46:物事は単純でしかない、それを

少し前に一人で町に花売りを行く許可を、土下座したり、貢ぎ物をしたり、泣き真似したり、媚びを売ってみたり、拗ねてみたり、甘えてみたり、あの手この手を使い続け、よーやく!よーやく!得ることが出来た。一悶着どころか十悶着、百悶着あったけれど、今はしぶしぶ隣町までならという条件の元、一人で花売りや買い物に行かせてもらえるようになった。
そして、東の町やそれ以外の町からもお客さんが増えた事、春や夏にしか咲かない花や薬草、外国の珍しい種を買って売ったりして、地道に稼いだ甲斐もあり、この度……借金を全額返済するに至りました!

雲取山も紅く色付き、夕焼けに赤トンボ、ススキが秋を実感させる9月中旬。障子越しに見える紅葉が散る景色を背景に、葵枝さんに、お礼と共に最後のお金が入った袋を手渡す。これから全額皆のために使える嬉しさから、にこにことする私とは正反対に、葵枝さんはどこか寂し気な様子で受け取ったのが印象深く残り、しばらくの間、頭から離れなかった。









借金も返済できて、これからは皆のためだけに稼げると思っていた。けれど、人間と言うものは一つの欲が達成されると、更に上の欲を満たしたくなる生き物で。

借金返済から、しばらく隣町で花を売っていたのだけど、ある日お客さんの「東の町でも商売を始めたらどうだい?」という言葉をきっかけに、数日間二つの欲が頭の中を渦巻いた。

一つ目が、東の町まで行ってもっと稼ぎたい。竈門家の皆に美味しいご飯を食べさせてもっと喜ばせてあげたい。着物や新しい物を買ってもっと贅沢をさせてあげたい。家の古くなった場所を修復してもっと楽をさせてあげたい。という欲。


そしてもう一つが、そろそろ、帰るための情報を探し始めたいという欲。

東の町。それは私が初めてこの世界にオチタ町。帰るための方法を探すならまず、この東の町からだろう。
隣町からも一番近い町だし、嵯峨山さんから《あの化物の様な男》はもういないと聞いたので、危険はないはず。借金も全額返済し、タイミング的にも今が一歩を踏み出す時期であるのは明確。けれど


「………はぁ〜〜…」

考えの重さを表す、深く長いため息がでた。
未来に帰りたい。その気持ちはずっと最初から変わずにあるのに、私の胸は今、いろんな感情でぐるぐると渦巻いている。


「……とにかく、皆に今夜相談してみよう」










「東の町まで行きたい?」

夕ご飯を食べ終えそうな頃合いに切り出した私の発言に、炭治郎君は言葉をなぞる様に反復する。それに頷き返すと、皆の視線が私に一遍に注がれた。

「う、うん。あのね、最近、いろんな町からのお客さん増えてきたでしょ?」
「桜さん最近忙しそうですもんね」
「で、でねもっと稼ぎたいのもあるんだけど、」
「今のままで充分じゃね?」

竹雄くんの言葉に、皆の賛同するような空気を感じた。

「東の町だと、桜おねえちゃんの場合お泊りになるよ。近いけど遠いもん」

茂くんは心配げな表情で何かを訴えるようにこちらを見ている。
そう。いくら東の町が隣町から一番近いと言っても、私の足だとどうしても、2日かけた泊りになってしまう。日帰りでも可能だけど、日が昇る前に家を出て、日付が変わった直後に帰宅。かなりの強行軍になってしまう。それだとこの間の二の舞だ。

「このままじゃ駄目なんですか?」

皆にもっと楽をさせてあげたい。って言うと、なんだか恩着せがましい気がして、禰豆子ちゃんの問いかけに何も答えずに曖昧に笑う。それと伝えたい本題は別にある。
いけない事ではないはずなのに、妙な裏切り感を覚えて、心臓の音が耳のすぐ近くでまで聞こえ、身体に緊張を伝える。
乾いた口で、思いきってきり出す。

「私、そろそろ、未来に帰る方法も探そうと思って…!」

言った瞬間、静まりかえる部屋。自分の心臓の音が、皆にも聞こえているのではと錯覚させる無音の空間に居たたまれなくなり、言い訳のように捲し立てる。

「や、でも、お手伝いも怠らないし、まだ恩返しも終わってないから、まだ先の話になるけど、治療費も返し終わったし、そろそろ少しずつ探したいな…的な…!隣町に一人で行くのも慣れてきたし…!」






「約束は」
「え」

俯いた花子ちゃんが抑揚のない強い声を出す。

「来年、花子の誕生日祝うって約束した」
「も、もちろん!約束したから、それまでは絶対に帰らないよ!」

心からの言葉だった。

「じゃあ、今、目の前に未来に帰る方法があったら、桜おねえちゃんはどうするの?今この瞬間じゃないと一生帰れなくなっちゃうとしたら、どうするの」
「そ、それは…」

思わず躊躇って言葉に詰まってしまった。天秤にかけられた重りは左右に激しく揺れ動き定まらない。
何も言えなかった。自分の考えが分からなくて、口からは空気の漏れる音しかでない。

「いつか帰っちゃうくせに、期待させるようなことばっかり言って……」

顔を上げた花子ちゃんの両目には涙があふれそうな程溜まっており、零れさせまいと上を一回向き、怒りの表情で叫ぶ。

「桜おねえちゃんなんてもう知らない!!花子、寝る!!」
「花子ちゃん!!」

追いかけようとしたけど、「ついて来ないで!大っ嫌い!!」と叫ぶ声に、思わず足が止まる。襖が大きな音を立てた後、気まずい沈黙が訪れた。
いつもは、真っ先に妹弟のフォローをする炭治郎君も、禰豆子ちゃんや葵枝さんも悲しげな表情で口を閉じている。みんながみんな、何も言わない。
私はどうすればいいのか分からず、その場に佇むしかなかった。
竈門家に来て始めて、暗い静寂が夜を包んだ。


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