お友だち(偽) | ナノ

39


 

鴨谷 イェスタ(かもたに いぇすた)





 明確に認めることもなく、否定することもなく。
 のらりくらりとした鬼島の勾留も五日目となった。残り五日、勾留延長もないことはないが、鬼島のところについている弁護士は非常に腕がある。逃走の危険性はなく証拠隠滅にしても証拠がないうちは無罪でしょう、と言って釈放を求めてくるのは明らかだ。
 そもそも今、おとなしくしているのが不思議なくらいに静か。
 何かあっても初めのうちは動くな、と言われているのかもしれない。
 直来はひとり、署の裏手で溜息をついた。
 別に鬼島が関わっているとは思っていないけれど、言ってくれないことにはなんともしようがない。ひたすら違う話をしたり、珍しくこちらの言うことを聞いたと思ったら「知らない」「わからない」だけしか言わない。
 もう一度溜息。
 肺に入れていた紫煙が抜けて行く。

「直来さん」

 建物の陰から、加賀が顔を出した。あの日以来顔を出していなかったが、今日も変わらず爽やかな笑顔である。おはようございますと言いつつ近付いてきて、隣に立つ。

「いいですね。建物の陰で涼しい」
「署内禁煙になって以来ここで吸ってんだ。静かに考え事ができてむしろ好都合でな」

 いつもここにいるわけではないが、大抵どこの警察署も、裏手に人通りはない。だからどこへ行っても大体、建物の日陰にいる。小さな正方形の携帯灰皿でたばこを消し、その中に放り込んで蓋を閉める。振りながら加賀を見やった。

「何か用か」
「ええ。ちょっとだけわかったので」

 この国での捜査能力はこちらのほうが上だと思っていたが、と直来の眉間に皺が寄る。まあ、国際的な調査組織がどの程度まで手を広げているのかは知らないけれど。
 直来の顔を見て、加賀が宥めるような笑顔を浮かべた。

「たまたま網に引っかかっただけです。きちんとシェアしに来ただけ、褒めてくれませんか」
「俺の褒めは厳しいぞ」
「厳しいのはちょっと」

 苦笑い。それで? と先を促すと、加賀は話し始めた。
 どこを中心に薬物汚染が広がっているのか、売人の質、情報の流れ方。口から口へ、SNSで隠語を使って。

「新しいものが好きな層はいますからね。疲労を感じない、幸福感が得られるとなれば何も考えないで飛びつく。怖いことです。人間やめたいんですね」
「……なるほどな」
「繋がり始めるでしょう?」
「ああ」

 もともと持っていた疑問と情報とが少しずつ一致していく。
 加賀はそれを知っていたのか。顔を見ると、読めない笑顔で首を傾げる。

「何かの役に立てば、と思って持ってきただけです。他意はありません」
「ないってか」
「ありませんよ」

 本当に、と言って笑う。

「お互い鬼島さんに迷惑を掛けられている仲間ですから」
「あいつは昔から癖が強い」
「ぜひ昔の話というのを聞かせてもらいたいですね」
「弱点にはなりえねぇぞ。もしなるんだったらとうの昔に俺があいつを黙らせてる」
「使い方を変えたらなんとかなるかもしれません」
「お前ならそうだろうな」

 さてそろそろ鬼島に話を聞くか。
 動き出した直来の背中に、加賀が声をかける。

「言い忘れていましたけど、先にお借りしてます。鬼島さん」

 お借りしてるとは。足を止めて振り返ると、加賀が謝る。すみません。

「うちの『上司』は我儘でして」

 加賀の上司というのは、元の所属なのか今の所属なのかまだ知らないなにかがあるのか。重複所属だと想像がつかなくて困ってしまう。直来の獰猛な顔に、薄い笑みが浮かぶ。

「あいつを喋らせてくれるなら誰でも構わねぇよ」





 手錠、更に手首に縄をつけられた鬼島は両肘をデスクにのせて掌に顎。頬杖をつき、目の前の男を見つめている。聴取室の空気にかすかに紛れる香水の香りは、よく知った苦手な男と同じもの。鬼島の嫌そうな顔がさらに歪む。

「あんたみたいな色気たっぷりの男前は、つける香水が法律で決まってんの?」

 タブレットを眺めていた男が顔を上げる。整った顔に甘く穏やかな笑みを浮かべているが、目には好戦的な光が宿っている。ただの優しいおじ様ではない。

「僕の他にも使っている人はたくさんいるだろうね。有名な香水だから」
「はっ。香水に高級車一台分のお金出せる人がそうそういるわけないでしょ。俺が知ってるのは一人だけ、すっっっっごいいやらしい男。あんたはいやらしいほう?」
「どうだろう。確かめてみるかい?」

