お友だち(偽) | ナノ

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田所 水若(たどころ みなも)





 有澤は普段着ているものより上質なスーツを着て、硬い革張りのソファに腰を落ち着けていた。
 巨体は姿勢がよく、おかげでますます大柄に見える。低すぎず高すぎないちょうどいい木製のテーブルに置かれた茶を時々飲みながら時計に目を落とすと、この部屋での経過時間は五分ほどだった。この家にいると静かすぎるせいか、どうも時間感覚がずれてしまう。
 この家、山の頂上にあり背後は崖、深い渓谷の向こうにまた山がそびえる要塞じみた虎谷邸を訪れることも近頃は少なくなった。会合はホテルや料亭が多く、この家で開かれなくなった理由はいくつかある。例えば北山真秀と弓削清浄が全く一線から退いたこと、虎谷の子どもが成長して出歩けるようになったこと、自身の手足より意思疎通が可能な存在を得たこと。他にもまだあるだろうが――というところまで考え、ドアが開く音で中断した。
 先に入ってきたのは秘書の田所。すらりとした体躯の、いかにも理知的な美男である。上弦より上弦の意思を知る男、とも言われているようだ。有澤と目が合うとすっと頭を下げ、その後ろから上弦がやってきた。
 よく手入れされていていつも美しいこの家と同じ、いつまでもきっと美しい男。白地に蒔絵のような朱の鯉が描かれた着物を着ている。よく見れば鯉の輪郭を縁取る金は描きこまれた線ではなく、金糸の刺繍だ。一体幾らするんだろうか。
 ということを有澤は考えず立ち上がり、一礼した。

「譲一朗、どうしたのかな」

 座りなさい、と言われて元通り腰を下ろす。顔を上げると優しげな目が有澤に注がれていた。

「ご存知だと思いますが、鬼島優志朗が引っ張られました」
「そうみたいだね。水若に聞いた」

 開け放したままのドアの前で身動きひとつしない、蝋人形のような秘書に意識が行く。

「優志朗の勾留期間は今日入れて六日だね」

 上弦の声に、意識を戻した。

「そうです」
「つまり六日で今回の出来事を解決しなければならない」
「そうです。が、正直なところを言えば」
「どうぞ」
「鬼島優志朗はこのまま別荘にぶち込まれたほうがいい薬になるんではないかと思っています」

 真顔の有澤に、上弦が低く笑う。いかにも楽しそうに。

「お前が一番被害を被っているから」
「ご理解いただいているようで感謝します」
「でも、優志朗がいなくなると困る。優志朗は……うちに必要な賢い子だ」

 賢い、よく言えばそうだが。有澤の眉間に皺が寄る。
 あれは賢いだけでなく非常に狡い。
 すべての物事を見透かし、まるで全知全能かのように振る舞う。神ではなく悪魔の立ち位置から事態を動かす。そうして自分は傷ひとつ負わない。成功しようと失敗しようと関係がないと言いながら、たくさんの人生を滅茶苦茶にして笑っているのだ。

「今回は、その『賢さ』を恨まれたのでは?」
「恨み……恨みか。面白いことを言う。優志朗は関係がないと思っているんだね」
「すぐ疑われるようなことを、あの人がするはずがありません」
「なるほど。……水若」

 近付いてきた田所が上弦に、薄型のタブレットを渡した。長い指でするすると画面を動かし、見せる。

「これらを調べてもらえると助かる。どこかで何かあれば連絡をくれたらいい」
「自分が、ですか」
「うん。実はみんな怒ってしまっていてね」
「怒る?」
「今回のガサ入れの時、真秀に対してずいぶん失礼だったと聞いて」

 有澤は上弦の顔を見ながら実に器用に不思議そうな表情と不機嫌そうな表情をほぼ同時に表して見せた。

「北山はどうしてそんなに好かれてるんでしょうか」
「素敵だから」

 にこりと笑う総長に対して、なおどうしてどうしてと言い募ることはできない。そうですか、と短く返せるだけだ。

「そういう状況を引き起こした人、ってなったら警察云々よりも先に埋めてしまうと思う。そうなると優志朗の無実どころじゃなくなってしまうから、冷静かつみんなが認める人材というと譲一朗しかいないんだよ」

 やってくれるよね? と、はっきり言われたらやはり頷くしかなかった。
 個人のデータを転送してもらい、確認しながら、もしも、と呟く。

「もしも、俺が事実をつかんでなお、鬼島さんを陥れようと黙っていたら?」

 上弦が穏やかに首を傾げた。

「お前はそんなことをするかな?」
「……鬼島さんには思うところがありすぎる、というか、率直に言って存在が迷惑なので、やれると思えばやるかもしれません」
「そうなれば、俺は譲一朗を排除しなくてはいけなくなる」

 ふふ、と笑いながらあっさりと言われてしまい、厚い肩をすくめた。

「地獄でまであの人に追いかけられるのは嫌です」
「よろしく頼むよ。事実関係は水若とお話して確認して」
「承知しました」

 じゃあよろしくね、と部屋から出て行った。
 上弦がいた場所に田所が座る。毎回見かけているだけで会話をしたことはなかったが、敬語で話すべきか否かと思っていた。秘書という立ち位置は非常に特殊だ。組を持っているわけではないし、肩書としてはわかりにくい。

