お友だち(偽) | ナノ

35


「ねえ陵司くん、外してくれないの?」
「外した瞬間、また変なことするでしょう」
「変なことって何よ? 具体的に言って」

 にやにや笑いを浮かべながら鬼島が手首を揺らした。言わせたいんだなと思いながら「そのうち外してあげます多分」と、流す。鬼島はむっと言いながら目をすっと細め、加賀を見る。

「外して立場対等にするのが交渉の第一歩でしょ」

 作り物めいた笑顔は揺るがない。

「あなたに交渉のセオリーが通用するとは思っていませんので、こちらも変化球を投げなければ」

 いつもと違うな、と鬼島は安っぽい椅子の低い背もたれに背を預けながら思った。目は加賀に合わせたまま脳内だけを動かす。

 仕事中、という切り変わりがあるのかもしれないが、こちらの言動に常にアンテナを張っている感じはしない。重要な、何かキーワードが出てくるのを待っているだけという感じだ。或いは、一気に切り込む部分を見つけようとしている。
 にやにやと鬼島の口元が緩む。
 底が見えない感じ。そう、加賀のこういうところが好きなのだ。ただのお人好し、ただのエリートではないところ。
 どこを見ても人当たりのいい好青年。でも、その真意は誰からも見えない。見えているようでその実、全くわからない。
 何年か会わなければ残る印象は「顔の整った優しい人」程度で、飛びぬけていいことも言わないし存在感も出さない。思い出話にされても「優しかったよね」で終わりそうだ。
 加賀との出会いは偶然だったが、鬼島の人生における面白い人間の登場には変わりない。そして今、このような、ますます楽しい状況が現れた。存分に楽しまねば損だ。やり合う気はないが、楽しむつもりになった。

「陵司くんからの質問だったら、三つは正直に答えてあげちゃーう」
「そうですか。三つ……」

 ふむ、と加賀の目が鬼島の喉元を見つめる。
 しばらく時が過ぎ、ふ、と目を上げた。穏やかな目と昏い目が真っ向から向かい合う。

「では一つ目。鬼島さんは今回の事について耳にしていた……つまり関係はないけれど話を聞いたことはありましたか」
「全くない。だから昨日、聴取開始の時に事実関係って読み上げられて事件概要知ってびっくりしちゃった」
「二つ目。この件を虎谷上弦はどう思うでしょうか」
「良くは思わないでしょうね。なんてったってうちと一番付き合いの長い『四號街』だって同じ規範のもとにやってんだから。信用がなくなったらやばいでしょ」
「最後です。鬼島さんの名前が挙がったのはなぜですか」
「しーらない。陵司くん、知ってたらこそっと教えてよ。あとで殴りに行く」

 そうですか、と呟く加賀。飄々とした顔を崩さない鬼島。

 直来には、何が起きたかわからない。鬼島とはなんだかんだ長い付き合いがあるが、あの男の真意を見破ったことなど一度もないので、今はもう読むことを諦めている。
 さて、加賀には見えたのだろうか。
 穏やかそうな横顔、作り物の笑み。さらさらした黒髪、さっぱりとしたオーダースーツに高い時計、磨かれた靴。どこぞの大手商社に勤めている、と言われても信じてしまいそうな柔らかい雰囲気はおよそ、警察関係者とは思えない。厳密には確かにそうではないが、事件捜査や調査を担当する人間にありがちな「毒々しさ」「とげとげしさ」が加賀陵司という男からは全く発せられていないのだ。鬼島とまた違う方面で読めないと言える。

「鬼島さんは、東道会に関連した人間が起こしたと思っていますね。そして本当に知らなかったけれど、今はもう大体の構図は見えている。違いますか」

 鬼島が一瞬、間を作った。それから、ぐふふ、とまた気持ちの悪い笑い方をする。

「もしこの縄と手錠がなかったら熱烈なハグと情熱的なキッスをしてたところだよ」
「それらの大事さを改めて理解しました」

 何が何だか、直来にはさっぱりわからない。今すぐ隣の部屋へ行って説明してほしいくらいだ。しかし鬼島はふざけるだろうし、加賀は手の内を明かすような真似はしない。動き出しそうな身体を無理やり抑え、様子を見守る。

