりだ。
 無くなったら悲しむどころか体調を崩しそうなので、鬼島さんにお願いしてもう一体か二体、新しいものを作ってもらえないか打診してみよう。ロットでしか作れないと言われたら、全く同じものを手作業で作るしかない。頑張ればできるだろうか。

 イェスタが帰宅してきた。相変わらず玄関で石像のように壁に寄りかかって動かないので抱き上げてシャワーを浴びさせ、スープを出す。ちみちみと飲んでいる姿は可愛い。

「無理だったらやめていいから」
「うん」

 最近、胃に入れる量が増えている。一時はひどく心配だったが、朝も晩も前より増えたし、昼ご飯に作ったおにぎりを残したり食べなかったりということもない。食欲の増加に伴って体調も少しよくなっているようで、玄関に入ってすぐ倒れるということがなくなった。
 くりくりした目が、野菜の中華スープを見つめて胃に入れていく。卵をよけていることに気付いたので、次は入れないようにしようと思った。もう六年目だというのにまだまだ知らないことだらけ。もっと知りたい。

「イェスタ」
「んー」
「明日の朝飯、どうする? 米かパンか味噌汁か」
「お味噌汁」
「何入れる? 豆腐とわかめ、たまねぎと豆腐」
「豆腐とわかめ」
「はい承知」

 好きな味噌汁は確定しているが、一応毎回選択肢を出す。そして豆腐好きなことは数年前から知っている。鬼島さんに言ったら「カモちゃんにも、好きな食べ物があるのね」と驚いていた。少しだけ優越感。

「ごちそうさまでした」
「よく飲みました」

 時間をかけて飲み干した。あまり褒めるのも先日のように無理をさせる原因になるのかと思い、控えめな程度にしている。
 キッチンへ皿を運び、洗っていたら珍しくイェスタがやってきた。羊を抱いたまま隣に立つ。俯いているので、緩い首周りから肌が見える。

「どした?」

 もじもじ黙っているので、水を止めて促す。水分かな? と思い、冷蔵庫内の緑茶を頭に浮べる。が、とん、と腕に肩と頭が触れた。寄りかかられている。

「体調悪いか? 気持ち悪い?」

 心配になって尋ねると、重そうに首を小さく横に振る。

「……ちが、う」
「そか……じゃあどうした?」
「あの、」
「うん」
「う……」

 何か言いたいようだが、緊張しているのか呼吸が乱れ始めた。よくない。許可を取り、向かい合って肩を撫でる。

「落ち着いて」
「ん……」

 吸い方短め、吐き方長め。ゆっくり整えたイェスタはいつものように右斜め下を見て、羊を抱きしめて、柔らかな唇を動かした。見た目からすれば意外と低い、小さな声が滑り出る。

「……れにー、俺の……こと、いや?」
「えっ?」

 なんで? 想像を全くしていない、突拍子もない質問過ぎて黙ってしまう。その数秒の間を誤解したようで、いやなんだ、と呟き、みるみるうちに大きな目に涙が溜まる。

「いやいやいやいや、嫌だと思ったことなんか一回もないですけど……なんで? どうした?」

 ようやく口から否定の言葉が出せた。そう思わせてしまう部分があったのか。
 いや、いつも通りだったはず。
 ぽろぽろときれいな涙を零しながら羊を絞るように抱く細い腕。頭のどこかが、もっと食わせるべきだな、と思った。

「最近、れにー、さわって、くれない」
「いーちゃん、触られるの苦手じゃん。あと、体調悪い日が続いてたからストレスにならないように、って思って控えてたんだけど」
「れにー、なら、いいもん……いつでも、さわって」
「わかった。じゃあたくさん触ろう。次は?」

 さっそく、そっと頬を撫でる。びくっと身体を震わせたが、嫌そうな様子はなかった。急に触られたらその手を叩いて逃げ出すので、大人しく受け入れる姿を見たのは初めてかもしれない。
 手のひらで涙を拭ってやる。イェスタの唇が震えた。

