5:アイタカッタ

「……寒い」

身体を刺すような寒さに意識が覚醒する。震える身体を擦りながら上半身をおこし、辺りを見渡す。

今は夜なのだろう。寒空に浮かぶ星と月が私を微かに照らし影を作った。
左右には木製の建物らしき壁があり、数メートル先は人工的な明かりが射し、はっきりと見えないが、行き交う人々の姿と喧騒が聞こえた。
どこか田舎の細い路地裏にいる事は理解できた。


(あぁ、帰ってこれた……)


あの地獄のような場所から、元の世界に帰ってこれた。

「はは、…助かった…」

これでようやく助かると、安心感から乾いた笑いがもれた。
路地裏からでたら救急車を呼んでもらい、家族に迎えに来てもらおう。そしたら、いっぱい寝ていっぱい食べて家族に甘えるんだ。辛かったね、よく頑張ったねって誉めてもらいたい。
今にも気を失ってしまいそうな意識と身体を引きずりながら、光差す方へ向かう。それはまるで、地獄から天国へと引き上げれるようだと思った。けれど……


「……え」


それは更なる地獄への扉だった。


路地裏からでたそこは、《私が知る日本ではなかった》

最初に感じた違和感は、ほぼ全員が着物姿な事。今の時代でも着物を着る人はいるけれど、それでも行き交う大勢の老若男女が着物を着ていることなどありえない。祭りの最中という感じでもない。僅かに洋服やスーツの人もいたけれど、レトロでモダンな服ばかり。
建物も教科書でしかみた事がないような古いタイプの物だけ。今の時代、どんなに田舎だって近代風の建物がないのはおかしい。ケータイを持つ人も、コンビニも、信号も、車もない。


ここは、そう、まるで…昔の日本のような。……もっと言えばこの光景は、歴史博物館で見た明治や大正時代の日本にそっくりだった。


「……………」


脳が一瞬で理解する。簡単な数式を解くように導き出された答え。ここは、私のいた日本ではない。




「…………うそ」

力が抜けその場に座り込む。頭が真っ白になって何も考えられない。私は、ただ歴史博物館にいただけなのに、あの世みたいな彼岸花だらけの場所で餓死させられそうになったかと思えば、今度は昔の日本。もう訳がわからない。

どうしていいか分からず、その場で人々の流れを眺めながらぼんやりとしていた。道行く人々は、怪訝そうな顔をしたり、横目で見ては行くが声をかけてくる者はいない。
どのくらいそのままだったのだろうか。突如、戸を引く音と共に、左横の建物から恰幅のよい中年女性が現れた。着物の上から割烹着を重ね着するスタイルは、料理屋の女将といった雰囲気だ。女性は私を下から上へと観察するように見たあと叫ぶ。

「ちょっとあんた!!さっきから、うちの店の前で一体なんなんだい?!」

眉間にシワをよせ怒鳴る顔に、心臓がギュッと縮こまる。

「あ、あの…ごめんなさい。あの」
「うちはね、敷居ある料理屋なんだよ!あんたみたいな放浪者がいていい場所じゃないんだよ!」
「あ、ごめんなさい、でも、お腹がすいて、動けなくて」
「図々しいね!物乞いかい?!」

悪意ある激情と、野次馬の好奇の視線に晒され、恐怖と緊張で上手く言葉をつむげない。

「あ、その」
「言っとくけど、あんたにあげる飯なんてないよ!残飯でも勿体ないわ!!」
「……、ごめっ」
「さっさと、どいた!どいた!これからお得意様がお越しになるんだよ!それに、あんたね……」

中年の女性は、わざとらしい仕草で鼻をつまみ、周囲に響き渡るように大きく声を張り上げた。

「臭いんだよ!」

カッ!と顔の温度が上昇したのがわかった。恥ずかしさとショックから涙がこぼれ落ちそうになり、直ぐに地面を見て羞恥心と好奇の視線から逃げた。

……何日もお風呂に入れてないんだから、しょうがないじゃない。


「おや?いったいどうしたんだね?」
「あら!宝来(ほうらい)さ〜ま!お待ちしていましたわ〜ん!」

渋く声の通った男性の声が聞こえた瞬間、中年女性の声がガラリと変わる。まるで恋する十代の少女のようだ。

「ごめんなさいね、浮浪者が店の前に居座ってて……。今すぐどかしますからね!」

腕を捕まれ強引に立たされる。立ち眩みで視界が点滅するが、中年女性はそんなのお構い無しに、私だけに聞こえる音量で怒鳴る。

「はやく、おどき!邪魔だよ!」
「まあまあ、仕米(しこめ)さん。可哀想じゃないか」
「宝来さん、こんな素足さらした女は録な子じゃないよ!それに、鼻がひん曲がりそうな程臭いんだよ!」
「何か事情があるかもしれないよ?大丈夫かい?お嬢さん?」

優しげな声色に、もしかして……と希望から顔をあげた。
視線の先に映ったスーツ姿の五十代くらいの紳士そうな男性は、私を下から上まで舐め回すように見た後、にやりと笑う。

「…とても綺麗なお嬢さんじゃないか」

全身に悪寒が走った。
言葉にしなくても感じた性的な欲望。この人に頼ってはダメだと直感で悟り、中年女性の手を振り払って、ふらつく足で路地裏の暗闇へと逃げた。人々の冷たさと悪意から逃れるように。




※大正コソコソ噂話※
中年女性こと仕米さんは、容姿の整った女性にとっても厳しいよ!


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