「鬼島さん、考えていることを話していただけると大変助かります」
「その代わりに陵司くんがちゅっちゅさせてくれるならね」
「嫌です」

 笑顔で断られ、ちぇっちぇっと呟く鬼島。相変わらず絶妙にばかな感じを醸し出すのが巧い。しかしあの前髪の下の目は、きっと全く揺らいでいない。それどころかこの状況を楽しんでいる。おそらく。
 直来は首に手を当てて息を吐いた。
 鬼島を楽しませるための時間じゃねぇんだがな。





 捜査員が引き上げた鬼島邸に帰宅した談とナツ。ただでさえ鬼島がいなくて落ち着かないのに、更に室内の惨状を目にしたナツはますますはわわしてしまった。
 家の中が荒れに荒れている。壊れたものは無さそうだが、実にひどい。引き出しという引き出し、物入れという物入れ、棚という棚は開けられ中身が適当に床や畳の上に置かれている。本は乱雑に積まれているし、台所ではなんと冷蔵庫が開けっ放しだった。お風呂場も荒らされ放題で、談がいつもお風呂上りに塗ってくれるボディミルクまで押収されている。

「なんてことでしょう」

 信じられない、といった様子で呟くナツに、談が笑う。

「大掃除できますね。ちょうど明後日は不用品回収日ですし」
「談さん……」
「大丈夫ですよ。ついでに鬼島社長の開かずの書斎も片付ける、いい言い訳ができました」
「開かずの書斎?」
「鬼島社長だけが出入りしてる部屋です。一階廊下の角部屋。一緒に片づけますか」
「鬼島さん……」

 ほろほろとナツが泣き出してしまった。身内が逮捕勾留されたとなれば、それはそれは不安であろう。自分の周りは諸所の事情からちょこちょこ逮捕される人間があったが、考えてみれば鬼島がきちんと引っ張られるのは拾われてから初めてだ。
 不安にならないわけではないが、と思いながらナツを抱きしめる。
 鬼島のことだから、そんなに危ないことをわかりやすくするわけがない。有澤が言っていた通りうまくやるはずだ。鬼島が言っていた通り、誰かが名前を出しただけに違いない。

 何より、鬼島失踪の時より状況は明るい。カラスの時のようにナツが命を狙われる心配もなさそうだ。
 大丈夫、と、一瞬自分の顔に浮かんだ不安を振り払う。

「鬼島社長を待ちましょうね。それまではオレがずーっとナツさんと一緒にいますから、何も心配はありません」

 しくしく泣くナツの背中を撫で、落ち着くまでそうしていた。ふと、廊下のサッシ越しに庭が目に入る。幸い、土を掘り返されるような野蛮な真似はされていない。去年あたりに鬼島が植えた「ナツくんみたいでしょ」と言ったひまわりも、無事に咲きそうである。
 ふわふわしたナツの髪が頬に触れ、また少しの間、平和な一日が遠くに行ってしまいそうだと思った。





「おそらく東道会の構成員ではない、ですか」

 加賀の言葉に、ふふふと鬼島が笑う。三回聞いて三回同じ笑い。それは何も言う気がないということを表している。加賀はおとなしく引いた。今日だけでいい収穫があったので、もうこれ以上は無駄だ。

「ご協力、ありがとうございました。続きはまた明日」
「明日も陵司くんがやってくれる?」
「わかりません」

 立ち上がる加賀。
 終わりか、と直来が気を抜きかけた時、けたたましい音が響いた。鬼島が加賀を壁に追い詰めている。首あたりにちゅうっと口付けた。
 おいおい手錠されて足に縄ついててもあんなんできるのかよ。
 溜息をついて大股歩き、隣の部屋のドアを開ける。

「鬼島、その辺にしとけ」
「覗き見? いやらしーい」

 ちゅっちゅ、と顎についでのようなキスをし、ぺろっと自らの唇を舐めて「陵司くん、聴取室の初キスいただいたよ」と満足気。対する加賀は大変嫌そうにしながら無言で出ていった。

「あんまり派手に動かないでくれ……俺ァ降格になったら階級なくなっちまうんだ」
「ぷすす。ライ不器用だもんね」
「オラ留置場戻んぞ」
「ライもちゅーしてほしい?」
「死んでも嫌だ」

 聴取室の片隅で震えていた書記担当はその日、もう鬼島の取り調べにつきたくないです、と上司に訴えた後、胃痛で病院に搬送された。



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