お友だち(偽) | ナノ

37


 しょぼしょぼ、明らかに元気がない中で家の片付けをしていくナツ。
 荒れた台所を悲しそうに掃除している後ろ姿を見て、家を荒らすなら片付けまでやってほしいものだ、と思った。
 この夏のさなか、ほぼ二日開け放したままだった冷蔵庫の中身はほとんどだめになってしまった。鬼島が一緒に食べようねと買ってきたお肉も、いつでも常備されている牛乳も、ナツお気に入りの香り高いバターも、あの日の昼ご飯になるはずだった厚い鱒の切り身も。
 まるで生活が踏みにじられたようで、辛い。
 同時に腹が立つ。

 おれがやります……、と台所掃除を申し出たナツが心配だったが、手はきちきちと進めていく。
 しばらく出入口から見ていたけれど、一応大丈夫そうだと思って離れた。

 鬼島が勾留されて三日目、昨日の昼前から片付けを始めて、若衆の手も借りたのでだいぶ進んでいる。二階を一度見に行ったけれど、そこはほとんど無事だった。鬼島がやだやだ見ちゃやだとごねる姿が浮かぶ。おそらくそれでも容赦なく捜査員が上がっただろう。しかし二階はほとんど物がない。探し甲斐がないというものだ。畳の裏まで見てあったようだが。

 ようやく、鬼島の書斎を片付けるつもりになった。
 厚い木の板のドアを開ける。数少ない洋室のうち一室が書斎になっている。さほど広くない部屋だが、こちらは見てわかる通りの自室なので一層「丁寧に」探されたらしい。もとから雑然とはしていたけれど、荒らされぶりが尋常じゃない。
 写真が数枚、入ってすぐの床に落ちていた。
 写真立てに長年入っていたものだ。談も数回、見たことがある。以前は居間の隅に置かれれていた白いフレームの写真立て。中身だけ出されてしまったのだろうか。
 そこに写るのは、今の談より年若い鬼島とむくむくとした蓮、幼少期のナツ。風景は違うが、どれもその三人だ。
 鬼島はいつも写真の中のナツを見せびらかしては「可愛いねぇ可愛いでしょ可愛いって言え」と言っていた。再会してからは以前より静かになったが、今でも何かあれば最新のナツの写真を見せてきて、感想を強要する。主に「可愛い」以外は許されない。
 たった二日程度、顔を見ていないだけ。家宅捜索の朝に会っているから、およそ二日だ。
 連休や何かの時に三日ほど会わないことだってある。なのに、今はなぜこんなに心許ないのだろう。捕まっているからか。

 いや、オレまで落ち込んでどうする。鬼島社長はいつだって怪しい。疑われるのは今回初めてではないし、いつだって何かあれば被疑者筆頭。今は掃除が優先事項。

 よし、と呟いてとりあえず本棚から始めた。
 書庫が別にあるのでこの部屋には最低限の書籍だけがある。最近お気に入りの本とか、ナツが読んで面白いと言っていた本とか。調べて特に怪しくないと思われたらしいものが数冊だけ残っていた。それらを戻し、写真が折れないように引き出しに入れ。てきぱきと整頓していくと案外あっという間だった。持ち出されているものもあるので当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
 ナツくん可愛い、だけがひたすら手書きで記されたノート、ナツくんの可愛いところベスト2000と題され2000以上ナツのことが書かれたノート、ナツの行動記録が分単位で書き込まれた手帳などの「隠しナツ記録」は押収されているようだ。見られればそれこそ変な奴、偏執的と思われるかもしれない。ナツに関係したことでおかしさが一層煌めくのは通常運転なのだが、お堅い警察官様たちに理解してもらえるだろうか。

「談さん、終わりました……?」

 ひょこっと顔を出したナツ。台所をきれいにして少しは気が晴れたのか、先程よりも覇気が見えた。終わりましたよと返しながら抱き締める。不安になるとナツは触れたがるので、遠慮しないように自分からスキンシップを増やすのがいい。ナツと一緒に暮らして、談が学んだことのひとつ。
 尻にかかるシャツの裾を控えめに掴まれ、こっちですよ、と言いながら腕を回させる。

「お腹空いたでしょう。って言っても何もないのでーどうしましょうかね。買いに行きましょうか」
「はい」

 手を繋いで玄関まで行き、ナツに靴を履くよう促す。ちょっとトイレ行ってきますねと言って離れ、台所に入った。どうやら歴戦の捜査員でもここまでは気付かなかったようだ。鬼島のほうがやや上手ということか。普段、ナツがそこに座って鬼島や談が料理をしている後ろ姿を見ている、食器棚の隙間の椅子。それをどかして食器棚の後ろに手を突っ込めば指に触れるフックのような感触。大体、談の腕の長さまでで到達するように設計されているらしい。見た目は古びたただのフック。それに指先を引っ掛け、ちょんと引っ張ると食器棚の中でことんと音がする。
 ナツがきれいに整頓した、引き出しの中のカトラリー。
 その上に落ちた密封容器。ジップ付きの袋だ。入っているのは秘密のキャッシュカード数枚。食器が並ぶ棚の扉を開け、一番上の段へ手を伸ばす。普段は何も入っていないそこに、がさがさとした感触。端から端まで掻き出すように動かせばひらひら現金が落ちてきた。ひらひらというかドサドサというか。万が一カードを使用して追跡され口座が止められても、これだけの現金があれば当面の生活費には困らない。
 鬼島の知り合いなる職人がからくりを仕掛けた食器棚。この家の家具が普通のものだと思ったら大間違いだ。他にも複数、鬼島が金を隠している場所がある。不定期に別の家具の中別の家具の中と変えられ、談以外は知らない。場所を変えたら鬼島が突然隠し場所を番号で伝えてくる。
 この家に出入りするようになって最初に、家具に振られた番号を覚えるよう言われた。
 鬼島は配置と番号を一度しか言わなかったのだが、番号を聞けばすぐ頭にどの家具かが浮かぶ自分を毎回褒めてしまう。今回はそれが役に立った。

