39:もう一つの感情、それは

朝起きると枕元に一枚の置手紙があった。


《町に花を売りに行ってきます。昼過ぎには戻ります。心配しないで下さい》


1つ1つの文字は、人柄を表すように柔らかな線で丁寧に書き綴られていた。寝起きの頭で何度も読み直した後、手紙を握りしめ部屋の中をぐるぐると歩き回る。

桜さんが町に下りる時は、いつも必ず誰かが一緒に付いていた。花を売り初めてからも、一度も一人で町に下りた事はない。炭売りの手伝いや買い物のついでに花を売っていたのに、それが、いきなりなんで、急に一人で。しかも、黙って手紙だけ置いて、行くなんて。

扉を強く叩きつけるように、二つの感情が胸の内から激しく主張してきた。一つははっきりと理解できる、心配や不安と言った感情だ。
道に迷ってはいないか。虫に驚いて逃げている時に怪我でもしてないか。悪い予想が浮かんでは消えを繰り返し、居ても立ってもいれず、今から追いかけたほうが良いのではないかと憂慮していると、着替え終えた禰豆子と、寝間着の花子が声を掛けてきた。

「お兄ちゃん心配な気持ちは分かるけど、桜おねぇちゃんだって、17歳だよ?子供じゃないから大丈夫だよ!」
「桜さんも道は大分前に覚えたって言ってたし、大丈夫じゃないかな?」
「そうか?疲れて歩けなくなったり…」
「それは、…うん。ありそう…だけど。桜さんも少しずつ体力がついてきたし、休憩しながら行くんじゃない?」
「不審者につかまったり」
「桜おねぇちゃん、隣町では有名だし目立つから、変な人は近づけないよ!多分!……路地裏に連れ込まれたりしなければ。あ、襲われたら力皆無な桜おねえちゃん抵抗できないね…」
「うん。やっぱり、行く」

手紙を握りしめ、寝間着のまま出かけようとすると、焦った様子の二人に止められる。

「今のは想像!お兄ちゃん心配しすぎ!大丈夫だよ!(きっと、桜おねぇちゃん、お兄ちゃんのプレゼント買いにいってるんだよ。昨日色々聞かれたもん!)」
「桜さんもたまには、一人で息抜きしたいのかもよ?!(そうだね。まさか一人で行くとは思わなかったけど、今お兄ちゃんが行ったら、「サプライズ!ドッキリ!頑張るぞー!」って騒いでた桜さんが可哀想だよね)」

「そうか…な」

自分は心配しすぎなのだろうか…。
一先ずは昼過ぎまでは待とう。自身を無理矢理納得させるようにそう言うと二人はあからさまに胸を撫で下ろしていた。









「遅い…」

手紙には昼過ぎには戻るとあったのに、すで夕方一歩手前と言った時間帯だ。家の敷地内ギリギリの山道付近あたりでうろうろしていると、山菜採取から帰ってきた禰豆子が、俺の様子見を見て、はっとしたように言う。

「桜さん、まだ帰ってこないの?」

静かに頷く。

「遅いね…。何もないといいんだけど…」
「あと一時間しても帰ってこなかったら、探しに行ってくる」
「うん。お兄ちゃんお願い…。桜さん無理してなければいいけど」







待ちきれず三十分後に、家族に声をかけてから家を飛び出した。
迷っているかもしれないと、山道周辺の匂いを嗅ぎながら桜さんの気配を探すが、見つけられないまま、山の麓、三郎爺さんの家まで来てしまった。もしかしてと思い、三郎爺さんの家を訪れる。


「家にはきてねぇ」

三郎爺さんは、けど。と続ける。

「昼頃に町で、一人で花売ってるのを見た」

今は、日が暮れるまで僅かな時間しかない。花を売っているにしても、さすがに時間がかかりすぎだ。やはり不測の事態が起きているのでははいかと、三郎爺さんにお礼を言って家を出て、数歩。風にのってきた匂いに気付き、止まりかけのオルゴールのように、歩みが徐々に止まる。
半年以上前に嗅いだことのある、独特な匂い。これは、

「……血の匂い」


放たれた弓矢の如く駆け出す。匂いの筋の先には、木に凭れ掛かるように倒れる、桜さんの姿。最初頃の光景が重なり、血の気が一気に下がって身体中が氷のように冷たくなる。


「桜さん!!」


ドッドと音が聞こえてくる心臓、走っただけが理由ではない乱れた呼吸。乱暴にならないよう、すぐに様態を確認すれば、左腕に木の枝で切ったのか、三センチ程のかすり傷があった。他からは血の匂いはしないので、怪我はここだけだろう。
顔色は真っ青通り越して白くなってはいるが、気絶と言うより寝ているだけのようで命に別状はなさそうだ。おそらく体調を崩し、ここで体力が尽きてしまったのだろうと予想ができた。

最悪の事態ではなかった事に、長く深い安堵のため息がもれる。一先ずの無事がわかった後に、強く主張を始めた感情を抑えながら、桜さんを背負い、三郎爺さんの家に向かって歩き始めた。




戻ル


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