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冷えた指を舐めて、


 れにーは不思議な人だ。
 『いじめない人』にも『いじめる人』にも入らない。強いて言うなら『いじめないし優しくお世話して心配してくれる人』だ。いじめない人はときどき、すごく少ないがいても、優しくお世話して心配してくれる人なんていなかった。何でも気づいて、何でも教えてくれるから安心できる。居やすい。

 優しいれにーが、最近とても心配していることがわかる。俺の食生活についてだ。朝も晩も少なく、多分昼もそんなに食べていないことも知っているのだろう。なるべく食べたいと思ってはいるが、胃にものを入れると気持ち悪くなってしまう。
 少し前の会食が悪すぎた。
 いつもご飯を食べる時にはれにーがいて、優しく見守っていてくれたから食べられた。その日の会食の相手は、食べ方についての蘊蓄が酷く、食べてから「良くない例だ」といちいちあげつらって笑う。俺以外にもやっていて、心底面倒くさかった。本来ならばその店の料理は豊かな味で、きっと逆立ちしながら食べても美味しかったはずだ。
 その時のストレスが強すぎて、飲食が少し遠いものになってしまったようだ。
 れにーが工夫してくれている栄養満点スープをけろけろ全部吐いてしまったことが、ますます心に重くのしかかる。たくさん食べようと思っても、胃がキリキリする。テーラーメイドのシャツが緩くなったので大分痩せたことを自覚した。れにーも、あまり出さないが心配している。

 朝はちょっとホットミルクを飲み、昼はれにーが作ってくれたどんぐりみたいな小さいおにぎりをひとつ、夜はスープを五口くらい。これが今の限界だ。
 食べるとれにーが嬉しそうにする。だから、全然食べないということはない。優しい声で褒めてくれるので、それに安心しながらちょっとだけ食べたら気持ち悪くなることもない。

「お、イェスタえらーい。今日もおにぎり食べてきた」
 
 足の方にあるキッチンから、れにーの声が聞こえた。今日は味醂と味噌がちょんと塗られた焼きおにぎりだった。小さな小さな焼きおにぎり。あのおっきな手でどうやってあんなおにぎりを作っているんだろう。考えながら羊を抱き、ぐったり横になる。
 れにーは、何を話しても笑ったりしない。
 れにーは、ばかみたいだなんて言わない。
 れにーは、叩いたりしない。
 れにーは、普通じゃないなんて悪意をぶつけない。
 わかっているのに、嘲笑う人の顔や言葉が、俺の喉に膜を作る。どんどん厚くなって息苦しくなって、悔しいのに負けてしまう。一度吹き出した悪い記憶は濁流になって『俺』を押し流す。
 俺はもう、普通だ。
 社会にいる。人の中で笑い、話している。もう誰も俺を「Дух」なんて言わない。存在を無視したりしない。誰が見たって、どんな目で、見られて、も

「……イェスタ?」

 気付いたら、羊を抱えたまま呼吸が出来なくなっていた。息が吐けないのか吸えないのかもわからず、視界が白く赤く明滅する。駆け寄ってきたれにーに腕を伸ばす。
 指先が絡み、そのままれにーに抱き込まれた。羊が添えられる。

「いーちゃん、れにーと一緒に息しような。まず落ち着こう。いーちゃんは今、れにーと一緒だ。安全な部屋で、れにーだけと一緒」

 ひっ、ひっ、と息が引き攣る。
 れにーと、だけ、と、一緒に、いる。

「大丈夫、治るから。だんだん息できるようになる。れにーが腹を撫でてもいいか」

 ぴくりと頷く。手のひらが、腹を撫でた。

「いっぱい胸で息してると苦しいな。だから、ちょっと吸ったらお腹の中の全部出そう。できるから大丈夫だ。れにーも一緒にやるし」

 吸って、吐いて、もうちょい吐ける?
 そうそう、じょーず。
 ちょっと吸って、吐いて、お腹の中の空気も出そうか。できるかなー? ふーって。

 柔らかな声に従い、息をなんとかコントロールする。
 どれほど時間が過ぎただろうか。ふ、ふ、とようやく収まってきて、息ができていると思うようになった。ふわふわとれにーの筋肉を感じる。

「冷たい」

 冬みたいな冷え方だな、と少し悲しそうな声で言い、手に包んだまま口元に持っていって温かい息をかけてくれた。そのぬくもりを感じていたら、なぜか涙が出てしまった。

「う、なん、イェスタ、どした?」

 れにーは俺の泣き顔が苦手だと言う。今もやはり焦って、ぎゅうと手を握りしめている。すりすり、親指で皮膚を撫でてくれた。流れる涙は俺が自分の手で拭く。
 れにーの顔をきちんと見たことがない。口元くらいまでだ。大きめで色艶の良い唇、きれいな歯並びをしていたことは覚えている。
 ぽろぽろ落ちる涙を拭くと、人差し指にしずくがついた。きらきらきれいな水の粒。見つめていたられにーがひょいと視界に入り、何をするかと思えば。
 赤い舌先が、舐めた。
 綺麗な横顔だった。凹凸がはっきりしていて鼻がつんとかっこいい。白い。肌に汚れがない。

「は……」
「あ」

 ごめん思わず、と、すぐに視界から消えた。

「ごめん、嫌だったな」

 ごめんごめん、と繰り返す。
 全く触れられていない状態から急にされたわけじゃない、だから嫌な気持ちはしなかったが、初めて見た顔や、急な行動に、俺の気持ちがどうしたらいいか分からないようだ。心臓がはくはくしている。息が上がりそうになる。

「……飯、食えそう?」
「すこし……」

 いつも何かを話すれにーが珍しく静かだった。環境が違うので食べにくい。いつもより更に止まりがちなスプーン。れにーは隣に座ったままじっとしている。動きもしない。いつも先に食べていて一緒に食事をする機会など全然ない。
 でも今日は、できたら一緒に食べてほしいと思った。ちょっと慣れたのだろうか、家で誰かとご飯を食べたいと思う日が来るとは思っていなかった。
 スープを休み休み、小さなお皿一杯分を飲んだ。

「おいしかった、よ」
「よかった」

 キッチンで洗う音。お腹に優しいものを入れたので眠くなってきてしまう。羊を抱いて座ったままうとうとしていたら「あ」と声がした。

「こらイェスタ、そこで寝るな」

 抱っこするぞ、と声がして、頷いたかどうか記憶にないが抱き上げられ、洗面台の前に連れていかれて歯磨きをしている間ずっと視線を感じていた。見つめられている。うとうとして口の奥に歯ブラシを入れてしまうのではないかと心配されているのだろう。以前一回あったので、それ以来警戒されているようだ。
 なんとか歯磨きを終え、ふらふらとベッドまで行く。横になると布団が掛けられ、おやすみ、と優しい声。おやすみと返したかったけれど、眠さで口が少しも動かなかった。そっと添えられた羊を抱く。
 れにーは優しい。
 どうしてこんなに優しくするのだろう。俺なんかに。


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