 柔らかな低音はずっと聞いていたら眠ってしまいそうだ。鬼島はへっと笑って背もたれにだらんと背を預ける。

「結構でーす。年上の男は食わされすぎてもうお腹いっぱい」

 そう、と男は言う。

「そろそろ身分証見せてよ。立場、明らかにしてからじゃないと聴取できない決まりでしょ」
「僕が誰かは知っているだろう? それに、これは正式な聴取ではない」
「教えてくれないと気になっちゃって気になっちゃって大事なこと忘れちゃいそう」

 はは、と明るく笑う。きれいな歯並びだが、人の肉でも躊躇いなく喰いちぎりそうに見えた。この暑いのにきちんと着ているジャケットの内ポケットから手帳を出し、開いてデスクの上へ。

「これでいいかな?」
「ふーん、手帳の写真は更新があるんだ」
「適宜」
「そう。男前はこういう写真でも男前なんだね」
「ありがとう」

 流れるような動作で元の場所へしまい、さて、と話を区切った。

「聞きたいことが少しあるんだけれど、質問して構わないだろうか」
「答えるかどうかは別だけど、どうぞ」

 ほう、と面白そうに笑う。

「とりあえず聞いてみよう。君はなぜ、何も話さない?」

 鬼島が、うーん、と首を左右に傾げる。

「話すことがないから」
「では次、君は今回の件がどこから発生しているか、既に知っているね?」
「さーあ、どうでしょう」

 鬼島のこの態度は直来を非常に煽り立てるが、どうやらこの男はそう思わないようだ。じっと見つめて、やがてふっと目を逸らして視線をタブレットに落とす。

「捜査組織が寄ってたかって調べてるんだから、そろそろ出てきてるでしょ? いろいろ。俺が話すことないし、ぼちぼち飽きてきたから脱出したいんだけど」

 ちょうど鬼島が話している最中に直来が入ってきた。話を聞いていたようで、目を細めて不機嫌そうな顔をしている。

「弁護士先生呼ぶか」
「そうねー」

 直来がとても嫌そうな顔をする。あの弁護士が苦手なのは、鬼島も知っていた。

「俺の権利でしょ。呼んでちょうだい」
「仕方ねぇか……」
「残りの日数はおとなしくしててあげるけど、延長に応じるつもりはないからねー」

 椅子に座っていた男が、タブレットを持ったまま立ち上がった。直来も男もでかいな、と鬼島は思う。

「お帰りですか」

 尋ねられ、男が微笑む。

「用は済んだから。またね友希人」

 さらりと直来の顎髭を指先で撫でて出て行く。何しに来たのかしらと鬼島が呟いた。

「加賀が来てたぞ」
「えー! なんで寄ってくれないの陵司くぅーん! つめたーい!」

 鬼島の大声が廊下にまで響く。

「熱烈だね」

 ふふと笑う隣で、加賀は無表情に『上司』を見上げた。

「何か拾えましたか、十里木さん」
「うん。でもあれはわざとだね。加賀くんが言った通りだった」

 十里木直は左手の親指と人差し指を頬に当てて『部下』を見る。

「鬼島優志朗は面白いね。表情や言葉の中から手掛かりを拾われるとわかっているようだ」
「警察が嫌いみたいなので、周りに知られたくないんでしょうね」

 表情、態度、言葉の調子……ありとあらゆるものから情報を得ることができる自分たちにだけ明確に伝わるように。この国の現場捜査官の間にはまだまだ広まっていないと言われる行動証言、被疑者の外的要因を判断証拠にするやり方ができるのだと、鬼島は正確に理解しているらしい。どのように判断されるのか、手の内まで知られている。悪用されないよう一切外部に漏らされない方法であるのに、だ。

「全く不気味ですよ」

 加賀が珍しく嫌悪を込めて言った。十里木はまたおかしそうに微笑む。

「さて、先日加賀くんが取ってきた鬼島の情報、調査で拾った情報と合わせようか」
「わかりました。一緒に帰ります?」
「乗せていってくれる?」
「喜んで」

 狭い警察署の中を歩いていく十里木と加賀。

「そう言えば身分証、どれ出したんですか」
「たまたま持っていたやつ」
「俺もです」





「優志朗さん、面倒くさいことやめてくれないかな?」

 午後、接見に来たのは服装が非常にラフな男だ。Tシャツにデニム姿、さっぱりツーブロックの黒髪でスクエア型の太い黒縁眼鏡を掛けている。色白小顔の可愛らしい顔に浮かんでいるのは嫌そうな表情だ。

「ゴメンネ」

 聞いただけでそう思っていないことがすぐわかる、心のこもらない謝罪。面倒なことは嫌いなんですよ、と言いながらネックレスのトップを指で弄る。黒革のタグにゴールド混じりのシルバーの細工がついたお洒落なそれ。象っているのはひまわりと天秤。鬼島の目が留まる。

「カモちゃん、それ、きったないわよ」
「しょっちゅう弄る癖があるから、メッキ取れちゃった」

 カモちゃん、こと鴨谷イェスタがぱっと手を離せば、音もなく胸元に落ちる。言われてみれば確かにいつも弄っていた。つんと上向きの上唇を口の中でしまうように噛み、それからまた不満を漏らす。

