お友だち(偽) | ナノ



 鬼島さんの手がジャケットを脱がせ、指が自然におれのネクタイを解く。ぷちぷちシャツのボタンを外していくのを眺めていたら、不意に鬼島さんが少し身をかがめ、おれのこめかみあたりをくんくん。


「ナツくん、今日は体育だったんだ」
「わかりますか」
「うん。土と太陽の、とっても健康的な匂いがするから」


 あー若返る、と言いながらシャツを肩から落とした。露わになった肩を、体温の低い手のひらに撫でられる。腕を通って指が絡み、手を繋がれる。
 もう片方の手でいつものように頭から順番に撫でられ、キスが降ってきた。そして上唇下唇、最後に食まれてぺろりと舐められる。
 近くで見つめられるのに違和感があると思ったら、まだ眼鏡をかけている。

 そういえば、だ。
 

「鬼島さん、あの、いっしょに入るんですか」
「いけない?」
「いえ……うーん」
「なに? どうかした?」
「あの、鬼島さんが服脱ぐの、初めて見るなって」
「あー。そうね」


 言いながら眼鏡を外す。黒いジャケットを脱ぎ、無造作に床へ放り出す。
 鬼島さんがこれ以上服を脱ぐのを見るのは初めてだ。いつもいつもシャツは着たまま、ズボンだって前を緩めるくらいで。
 じっ、と、思わず見つめていたらボタンを外す手を止めておれを見た。


「鬼島さん、ゆっくり脱ぐ派だからさ。ナツくん先行ってて」
「え、はい」
「ていうか、そんな熱く見つめられたら服脱ぐ前に勃起しそう。だからあんまり見ないでほしいなあ。今日は一緒にお風呂入りたいから」
「う、それは……わかりました」


 鬼島さんに従って先に裸になり、中へ。身体を洗って温泉旅館並みの広いひろい浴槽に身体を浸ける。なんとなくドアの方には背を向けた。

 鬼島さんとの出会い。
 思い出そうとしてもうまくいかない。入学式あたりの記憶はあるのに、前後の記憶は妙にぼんやりしている。どんなことをしていたか、と、周りは当たり前に暮らしているから聞くタイミングがない。鬼島さんに聞くのは、一番ダメな気がした。
 けれど、いったいいつから、どんなタイミングで鬼島さんはおれの生活の中に入ってきたんだろう。

 浴室をぐるりと見渡す。
 ここと脱衣所だけできっと、おれの部屋ぐらいある。明らかに高そうな石の洗い場、浴槽だってよくわからない細かい細工がされた大きなもの。おれと鬼島さんとさっきのダンさんがそれぞれ三人に分裂しても一緒に入れそうだ。お決まりのライオンはいないけれど、勢い良くお湯が注ぎこまれている湯口はある。
 庭も玄関も廊下のあちこちもすごかった。こんな家を持っている鬼島さんは一体何者なのだろう。


「ナツくん真剣に考え事? のぼせないようにね」


 じゃぷん。
 肩が触れそうなくらい近いところへ急に滑り込まれ耳元で声がして、飛び上がるくらい驚いた。
 濡れた髪をすべて後ろに撫で付けているから顔が全面出ている。こうして見てみて鬼島さんはほんとうにかっこいいんだと、改めて思う。お湯が気持ちいいのか目を細めていて、どきどきした。こういう雰囲気をたぶん、色っぽい、と言うのだろう。
 こちらを向いて口角を上げたらもう決定的。頭が膨らむように耳元で激しく音がする。どきどきばくばく、激しい音。
 目をそらす。と、ぱしゃぱしゃお湯が落ちる音に絡んで笑い声が聞こえる。

 鬼島さんの左腕はいつの間にかおれの肩を抱いていて、右の指先が唇を辿った。抱き込まれて正面から覗きこまれて、もう逃げようがない。


「ナツくん、かわいいね。恥ずかしい?」


 初めて素肌に触れ、なんだかとても恥ずかしい。頷くと、唇を撫でていた指が頬へ滑る。


「恥ずかしいんだ。どうして?」


 わざわざ小さな声で、吹き込むように聞いてくる。甘い低音は毒だ。


「どうして……って、わかり、ません」
「わからないの」
「だって、鬼島さんが」
「鬼島さんが? なあに?」
「鬼島さんが……っ」


 少しずつ近づいてきて、ゆっくりと唇が重ねられた。柔らかく触れるだけ。


「鬼島さんが、なに?」


 重なって離れてまたくっついて、そんなことを何回も何回もされて息が上がる。やがて右手が身体を撫で始めて、けれど何も言えず、ただ鼻の奥や喉に声が引っかかってかろうじて漏れる。


「なんでこんなにかわいいんだろうね。お湯に沈めて殺して食べたいくらい、かわいい」


 甘く優しい声。けれど鬼島さんの優しさの中にはいつも少しの毒が含まれていて、ただ甘やかしてはくれない。ちくりちくりとほのかな痛み。
 それは不安。
 かわいい、とか、すきだよ、とか。好き勝手に言って消える。結局おれをひとりにする。
 それでもいいと思うのに、ひとりでもいられるのに、どうしてだろう。


「ナツくん? 泣いてるの」
「泣いてない、です」
「ふぅん。鬼島さんに、うそはだめだよ」


 鬼島さんの腕に抱きしめられ、身体も頬も肌同士が触れる。擦り付けると、心地よい弾力と滑らかさがあった。頼りなく柔らかな布ではない。


「なにか言いたかったら言っていいんだよ。怒らないし呆れないし、笑わない。……たぶんね」


 おれは、なにも言わなかった。寂しいとも悲しいとも、どこにも行ってほしくないとも。
 鬼島さんはおれのじゃないから。

 鬼島さんはただ黙って抱きしめてくれて、それに従いしくしく泣いた。


「おいで。出よう」


 落ち着いた頃を見計らい、そう言って先に立ち上がる。均整のとれた、意外と筋肉のある身体。ドアの方へ向いたときに、その背中が見えた。

 首から腰まで、広い背中いっぱいに踊る黒龍。切れ上がった鋭い目は鬼島さんそのもの。更に左腕にも、極彩色の鳥が彫り込まれている。幾つもの異なった赤をもって彩られたそれを――

 遠い、遠い日に見たことがあった。いつだったろうか。


「優志朗くん、その鳥なーに?」
「これですか。これは朱雀というんですよ。古代中国から伝わる瑞兆の神獣です」
「ずいちょー? しんじゅー?」
「優志朗、もっと噛み砕いてやれよ。夏輔はまだ小せえんだ。んな難しい言葉わかんねえ」
「子どもに慣れてないんだもん。えーと……夏輔さん、これは――」


 若い、まだあどけなさを残した顔。今よりも少し細い腕にその鳥は棲んでいた。
 記憶の中にちらつく、その姿は。

 くらり、眩暈がして床が柔らかくなる。


「……鬼島さん、あなたは、だれですか」


 気を失う直前に、魔法を解く言葉を口にしてしまったような気がした。


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