 使いそうな分だけ持ち、あとはガス台の隠し場所へ入れた。

「お待たせしました。買い物行きましょうか」
「お腹痛いですか」
「いえ、そういうわけではないです」

 よしよしとナツの頭を撫で、サンダルを履く。
 さて出ようかと思ったとき、玄関前にぬっと人影が現れた。小山のようなそれを見て一瞬跳ね上がった警戒心を解く。がらがら引き戸を開ける。

「有澤さん、こんにちは」
「飯がないと思って持ってきた。あとナツさんが落ち込んでると思って天使を派遣しに」

 熊のようにむくむくした身体の後ろに、和風な天使がいたようだ。とことこと出てきてナツに抱き着く。ナツはしくしくとまた泣き出してしまい、有澤が気遣わしげな目線を送り、がらがら引いてきたらしい台車の上の箱の中から鍋と炊飯器を出して室内に運んだ。

「トマトいっぱいいれたからおいしいよ」

 台所で温めたハヤシライスをナツの前とその隣に置き、座った満和が肩を抱く。
 廊下からそれを見ていた談の後ろに、湯気を立てる皿二枚を持った有澤がのそりと現れた。

「何かあるようで」

 振り返りつつ談が言うと、有澤の顔が渋いものに変わる。

「鬼島先輩に似てきたな、談」
「いつも背中を見ていますから」
「おかしいところは似るなよ」

 絶対にだ、と唸るように付け加えた。声を出さずに談が笑うと絶対だぞともう一度念を押した有澤が短く今朝の事情を説明する。虎谷上弦に言われたこと、出没するらしい場所がナツの実家がある付近だということ。

「それで、ナツさんに協力をお願いできたら、と」
「……どうでしょう」

 先程、有澤も見た通り、ナツは相当悲しんでいる。鬼島のためならと協力してくれるだろうが、あまり元気の前借りはさせたくない。動き回った果てに心身ともに疲れさせたら復活するまでに時間がかかってしまう。そうさせるわけにはいかないのだ。ナツを疲弊させたと鬼島に責められて逆さ吊りにされる未来が容易く見えた。

「でも、あと六日しかない」

 有澤が目を移したので、釣られて一緒に見た。ナツがしょぼしょぼとしつつもハヤシライスを食べている。食欲があるのはいいことだ。

「オレが先に話してもいいですか」
「もちろん」

 満和が小さいお皿の半分食べ終える頃に、ナツは大きい皿二杯目半を平らげている。

「有澤さんが作ってくれるお料理、いつもおいしいです」
「それはよかったです」

 有澤の手が持つと通常サイズのスプーンも小さく見える。皿も、談と自分と同じものを使っているはずなのに小さい。これが錯覚……と思った。いや相対性と言うのだろうか。はてはてと些か混乱しつつ、口の中がとてもおいしいことには変わりない。
 悲しみに沈んでいた心が、おいしいものの登場と周囲の気遣いによってだいぶ慰められた。談も見守っていてくれているし、満和も心配してきてくれたし、有澤も。

 一升炊きの炊飯器と若衆十人が一緒に使う寸胴を空にし、満腹になったところで談がナツの手を取って話し始めた。決して無理はしない、鬼島のことだから自分でなんとかする可能性も相当高いと前置きした上で、有澤に言われた内容を。
 黙って聞いていたナツが、きゅっと談の手を握り返した。

「協力できるなら、します」
「でも、無理はしないでくださいね。これは絶対です」

 ナツが笑う。

「平気です。あの町ならみんな家族みたいなものなので、お話しても疲れません」

 父親が大事にした町の人はみんな、今でも親しくしてくれる。
 アパートに明かりがつかないと誰かしらがメッセージをくれるし、家にいるなら持っていくとお裾分けメッセージもしょっちゅうだ。父親のことを忘れてしまったナツに何も言わず見守ってくれ、思い出してからはお墓参りに行ってきたと周辺の掃除状況や花がたくさんあったということを教えてくれるようになった。診療所は町の人が交代で掃除してくれていて、新しい医者が来てからは月々、取り決めた額の寄付を寄せているらしかった。
 幼い頃から見守ってくれた人たち。
 入れ替わりが激しいけれど、先の人を見て新しい人も優しくしてくれる。

「やってみます」
「ナツ」

 心配そうにした満和の肩を、今度はナツが抱いた。

「ちょっと地元に戻るだけだよ」

 むしろ気楽。と笑う。そこには確かな絆を感じた。


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