「勾留期間中は大人しくしとく、て言ってたのに、なんで俺呼ぶの」

 イェスタはずっと右斜め下を見ている。出会ってから一度も目が合ったことがない。昔から人と目を合わせるのが苦手だった。それでも鬼島は、一緒に仕事をする中で徐々に前髪が短くなって、人前に出ることを怖がらなくなってきていることを知っている。気弱だが、慣れてきたら言うことははっきり言うし、職務遂行中は怯まない。だからずっと組んでいるのだ。

「カモちゃんに伝えてほしいことがあるからだよ。あと聞きたいんだけど」
「秘書の篠原さんは問題なく仕事を済ませた。むしろ優志朗さんがいるときよりやりやすいから一生帰ってこなくていいって。譲一朗さんは優志朗さんがいないから空気がおいしいって言ってた。北山さんは帰ってきたら言いたいことがあるって笑ってた。談くんとナツくんさんは一緒に弁天町で情報収集中。佐々木さんは優志朗さんのことを陥れた奴を探して殺すって。他のお兄さん方も問題なし」
「あらー色んな動き把握してるのね。さっすが。いい子いい子」
「何を誰に伝えたらいいの」

 一刻も早く出て行きたいようで、入ってきたときからそわそわしている。警察が苦手なのも昔から、だ。

「佐々木に伝えてほしいんだけど」
「談くんやナツくんさんではなく」
「あの二人はいいのよ。やりたいようにやらせておいてあげて。他の人にも餌ばらまいたから、可愛いナツくんも可愛い談ちゃんも巻き込まれないうちになんとかなると思うよ」
「わかった」

 鬼島の言うことを聞き、話し終えて数秒黙っていた。頭の中で反芻している。
 それから確認のために言ったことを繰り返す。イェスタの声であるだけで、鬼島が言ったリズム、間、話し方、速さをそのままコピーしていた。

「よろしくね」
「うん」
「もう帰ってよろしい」
「服とかいろいろ持ってきておいたから、あとで貰えると思うよ」

 がたがたと早足で出て行く。
 イェスタの落ち着きがない気弱な様子だけ見たら、とても頼りない青年だと思うだろう。しかし鬼島や周辺の人間が絡めば変わる。鬼島は役立たずに大金を払う質ではない。
 ぎしりと背もたれが音をたてた。
 あれはよく働いてくれる。





 その日の晩、バー『グイダオ』に熊がやってきた。客がいる薄暗い店内、見目麗しい雇われバーテンダーが裏に案内する。
 内装は見たことがあった。以前住んでいたマンションの配置と同じ場所に家具が置かれている。壁はオフホワイト、床板は艶のない焦げ茶色。部屋の中心には赤いソファがあり、だらりと横になった彫像を見た瞬間、熊が唸り出しそうな顔になった。

「譲一朗、顔がうるさい」

 横になったまま見やる。有澤の頭の中には様々な思いがないまぜになっていた。

「てめぇ」
「うるさい」

 奥歯を噛みしめる音が聞こえそうだ。しばらく睨み合い、いや佐々木はいつもの目だったけれど有澤は食らいつきそうな顔をしていた。が、しばらくして不機嫌そうに一人掛けの椅子に座り、深い息を吐く。同時に怒りを吐き出したようだ。

「優志朗先輩からメッセージ」

 だらだらしたまま口にする。それを聞き、はっ、と鼻で笑った。こちらが一日かけてようやく吐き出させ、掴んだ事実も、鬼島にとっては脳内で組み立てられる程度のことのようだ。なんだか空しくなる。本当に放っておいてもあの人は自分で脱出してくるのではないか。

「ここにいなくても正確に絵図が見えるんだな」
「だから好き。俺の神様」

 佐々木が身体を起こす。その目が帯びているのは剣呑な光。

「一日だけ待つ。神様のお告げだから」
「お前やべぇな」
「死んだけど神様の手で復活したから、余計に信仰心が強化されたのかもしれないねえ」

 淡々とした様子は以前と変わらない。しかし、鬼島への狂信性は強くなっているような気がする。怖いこわい、と有澤が呟くと、ぽいと酒瓶が放られた。

「再会したからには飲もうよ。親友でしょ」
「シンユウってのは、出会いが闇討ち暴行から始まって信頼関係もクソもねぇ間柄を言うのか」

 立ち上がり、白い手に持っている瓶に瓶をぶつけた。ガラス同士がぶつかり、かちんと高い音を響かせる。

「お前が死んでれば、俺の人生がいくらか平和になったんだがな」
「楽しいでしょ」
「全く。世話する相手が増えて忙しい」



[*prev] [next#]
 


お友だち(偽)TOPへ戻る

-----
よかったボタン
誤字報告所



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -