お友だち(偽) | ナノ

40


 六日目、朝九時。
 『ムジナ』のマスターが眠そうにナツのアパートへやってきた。仕事上がりのようだ。

「おはようマスター。なんか飲む?」

 ドアを開けたナツの頭をぐしゃぐしゃ撫で、勝手知ったるという様子で靴を脱いで上がる。

「氷入れた水くれ」

 居間の座布団に座り、談が出してくれた水を半分程飲んだ。
 マスターが語ったことは大体次のようなことだ。

「広まってる薬の出処は右弁天、中心は苦情通り。話を辿っていくとそうわかる。売人はみんな外国人で、違法滞在。それから薬漬けになった人間。みんな共通する行先がある。違法滞在だから普通の医者にかかれないだろ。右弁天には蓮さんが開いた診療所があって、そこにいる医者は料金後払いで大体診てやる。そういうことは外にばれるとやばい。診療データ上は払ったことになってるから、医者と患者の証言が必要だ。でもどっちも嘘をつく。片や違法滞在、片や薬漬け。こうやって見るとただ患者思いの医者みたいだが」

 言葉を切り、もう半分の水を飲む。

「不思議なことに、診療所に行った奴らはけろっとして戻ってくる。気分が悪かったのはちょっとした胃腸の不調だってな。見た目は確かに変わりない。元気そうだ。でも、少しずつ様子がおかしくなってくる。しかもあの辺で働いてる奴らがここ一年くらい、不自然なのを診療所周辺で見かけてる」

 名前を言われれば、ニュースにあまり興味のないナツでも知っているような大物政治家、有名人。わざわざ地味な格好をしてまでやってくるとなればなにかありますと言っているようなものだ。

「あー、そうかなるほど」

 談が呟いた。ふんふんと頷いている。

「何がなるほど、なんですか」

 ナツが尋ねる。まだ頭の中でマスターの話がばらばらと浮かんでいるだけに過ぎない。しかし談の中では既に結びついているようで、マスターを見る。

「鬼島社長はたまたまなんですね」
「そうだと思うぜ。話が正確ならな」
「でもこの町で、社長を庇う人はいない」
「そうだな。あんまり……好かれてないから」

 ナツをちらりと見る。

「蓮さんの宝物っつーか天使をさらった不気味野郎は好かれないだろ?」
「そうでしょうね」

 この町で聞く「蓮さん」という呼称はまるで神様の名前のようだ。誰からも親しまれ好かれていたことが、時間を経た今もわかる。いまだに惜しまれている、名前が廃れないというのはそれだけ人々に尽くしていたのだろう。

「あっち側でもこっち側でも評判になってないのは、誰だって自分が薬漬けですなんて言わないからだ。特にここでは」

 違法薬物は重罪だというのもあるが、この町全体を覆っている『東道会』の存在もある。会は違法薬物の売買を固く禁じているので、息がかかった店も同様にその規則を守る必要がある。店のオーナーがやっていなくても従業員がやっていたら同罪、厳しい制裁が待っているのでなおさら隠す。
 談がすべてすっきりしたという顔をしている隣で、ナツの眉がぎゅっと寄っている。

「わかりません」

 不満そうに言い、説明をしてくれるようせがんだ。しかし談はその髪を掌で撫でて「有澤さんを待ちましょう」と言った。

「答え合わせをしないと。きっと熊さんはもう何もかも知ってます。鬼さんもね」

 熊さん、鬼さん。急にメルヘンだ。
 頭の上に?を浮かべたまま、ナツは頷いた。もうすぐ謎が解けるだろうことは、理解できる。


**


 街中を歩く、姿勢のいい青年。軽い足取りでとことことアイボリーのハイカットスニーカーを履いた足が動く。Tシャツの胸元で時折、ネックレスが弾む。耳には大きなワイヤレスヘッドホンをかけているが、流れているのは音楽ではなくいい声での詩の暗唱だ。フランス語、ドイツ語、ロシア語、ギリシャ語、ラテン語。様々な言語が順番に流れてくる。人の声が規律正しく流れてくるのは心地いい。逆に町の中の雑踏は情報量が多すぎて頭が痛くなる。
 信号で立ち止まる。
 朝から晩まで晩から朝まで仕事してようやく帰宅。しかしイェスタはまだまだ元気いっぱいで、家の中に入ってソファを見たら急に電源が切れる。そういう仕様になった。子どもの頃からやるべきことが終わらないといつまでも頭の中が目まぐるしい。なのでいつも、うまく終わるように流れを想像する。
 耳元に流れる詩を聞きながら、信号を見上げた。人と違って目が合うことがない。悪意が流れてくることもない。