「……ほめて、くれない」
「おん?」
「ご飯……いっぱいたべ、てる……ほめてくれない……いいこいいこ、って、してくれな……ご飯のとき、話して、くれない……なんか……むず、かし、い……ふんいき? で……」

 言っているうちに悲しくなってきたのか、またぶわりと涙が溢れた。ひっ、ひ、と声を出すほど本格的に泣いている。俺と言えば、あららら、としか言えない。
 真剣に悩んでいるところ申し訳ないが、可愛い! という思いと、いじらしい! という思いと、少し嬉しい! という思いと……笑っていると気配を感じたのか、やっぱりいやなんだぁ、と子どものようにぎゃんぎゃん泣き出した。こんな泣き方も初めてだ。本格的な泣きっぷりに慌ててしまい、よしよし! よーしよし! と撫で回して抱きしめる。泣いても羊を離さないのはさすがと言うべきか。
 胸に顔を埋めて、いやになるのがいやだ、と途切れ途切れに訴えてくる。可愛い。可愛いけれど落ち着いてもらわねば。背中や短い黒髪を撫でる。

「いーちゃん、いーちゃん、全然嫌いじゃないし少しも嫌じゃないから落ち着いて」

 静かな声でゆっくり言い聞かせる。嫌いではない、嫌でもない、と何回も。少しずつ泣き声が鎮まり、ようやく泣き止んだ。ソファに移動し、座らせて離れようとするとがっちりスウェットのズボンを掴む。反射的に腹の辺りを掴んで脱げないようにしたからよかったが。

「いーちゃん……脱げるから……」
「どこ、いくの」
「お茶取りに行くだけ」

 怪しがりながら手を離す。
 お茶をプラスチックのカップに注いで戻り、イェスタの手に持たせた。

「飲んで」
「ん……」

 羊を隣に置き、少しずつ飲む。丸っこい透明な青のカップは俺が来る前からこの家にあった。

「いーちゃん、俺、いーちゃん好きだよ。一生一緒にいて、お世話させてほしいくらい。ご飯食べてる時に何も言わなくなったのは、それもあんまり言ったらストレスになるかな? って思ったから。ひとりで思わないで相談したら良かったのか。ごめん、不安にさせて」

 耳の辺りをもふもふ手のひらで撫でる。びくっとしてから目を閉じた。

「いーちゃんは俺に嫌だなって思われるの、いや?」
「いや……」
「俺も、嫌だって思われたらいやだな……いやってか、悲しい」

 悲しい、という言葉を聞き、頷く。そろそろと左手を伸ばしてきて、そっと俺の右手に添えた。

「俺も、かなしい」
「うん」
「だから、いやにならないで」
「いーちゃんもね」
「うん」

 だいたい話が終わった。と同時に眠さが襲ってきたようだ。目をしぱしぱさせる。

「寝ようか」
「寝る……れにーと、ねる」
「うん」

 トイレに行き、歯磨きをして、羊を迎えに行った後に俺のベッドに入る。

「お父さんとお母さんがいるみたい……」
「ん?」

 俺の左肩にくっついて、イェスタが言った。

「あんしん? なんだろう、わかんない」
「安心して貰えてるなら嬉しいよ」

 ようやく『内側』に入れて貰えたのだろうか。
 すやすや眠る顔を見つめ、少しほっとした。必要だと思えるくらいの存在になることができてよかった。少しは支えになれていると思えば、またがんばれる。
 イェスタが好きだと思ってくれたら良いのだが、やはりそれは求めすぎだ。要る、と思ってくれればそれでいい。

「おやすみ」

 ちゅ、と髪に口付けた。
 いさせてもらえる限りは、ふたりでいよう。
 そう言えば、険しくない顔で眠っているのも初めて見たかもしれない。安らかな、可愛い寝顔だ。



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