49:あとは名前をつけるだけ
「俺は、もし家族と離れ離れになったら帰れる方法を必ず探して、絶対に家族の元に帰ります」
家族のためなら、どんな辛い道も困難な試練も乗り越えてみせる。だから桜さんの気持ちも痛い程にわかる。《生きているのに》家族と二度と会えなくなるのは、塗炭の苦しみだろう。そう思うからこそ、桜さんがおもう幸せな道を選んで欲しい。
「けど、俺は嫌だ」
強くはっきりと、感情のままの本音を伝えると、桜さんは目を見開いた。
「嫌なんです」
最初の頃に一度だけ見たことがある。誰もいない夕暮れの部屋の片隅。隠れるように、哀愁と帰郷の匂いを漂わせながらケータイを抱きしめている姿を。今もその匂いと、悲しみ、強い迷いの匂いを感じる。
「桜さんの本当の気持ちを教えてほしい」
知りたいんです。貴女が何を考えているのか、どんな気持ちなのか《言葉》として。だから、俺も本当の言葉(こころ)を伝える。
俺の言葉を聞いてしばらく黙った後、桜さんは、足元に咲くすずらんを触りながら口を開いた。
「じゃあ、お言葉に甘えてちょっと本音言っちゃおうかな」
声は少しだけ震えていた。
「皆本当に優しいよね。さっきも皆、……帰らないでって言ってくれて。私の事を大好きでいてくれてるんだなって実感して、嬉しくて、嬉しくて…泣いちゃった」
そのまま黙って聞いていたが、ある言葉に思わず反論してしまう。
「一人でこの時代に居ても不安を感じないのは、本当に皆のおかげで。皆が好きになればなるほど、………怖かった。本当はずっと、ずっと…恐かった。もし、もしも、皆に嫌われて、ここから出てけって言われたらどうしようって」
「絶対にそんなことは言いません!!俺達は、桜さんの事、か」
「わかってる!……わかってるの。竈門家の皆は、優しいから絶対にそんなことは言わないって。けど、人の気持ちは変わるよ。立場や地位、環境が変わると、人はあっという間に別人になれる。同じ人間と思えないくらいに。竈門家の皆が特別なだけで、他の人達は違う。今まで培った常識は簡単には消えはしないの。形のない不安は消えることはない」
桜さんの声の震えが徐々に大きくなり、目には涙があふれ始めた。
「私ね、炭次郎君より四つも五つも年上だし、いつもお姉さんぶってるけど。でも、本当は…全てから逃げ出したくなる時も、未来のように楽な生活をしたいって思う時もある…」
あふれ出た涙は雫として、すずらんの花に落ちていく。まるですずらんの花が泣いているように見えて、夕日の光に照らされたそれは、儚く幻想的だった。
「家族に会いたい、未来に帰りたいって、…苦しくなる時もある」
俺を見て、涙をポロポロこぼし歪に笑うその姿に、
「ひどいよね。皆にこんなに優しくしてもらってるのに…………。けど、私もわがままな子供なんだ…。お父さんやお母さんに甘えたい。って思っちゃうの…」
胸が痛い程に締め付けられ、衝動のままに桜さんを抱きしめた。
助けたい、守りたい、泣かないでほしい、すべての悲しみや憂いから一番遠い所にいてほしい、幸せになってほしい、いつも笑っていてほしい、一緒にいたい、………選んでほしい。
この感情の名前は分からないけれど、大切にしたいと、回す手に力を込めた。
「もっと頼ってほしいです」
力強く訴えると、桜さんは驚いた匂いの後、しばらく黙りこんで、小さくと笑った。
「それはこっちのセリフだよ」
そして、優しい声色で桜さん言う。
「……ありがとうね、炭治郎君」
柔らかい手が背中に回ってきて、心が満たされた感覚におちいった。
「私も皆が大好き。できれば、ずっと一緒にいたいって思う。この気持ちに嘘はない。けど、やっぱり帰りたい気持ちも消えない。帰り方も探したい。花子ちゃんが言ったように、目の前にこれっきりの扉があったら、私はどうするか………わからない。だから私は、選択が必要になるその時までは皆を一番に考えて、答えはその時に決める」
桜さんも、俺達家族と同じように、大切に想って一緒に居たいと思ってくれている。匂いと言葉でしっかりと伝わってきた。それで充分だ。
「ごめんね、曖昧なことしか言えなくて。でも、これが今の私の気持ちで、答え」
「それが今の心なら、それでいいんです」
「うん」
桜さんは、すっきりしたように明るい返事をする。迷いの匂いが消えた桜さんに、俺自身の心も決まった。
俺は、桜さん自身に、幸せな道を選んで欲しい。
俺達家族は、桜さんに帰って欲しくない。ずっと一緒にいて欲しいと思っている。
桜さんは、どちらも大切だから選べないと、答えを未来に預けた。
ならば、と俺自身の答え(こころ)を伝える。
「俺は探します。桜さんも、俺達家族も本当に幸せになれる選択を。必ず探します」
桜さんが、どの選択肢を選んでも後悔しないように。幸せだと、満開の花畑の中で笑っていられるように。
そして願わくば、……選んで貰えるように。
まだその方法はわからないけど、必ず探そう。そう、心に刻み込んだ。
「なんでだろう。炭治郎君がいうと、本当に叶えてくれそうな気がする」
俺の顔を見て桜さんは花のように笑った。