「quo vadis domine? homo homini lupus.」

 順番に短文が流れる。
 イェスタの頭の中によみがえる様々な悪意。かすかな頭痛を目の奥に感じた。

「superanda omnis fortuna ferendo est.」

 だから知恵をつける。それだけしかできないから。押し流せない記憶には、知識を積むことで耐える。
 柔らかな風が吹き、イェスタの身体を撫でた。右上に視線を移す。空はまだ昼間の明るさで、雨雲が流れてくる様子もない。風が吹くのは珍しい。信号に戻す。長い信号はまだ変わらない。
 後ろに立って待つ人々。
 やがてひとりが、少しずつ前に出てくる。イェスタの黒いTシャツの背中だけを見つめて。真後ろに立たれても気づかない。やがてその人物がさりげなく片手をその痩せた背中に突き出した。

「noli me tangere.」

 ――が、しかし。

「失礼」

 触れる直前で手首をしっかり掴む大きな手。男の手首にも関わらず、軽々と指が回っている。恐るべき力強さで腕を無理やり下げさせた。下げさせたが掴んだまま、見下ろして微笑む。明るい赤銅色の髪が陽射しに輝き、顔のくっきりした男前だ。優しい顔だちだが目元は一切笑わない。むしろ怒りを湛えているよう。

「うちのお坊ちゃんは許可なしで触られるのが大嫌いなので、軽々しく触らないでください。それからきったない手もご勘弁を。服洗うのは俺だから」

 力を緩められ、走って逃げ出す。追いかけることはせずに背中を見て、携帯電話を取り出した。メッセージを送って前の背中を見下ろす。バイブレーションに気付いたイェスタが画面を見て振り向いた。首のあたりを見ている。

「れにー?」
「たまたま買い物に出て見掛けたから追いかけてきた。一緒に帰ろう」
「うん」

 はにかんだ笑顔が可愛い。「触るぞ」と声を掛け、頷いたのを見てから白い頬を掌で撫でた。

「誰か、いた? れにーじゃなくて『いじめる人』」

 もしかして、と尋ねてくる。いや? と言えば、そっか、と呟いた。

「仕事、全部片付いたか」
「終わった。今日、もう俺にできることはないから帰ってきた。あとは明日」


**


 走って逃げる。そろそろ薬が切れそうだ。常用していると効果の減りを身体で感じてしまう。クリアだった頭の中がごちゃごちゃとした雑音に溢れ、考えがまとまらない。普段から使っている駅の場所がわからない。迷い込んだ先はビルの合間、薄暗い場所。人気が無い。
 足元がふらふらし始めた。視界が霞む。
 倒れこんだ視界に、アスファルトと靴。

「正気になってくれれば、重要な証人になるんだがな」

 黒いスラックス、黒いシャツがぼけた視界に映る。座り込んで顔を覗き込んできたのは二重三重になっても男前な顔だった。

「手間かけさせられて困ってんだ。落ち着いて満和さんのお世話もできねえ」


**


 有澤がナツのアパートへやってきたのは正午ちょうど。
 談とナツがオムライスを食べていた時だった。歯ごたえを残したままの玉ねぎがおいしいです、とナツが五合分の大きなそれをもう9割ほど食べ終えた頃だった。

「答え合わせ、しましょう」

 談が笑う。
 自分で開けたドアを閉め、有澤が眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をした。

「お前、それ以上似たら鬼島先輩になっちまうぞ」
「じゃあもっとナツさんに好きになってもらえますね」

 ナツと目が合ったので頬にキスをする。真っ赤になるのが可愛らしかった。
 さて昼食の片付けを終え、居間の丸いちゃぶ台に談が戻ってきた。

「有澤さんは今回のこと、もう大体知っているんでしょう」

 厚い肩をすくめる。

「まさか話聞いただけで全部見えるとはな。鬼島先輩の読み違いだ」
「あの人が読み違いをするんですか」
「……しない」
「これも計算のうちですよ」

 ナツがアイスを持って戻ってきた。いります? と尋ねられた二人。有澤は貰い、談は遠慮。

「意外と落ち着いていますね、ナツさん」
「談さんが、大丈夫、と言うので大丈夫そうだと思いました。マスターも大丈夫って言うので」

 もすもす、いちごのアイスを食べる。昨日までは割と不安だったんですけど、とバケツのようなアイスを抱えて言う。食欲があるなら何よりである。

「談が先に話せ」
「わかりました」

 今回の件はこうでしょう?
 聞きやすい声が語り始めた内容を聞き終え、ナツが納得したように頷いて、有澤は嫌そうな顔。

「ここだけの話にして、鬼島先輩を別荘に送らないか?」

 その発言は、さすがにナツにぷんすかと怒られた。



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