「わたしには気安く話していただいて構いません」

 困惑が伝わってしまったのか、田所がするりと口にした。それから流れるように概況確認へ移る。

「発生は二週間前。路上の職質にて単純所持による現行犯逮捕をされた中国系の野良売人。所持していたドラッグが新型合成麻薬だったことが判明しました。体内に残りにくい、反応も出にくい、それでいて依存性が強力な全くの新型です」

 資料に掲載されている写真は一体どこから入手したのか、カラフルで可愛らしいキャラクタのような錠剤がある。合成麻薬としては非常にありがちな親しみやすい外見だが、裏面と思しき場所に大きくKとTが重なったようなマークが刻印されている。

「当該の売人は入手先として東道会所属の鬼島優志朗を挙げ、証拠不十分で追及できないまま見送られた件が多々だったために調査が行われました。実際、その時間帯に売人が存在した付近で目撃証言が多数得られたことから今回の逮捕に至った模様です」

 どうやら載せられている資料は捜査資料のようだ。綿密に鬼島の行動が記されていて、とてもこの数日で集めた資料とは思えない。となればこの資料は、となる。ちらりと水若を見るとこともなげに「警察は意外と緩いもので」と言って、説明を続けた。

「もちろん目撃証言のみではありません。先日のガサにより、冷蔵庫下段の玉葱内部から例の薬が数錠発見されました」
「……たまねぎ……」

 臭そうな薬だ、と思ってしまった。全然関係ないが。

「事によれば同居している夏輔さんや相羽談さんにも手が及びそうですが、特に夏輔さんに関しては絶対に阻止するよう、総長が圧力をかけていらっしゃいます」

 東道会の構成員は構成員同士が知っている人物だけではない。上弦、水若、北山、弓削などごく一部の人間しか知らない非公式の会員もいるのである。それらは誰かに惚れ込んで、特に金銭面人材面政治力の後方支援を行っていると聞く。
 近年、暴対法改正により弱体化していると言われる暴力団であるが、本物の組織力を持っている東道会には全く関係のないことなのだ。

「ただ、鬼島さんが確実に犠牲になりそうですので実際の出所と思われる男を確保せよ、と」
「それがこれか」
「そうです。ただし、本当にそうかどうかはわかりません」
「尋問しろってことだな」
「そうです。確実に吐かせて警察に引き渡せ、が正式な内容です」
「ふむ……」

 なるほどな、と有澤が呟く。眉間に皺が寄る。

「総長は有澤さんに、他の方々が冷静ではないから、とお伝えしました。それも確かにあるのですが、もう少し追加すると『行動区域と思われる場所が鬼島さんの領分だから』というのがあります。鬼島さんの領分は非常に複雑でして、例え他の組の人間が行ってもまともに口を開きません」

 地名を見て、それはそうだろう、と思う。
 あそこの人間はどれも一癖二癖、下手すると百癖もある可能性がある。そして他人になかなか心を開かないひねくれものばかり。東道会だろうと警察だろうと関係なく、全て敵だ。

「有澤さんは、よく鬼島さんといらっしゃる。他の人間よりは気安いでしょうし領内に詳しいと思います。それも理由です」
「……気安いかどうか自信はないぞ……あそこの人らは特殊すぎる」
「可能ならば相羽談さんにご協力いただいてほしい、ともおっしゃっていました」
「談がいればまあ、楽にはなるな。が、それよりもナツさんがいれば情報を引き出せる確率はほぼ100パーセント、と言ってもいい」
「わたしが許可したと総長に伝えます。有澤さんのやりやすいように」
「承知した」

 立ち上がる。水若は有澤より背が低い。

「よろしくお願いします」
「なるべくいい結果を求めよう」
「鬼島さんが泣いて喜ぶのでは」
「あの人が声に出して感謝する実在人物はナツさんと談だけだ」

 そうですか、と初めて水若が微笑む。
 その笑顔も話し声も、知っているような気がした。

「……田所、遊び歩いた経験は?」
「遊び……?」
「いや、なんでもない」

 そういう場所で出会ったのかと思ったが違った。より具体的に言って墓穴を掘らずよかった。こんな状況でそのような話を振るのは幾ら何でも非常識だとわかる。
 気が逸れたなと思い直したところで、先に廊下に出た田所が振り返った。

「ところで、どうして夏輔さんがいれば確実に情報が引けるのでしょうか」

 彼に関しては不勉強でして、と付け加えて質問をしてきた。
 有澤は資料に記載された地名をもう一度見る。
 想い出が、浮かんでは過ぎていく。

「ここは」

 すっかり遠い想い出になってしまった豪快なあの人に目の前の美男が似ていると気付いた。
 もじゃもじゃ髪と繋がったもじゃもじゃ髭に覆われて普段はそう思わなかったが、一度全てをきれいにした顔を見た事がある。非常に整った顔立ちをしていた。それにそっくりだ。前髪が少し長いけれど、顔だけでなく声まで。
 そんな父親と楽しそうに暮らしていた無邪気な子。抱き締められてきゃっきゃと笑う姿は確かに可愛らしかった。今は少し大人になり、しかし笑顔は変わらない。優しいところも。
 その子が、二度離れた鬼島に再び出会った場所。

「ナツさんが生まれ育った町だからだ」

 都市一番の歓楽街、弁天町。
 そこはナツが父親と暮らし鬼島と時間を過ごした、思い出深い土地である。



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